3-8.家令と侯爵夫人
8.
「あまりいい趣味とはいえませんね」
エリザベスを見送ってきた報告をしに来た筈のアルバートが苦言を呈する。
それに振り返ることなく、鑑の中からケイトリンはふわりと笑って応えた。
「そうかしら。でもエリザベス嬢がいけないのよ。虐めてほしいって顔をしているのだもの」
髪を結い直していたメイドが少しだけ呆れた様子になったことに気が付かない振りをして、ケイトリンはまるで歌うように続ける。
「あの娘は私の義理の娘になるのよ。ならばあれくらいの洗礼、当然ではなくて?」
その言葉にアルバートは肯定の意を表して頭を下げた。
ヴァリアン侯爵家の女主人のその言葉に異を唱えるつもりは執事であるアルバートにもなかった。
今日のお茶会の席で、エリザベス嬢が自身の魅力を提示できた事は確かだ。
だがヴァリアン侯爵家から婿を迎えるに相応しいレベルかといえば、足りない。
このまま社交界へと出ることになれば間違いなく叩かれる。そうしてそれはヴァリアン侯爵家にとっても弱みとなる。侯爵家の女主人からすればまったくもって喜ばしいことではなかった。
洗礼。
今日のお茶会の席は、ケイトリンによるエリザベス嬢に対して行われたものは正しくそれだった。
今日の態度によっては、尻尾を巻いて逃げ出したくなるほどの扱いをしてやるつもりだったのだ。
うるさ方の親戚筋を内密で揃え相手させることも考えたが、顔合わせの席での様子ならばケイトリン一人でも叩き潰せそうであったし、なにより無駄にバードが不出来な女の婿になろうとしていることを知ら示して弱みを触れ回る必要もないかと止めておいたのだ。
今は違う意味で止めておいて良かったと思う。
「それなりに見どころがあるとは分かったけれど、でも、まだまだ足りないの」
ケイトリンは雨の降り出した庭から屋内へと移動した後、ベスが邸を下がるのを見送ろうとはしなかった。
「少し濡れてしまったわ」と着替えをするといって自分の部屋に戻り、アルバートに向かって「お客様の御見送りをしておいて」と申し付けたのだった。
このお茶会は、ケイトリンが直接エリザベス・インテバン男爵令嬢に向けて招待状を出して開いたものだ。
曇天の下で庭にその席を用意し、雨粒が落ちてきたからと早々にお開きにし、自分だけが「雨に濡れてしまったわ」と着替えに自室に下がった。
ここまででもかなりの不作法だ。
実際のところ、ケイトリンは濡れたというほどの被害に遭った訳でもない。当然だ。まだひと粒ふた粒の雨が落ちて来ただけなのだから。
つまり着替えるのは雨で濡れたからですらなかった。客を招いてのお茶の席でのドレスと室内でゆったり過ごす服は違うもので当然だ。それが貴族の令夫人としての当然だからだ。
そうして本来ならば客が帰った後にすべき着替えを行っている間に、「雨が酷くなってからでは馬車で帰るのも大変だろう」と執事だけでベスを見送るように促した。
招待した客を見送る事すらしないなど、言語道断の行いだ。
それを理解していながらケイトリンはこれら不作法尽くしの対応を、ベスに対して行った。その意味する所は勿論ひとつだ。
ふき取られていた口紅を、顔料の少なく潤う成分の多い唇へ優しいものへと塗り替えて貰ったケイトリンは艶やかに笑った。
「あの母親も、社交というものからかなり遠ざかっているようだし。再デビューする前に洗礼を受けた方がいいと思うのよ」
肩に掛けられていた化粧ケープを取り外され、メイドが一歩後ろに下がって椅子を引いてくれたのに合わせて、ケイトリンは鏡の前から立ち上がる。
ゆっくりと窓辺へと近寄って雨粒の大きくなってきた外を見やり、けぶる様にちいさくなっていく馬車を遠くに見送る。
「ふふ。覚悟しなさい。エリザベス・インテバン。たっぷり指導してしてあげるわ」
笑顔で呟かれた言葉を耳にしたメイドは、その体をぶるりと小さく震わせた。




