3-17.女家庭教師
17.
「その様子では、侯爵夫人との顔合わせは失敗だったようですね」
ベスとしては、自ら報告することで傷を最小限にしたかったのだが、女家庭教師は定刻通りにやってくると開口一番そう切って捨てた。
彼女が手にした鞭の、風を切る音がベスの耳を裂いて、ぎゅっと胃の腑が冷たく重くなった。
しかし、自分の行動のどこがどう駄目でどうするべきだったかを知る為に、ベスは目の前に立つ女家庭教師に教えを乞うているのだ。ここで逃げる訳にはいかない。
ベスはつい目の前の女家庭教師をじっと見つめた。
初日に、「ミズ・メアリとお呼びください」とだけ紹介を受けた若い女家庭教師。
ボンネットに詰め込んだひっつめた髪と首元までしっかり覆われた装飾の少ない濃いモスグリーンのドレスは、職業に相応しい。スカートにも袖にも膨らみはなく、唯一飾りらしくみえるのは胸元からウエストまで並んだ黒い包み釦だけである。
極力女性らしさを排除してあるその装い。
そんな地味すぎるものを着ていても、隠し切れない匂うような女性らしさ。美しいハート型の顔を縁取る金髪は、多分解いたなら優雅に匂い立つように波打つのだろう。解れてうなじへと数本がかかっている。意志の強そうなまっすぐな眉と対照的な最低限の化粧として、紅のみがさされた唇の艶やかな紅色と、そばかすの散った白い肌。しかも若い。ベスより5つは年下だろう。もしかしたらもっと若いかもしれない。これが年上の女性であったなら、もう少し気安く相談もできたかもしれない、とベスは常々残念に思っていた。
しかし年齢によるベスへのプレッシャーを横に置きさえすれば、アジメクが連れて来てくれただけあって正しい貴族家の女性としての在り方を熟知し、かつファッションや流行についても詳しいという、正にベスが求めた人材そのものだ。
けれども、とベスは不思議に思うのだ。
これだけ美しく知識も経験も豊富という才気溢れる若い女性が、なぜ職業婦人を選んだのだろうか。
実家の経済的な問題もあるのかもしれないが、だとすれば余計に、通常ならば若くて美しい令嬢は経済的に余裕のある男性へと嫁入りすることで、実家への支援を受けたり経済活動でのパイプを繋いだりするものだ。
そこまで考えて、ようやくベスは、この美しい女家庭教師が本当は未婚ではないのかもしれないと思いついた。
若くして婚姻を結んだ夫と離縁したか死別したかなのかもしれない。もし子供がいるのならば余計に金は必要だろう。ベスには、そうした過去を知られたくないのかもしれない、と。
「エリザベス様。会話をする時は、相手の目を見ずとも視線は鼻の頭の上、もしくはその少し上を見るようにとお教えした筈ですが?」
そこまで考えて、目の前のミズ・メアリから注意を受ける。
「失礼致しました。少し考えを……纏めておりました」
ベスはすっかり自分の考えに没頭してしまい、ぼんやりしすぎたようだ。
さすがに自身が今考えていた女家庭教師に関する下世話な想像をそのまま伝えることはしない。失礼過ぎだ。
「どちらにしろ、立ち話でするような話ではございませんわ。いつもの部屋にお茶の用意をしております」
ベスは、下腹に力を籠めて背筋を伸ばすと訓練したとおりの微笑みを作ると、問い掛けに答えずに、部屋へと先導した。
多分これで間違いない筈だ。
女家庭教師に問い詰められるまま、玄関先でオロオロと説明を始めたりしたならばそれこそ本気で怒られるに違いない。
『いいですか、エリザベス様。貴女は私から見て、貴族家の女性ならば知っていて当然の知識がまったく足りません。所作は庶民的ですし、発言も軽率です。動揺していることをそのまま表してどうするのです。どんな窮地であろうとも対応に困らないだけの知識、誰にも付け込まれない正しい洋服の選び方、領地の為になる正しい処分の仕方など、これから貴女にお教えしなければならないことは多すぎるのです。これからは、私と顔を合せた時点で、講義は始まっていると思いなさい。常に試験を受けていると心得るのですよ』
着ている服に駄目だしされ、着替えを命じられて出てきたところでされた宣言を思い出し、ベスは自嘲のため息を吐いた。
あぁいけない。貴族の令嬢というものは、扇の陰に隠すこともせずに客の前でため息などついてはいけないのだ。嗜みがなさ過ぎる。
「せっかく偶には褒めようと思っておりましたのに。扇の使い方についておさらいが必要のようですね」
これは間違いなく今日の補習が決定したようだと、ベスは今度は胸の中でだけため息を吐いた。




