3-24.元婚約者の現在
24.
「彼は今、平民となっています」
驚きに、弾かれたようにベスが顔を上げた。
「インテバン男爵家の爵位を得るつもりでいたので、学園卒業後の就職先などまったく考えていなかったようですね。しばらくは実家で自由に暮らしていたようですが、一緒になってあなたを貶しめることで憂さ晴らしをていた友人たちは、自分達に近い場所で開かれた余興を面白おかしいスキャンダルのひとつとして、友人である彼ごと噂を愉しんでいただけです。彼の仕出かした事に対して責任を負うことも無く散々呷って元婚約者が踊るのを見物していただけ。火の粉が飛んでこない内に、自分たちはあのような不誠実なことはしないと口元を拭って、次々と婚姻を交わして家庭を持っていきました」
少しだけベスと視線を合わせると女家庭教師は再び話を続ける。
「彼の武勇伝を面白おかしく聞いてくれる仲間は減り続けていきました。当然です。嫁を取るにしろ、婿に入るにしても、不誠実な友人と同じことを仕出かす可能性を疑われては、真面な相手と婚姻を交わす事などできなくなりますから。そして、当然ですが仕事に関しても、同じように不誠実な行いをするかもしれないと煙たがられるようになります。ですから、結局、子爵家がどんどん条件を引き下げようとも彼の婿入り先は見つかりませんでした。裕福な商家からすら断られて、仕事先も見つけられないままでした」
まるで、物語の一節を語って聞かせているような声が途切れる。
痛ましげにも侮蔑しているようにもみえる視線を床へ落とし、ふーっと小さく息を吐いて、ついにそれを口にした。
「そして子爵はついに彼を国境警備隊の志願者名簿に載せたのです」
「え……でも、彼は、剣を得意としてはいません」
鍛えるとか、泥臭いことを誰より嫌う人だったと、ベスは、すでに顔の形すらよく思い出せなくなっていた一番最初の婚約者について思い出す。
ではなにが得意だったのだろうと、ぼんやり考える。だが、何も思い出せなかった。
自分以外の令嬢と一緒にいる時には笑顔を見た記憶もある。
だが、ベスとふたりでお茶をしたり一緒に食事を摂った数少ない思い出の中の元婚約者は、いつだって不満を口にしているばかりで、得意なモノどころか、好きなモノのひとつすら思い出せなかった。
ベスは、彼の所業に傷つけられはしたが、自分が彼の婚約者として向き合えていたかについて考えたこともなかったと、たった今、初めて気が付いた。
「事務という仕事だって、国境を守るために人員がいるならば必要ですから」
「あぁ、そうですね」
「けれど、そこから彼は逃げ出したのです。同期に仕事を押し付けてサボっていたことが上官にバレて、懲戒処分を受けている間の事だったそうです」
やはり、とベスは大きく嘆息した。
「子爵家にこっそりと戻ってきた二男に、子爵は雷を落としました。そうしてついに家の顔に泥を塗った、と貴族籍を剥奪。財産も支度金も何も渡さずに、平民に落としたのです」
「!!!」
「自ら志願したことになっている国境警備隊で職務怠慢による不正を行ない、懲戒処分を受けながら逃げ出す、それだけなら領地に送られて謹慎を申し付けられて終わりになったかもしれませんが、彼の所業により、嫡男の婚姻が破談となり、次の縁談もことごとく二男を引き合いに出して断られたのです。当然でしょう。これで軍を逃げ出したことまでなあなあで済ませたならば、本気で子爵家が取り潰しになる所でした」
「……お義兄さまが破談なんて。なぜ、そんな」
嫡男は優しい方だった。気さくで優秀な人であった筈だ。
女家庭教師の口から聞かされる話はそのすべてが衝撃的であったけれども、最後に聞かされたことが最も、ベスには苦しかった。
「私が不用意にとった行動で、たくさんの人を不幸にしてしまったのですね」
ベスは肩を落として俯いた。
胸の中で、不甲斐なさが渦巻いて、苦しかった。
つい先ほど、自分が進むべき道を見つけた気になったばかりだというのに、それに立ち向おうとする勇気が、ぺしゃんこに萎れていく。
完全に下を向いてしまったベスを、けれども女家庭教師が叱咤した。
「何故、エリザベス嬢が下を向く必要があるのですか? あなたの勇気ある行動のお陰で、不幸が確定しているような結婚から逃げおおせた令嬢がたくさんいるというのに」
「え──?」