3-1.ヴァリアン侯爵家
1.
馬車の小さな窓から己の心の中を写し取ったように重苦しい曇天を見上げながら、ベスは迎えに来てくれたヴァリアン侯爵家の瀟洒な門を潜った。
「お傍に控えはしますが、今日の私はお傍に控えるだけの存在になります。頑張ってください」
すでに緊張でカチコチになっているベスへ向けて、ここまで一緒に馬車に乗っていたアジメクが笑顔で告げる。つれない言葉に胃がぎゅっと重くなったがそれに気取られないようにベスは笑顔を作って頷いた。
「そうね。アジメクは、ヴァリアン侯爵家でお世話になっていたのだものね」
「いいえ、現在進行形でお世話になっているのです。現在は、エリザベス様付きの秘書の仕事を指示されて出向している状態です」
はっきりと、エリザベスよりヴァリアン侯爵家を取ると言われて気落ちするが、元より言われるまでもないことだ。こうしてベスの付き添いをしている今も、アジメクの給料はヴァリアン侯爵家の三男であるウィズバードが支払っている。当然といえば当然のことである。
「そうね。そうよね」
ベスは目を閉じ、自分の今の立場とこれから求められるであろう立場を思い浮かべた。
「私に頼らなくとも、レディ・エリザベスならば大丈夫です。その為に、このひと月頑張ってこられたのでしょう?」
バードにお願いして付けて貰った女家庭教師による厳しい指導を思い出して、ベスは眉を下げた。
まさかこの歳になって、鞭を振る音に身を竦ませることになるとは思わなかった。
とはいっても、実際にベス自身へその鋭い罰が振り下ろされた訳ではない。ただの威嚇だ。けれどもヒュンヒュンと耳をつんざく風切り音がする度に、どうしようもない緊張が奔る。
初回の顔合わせで挨拶をした時からずっと、ベスは女家庭教師の溜息と鞭の風切り音のふたつに、自身の至らなさを痛感させられていた。
それでも、最近はかなり減った。
ひと月前に初めてこの場所へ来た時の自分とは違う。
きちんと自分は成長しているのだと、ベスは自身を宥めた。
それでも、自分自身というものを見つめて立ち向わなければ、ベスにとって最後のチャンスであろう三度目のこの婚約もあっけなく壊れてしまうかもしれない。
壊れてしまった方がベス本人にとっては余程幸せな気がしなくもなかったが、それでも、この婚約が壊れてしまえば今度こそ本当にインテバン男爵家に未来はなくなる。
父の行方が分からない現在、インテバン男爵家の未来はベスの肩に掛かっている。
覚悟を決めて、ベスは停車した馬車から降り立った。
前回、結婚の挨拶をする為にバードに連れられての訪問から、まだ一か月も経っていない。
それでも門から玄関まで続くアプローチを彩る花々はその色彩をより夏らしい鮮やかなそれに装いを変えていた。手入れの行き届いた色鮮やかな花々が咲き誇っている。
その玄関先で、ピッシリとした執事服を身に着けたアルバートがベスを出迎えてくれた。
「エリザベス様。ようこそおいでくださいました。奥様がお待ちしております」
まだ馬車から降り立つ前からそこに立っていた執事のアルバードに歓迎の言葉を告げられてベスは焦った。まだチャイムも鳴らしてもいない。馬車から降り立っただけだ。幾ら招待した側だとはいえ、馬車が門を潜る時間を見計らってずっとここで待ち構えていたというのだろうか。
だが傍に控えているアジメクはまったく動じていなかった。
つまりはこれが、このヴァリアン侯爵家、いや普通の貴族なら当然の事なのかもしれない。旱魃に襲われる前からそれほど裕福というほどのこともなく使用人の少なかったインテバン男爵家の方が、貴族のスタンダードから外れていると考えた方が良さそうだとベスは意識を改め身体を固くした。
ひとつひとつは小さな認識のズレかもしれないが、ベスがこれから始めるバードとの結婚生活において、似たような感覚のズレは沢山出てくるのかもしれない。擦り合わせをしていくことは大変だろう――そう考えただけで今でさえ十分すぎるほど重かった足取りが更に重くなる。
けれどもできる限りそれを表に出さないようにする程度には、エリザベス・インテバンも末端とはいえ貴族家の令嬢であった。
「お出迎えありがとうございます、アルバートさん」




