表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/136

3-2.ケイトリン夫人


2.



 軽く会釈をして出迎えに感謝すると、何故か加齢により垂れてきている瞼の下でキラリと瞳が光った気がした。その視線はベスではなく、後ろに控えているアジメクに向けられているようで不思議に思って小さく振り向いたが、アジメクは笑顔でひとつ頷いたのみで、さらりと流した。



 アルバートの先導によりベスが案内されたのは屋敷の中ではなく、庭へと続くアプローチだった。

 夏薔薇の華やかな香りが立ち込めるポーチを黙って進んでいくと、大輪の薔薇が咲き誇る庭の奥に作られたガゼボがあった。


 蔓薔薇の絡まるその下で、美しい貴婦人が座っていた。

 その手には詩集が持たれ、伏せた目がその文字を追っている。まるで一幅の絵の様に美しく、だからこそその背景に広がる曇天は、これから始まる悲劇を象徴しているようだった。


 執事のアルバードが声を掛け、すぐ後ろに立っているベスの来訪を告げる。

 それを聞いて更に一拍おいてから、ゆっくりと手に持っていた詩集を猫足のテーブルに置いて代わりに淹れてあった紅茶を手に取ると、味わうようにひと口飲む。

 それから、ようやくその美しい女性が、ベスを振り向いた。


「今日は誘いを受けてくれて嬉しいわ。やはり女同士は気の置けない内緒話が一番ね。殿方がいてはできない話ってあるもの。ねぇ?」


 薔薇の蕾のような真紅のデイドレスは首元から手の甲まですっぽりと包み隠すデザインにも関わらず華やかで、ヴァリアン侯爵夫人の匂い立つような美しさを一層引き立てていた。

 花のような笑顔だ。しかし、その花には毒があるに違いない。


 含みのある言葉に、ベスの背中に震えが走る。


 言葉を無くして立ち尽くしそうになったベスの後ろから、アジメクがちいさく咳払いする音がしてようやく自分がまだ来訪の挨拶をしていないことに気が付いた。 


「ほ、ほんじつはお招き下さりアリガトウございます、ヴァリアン侯爵夫人」

 スカートの裾を摘まんで広げ、腰を落とす。

 この一か月の間、女家庭教師(ガヴァネス)の指導の下で前回指摘された姿勢を正す訓練だけは欠かさないでいたので、内心の動揺は激しくともそれほど身体の芯をブラさずに礼を取ることができた。


「まぁ。一応はきちんとした礼の形を取れるようになられたようね。頑張りましたね、エリザベス様」


 傍からすれば、褒めているのか貶しているのか微妙なラインの言葉ではある。けれどもベスは素直に喜んで、「ありがとうございます。ヴァリアン侯爵家御三男の婚約者として恥じぬよう、これからも精進いたします」と声を弾ませながら頭を下げた。


 その様子に、少しだけヴァリアン侯爵夫人ケイトリンはきらりと息子と同じ琥珀色の瞳を煌めかせた。青みを帯びたやわらかなローズピンクの紅で丁寧に彩られた

唇の口角が上がる。


 幾ら未来の嫁と姑であり、男爵家の跡取り娘と侯爵夫人という厳然たる爵位の差はあれど、ベスはケイトリンから正式に招待状を受け取ってこの場にいるのである。

 それなのに招待主ホスト招待客ゲストを立ち上がって迎えることもなければ、挨拶を受けながらも席に座る事すら勧めていない。


 にも拘らずこれほどの笑みを浮かべられるのは、この凡庸にしか見えない令嬢には何か策略があるのかもしれない――勘違いも甚だしい、まさに曲解レベルでケイトリンはベスの資質を上方に計った。それだけ貴族として取り繕うことを常として生きてきたという事であるが、ベスの様に貴族令嬢として仮面を被ることなく過ごしてきた人間などケイトリンの周囲にはいかなかった。だから仕方のないことではある。

 ただし、勿論会話を額面通りに行うような、取り繕う事など考えたこともないという者もいるということは知っていたので、ベスもそういったある種尊敬すべきレベルでの大馬鹿者かもしれないとケイトリンは冷静に自分に指摘を入れる。


 だが、どちらであることをケイトリンは願ったのか。実は本人にもよく分かっていない。

 ヴァリアン侯爵家に嫁として迎え入れるならば、馬鹿には務まらない。

 しかし、愛すべき莫迦息子の婿入り先として見るならば、後者であることを望むべきだろう。働き者の馬鹿は邪魔にしかならないが、言われたことを素直に熟す馬鹿ならば話は別である。しっかりと手綱を握っていれば余計な邪魔などさせずに済むだろう。

 そうして彼女の愛息は、それができる程度には利口で狡猾だ。

 それでも、見目麗しい訳でも資産家でもない更にいえば薹の立った売れ残りである、エリザベス・インテバン男爵令嬢のような訳アリ物件と本気で結婚しようというのだから莫迦息子という評価を変えるつもりはケイトリンにはなかったが。



 まだ会話らしい会話などまるで始まっていないというのに、何故かケイトリンはこのエリザベスという息子の婚約者に対して興味を持ち始めていた。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ