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男爵令嬢エリザベス・インテバンは、皆に「不幸だ」と指差されている  作者: 喜楽直人
第一章 突然背負った借金と契約としての婚約
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1-4.医師バード

4.

 


「申し訳ありません、おかあさま。ただ、今日はもう遅いですし、今から洗っても枕は乾かないでしょう?」

「新しいカバーに掛け替えるとか、いろいろやり方はあるでしょう!」


 そんな予備のリネンなどもうありません、と告げられたならどんなに楽になれるだろう。

 ベッドから降りることなく生活をしている母が食べ溢した紅茶の雫やパンの屑のせいで、たった一枚の替えはすでに朝の交換で使ったばかりだ。そしてそれはまだ乾いていない。

 ベスが使っている擦り切れが目立つものに替えるなど、きっと母をさらに怒らせるだけだ。

 だからといってそれらすべてを正直に告げたなら、母は勢い込んで己の不幸を嘆き悲しみ泣き叫んでみせることだろう。


「ごめんなさい、おかあさま。いますぐ交換して参りますわ」

 客間用にとってあるのものを使ってしまおう。どうせもうこの屋敷に客を迎えることなどないのだと思い当たったベスは、悲しみに瞳が潤んでくるのを止められなかった。

 枕カバーを交換して紅茶も出したら、少しは母も、先ほど突然大叔父から告げられた話について理性的に受け止めてくれるかもしれない。

 そんな筈はないと自分でも思うから、涙が流れ落ちてしまわぬようにするのにも難儀した。



「まぁいやだ。自分の気が利かないのを棚に上げて、私に責められたと泣いてみせるなんて。本当に非道い娘だこと。なんて私は不幸なんでしょう!」


「ふふ。それだけ元気に大きな声が出せるなら、やはり奥様はベッドからお出になってご自身で家政の一切を取り計らってみるべきですよ! 気鬱の病など、あっという間にどこかへ飛んで行ってしまうと思いますね」

 その男性的な声に振り向けば、母の寝室の入り口に、悠然とひとりの男性が立っていた。

 

「まぁ、医師せんせい! ……失礼致しました。今日おいでになるとは思いませんでした」

 多分、大叔父が屋敷の扉を閉めずに帰っていったのだろう。

 開け放たれていたのかもしれないが、勝手に屋敷に入ってきて、ましてや二階の奥にあるこの母の寝室まで上がって来るなんて、なんて失礼な人だろうと思いつつ、それでもベスは頭を下げた。


 バード医師は、この地方にひとつだけある小さな治療院で地域の医療を担ってきたハザウェイ医師が高齢になったこともあり体調を崩し気味だということで、正式な後任者が決まるまで不定期にこの地方の医療を担ってくれることになった、いわば臨時の医者である。

 小さくとも、国の定めにより設立された治療院である。医師の派遣は王立医療大学校の差配により常駐者が定められることになっていたが、如何せんあまりに地方であることと、旱魃が続いた貧乏なインテ地方の常任になることを受け入れてくれる医師がなかなか見つからないのだ。臨時で来てくれているこのバードと名乗った若い医師も、普段は生まれ故郷の病院に席があるそうだが、ハザウェイ医師が医療大学校で講師をしていた頃の生徒であったこともあり、「臨時なら」と引き受けてくれたのだという。


「失礼。ただ、今日は奥様の診察に伺ったのではないのです。……この度は、ご愁傷さまで」

 その、色の薄い綺麗な金髪の頭がゆっくりと下げられ告げられようとしている言葉を、ベスは思わず大きな声で遮り、それが最後まで告げられてしまうことを拒んだ。

「おやめください! まだ父の所在について何も分かっていないのですから!!」


 そうだ。まだ父テイトの遺体が上がった訳ではない。

 ましてや、父がその沈没してしまった船に乗っていたのだと確定した訳ですらないのに。

 何故この男が誰よりも先にお悔やみに来るのか。

 そう。先ほど見送った親族はお悔やみに来たのではない、そう思うとベスの胸はじくりと痛んだ。


「……エリザベス嬢。お気持ちはわかりますが、港と王都に、あの貿易船に乗船した乗客乗員名簿が届いたそうです。その中には確かにお父様であるテイト・インテバン男爵の名前が載っておいでで」

「止めてください! おかあさまは御病気で寝たきりなのですよ? それなのに、そんな容赦のない言葉を告げるなんて。お医者様ともあろう御方が、なんて非道なの!」

 常になく感情的になったベスが、強い口調で抗議した。

「大丈夫ですよ。シーラ様は御病気なんかではないのですから。さっさとベッドから追い出して、きちんとした生活を送らせる方がずっといい」

 なのに、目の前の男性は、さらりと常日頃から繰り返している冷たく容赦のない診断を口にして返した。

「まぁ!」

 なんて酷い言い草だろうとベスは憤慨した。

 たしかにベスも頷いてしまいたくなることもある。それでも、今だけは、そんな冷たい診断を下さなくてもいいではないか。


「あぁ、あぁ! 心優しい優れたお医者様であるハザウェイ医師だったなら、そんな酷い事を言いにレディの寝室へ押し入ったりしなかったのに。やっぱり貴方のような若い平民の医者なんか頼りにならないわ! あぁ、いやだいやだ。おかえりになってくださらない?」

 案の定狂ったように騒ぐシーラの姿を、医師とはいえ臨時でしかないバード医師に見せるのは心苦しく、ベスは常になく強引にバードの肩に手を掛け部屋から押し出した。


「今日は、お引き取りください」

 大した抵抗もなく、ベスはバード医師の大きな身体を階段下まで連れ出すことに成功した。

 そうしてそのまま玄関の外まで送ろうとしたベスだったが、階段を下りるまではあんなに素直についてきた筈のバード医師が、玄関ホールの中央で立ち止まった。


 不思議に思って、背の高いバード医師の顔を見上げる。

 令嬢にしては背の高いベスからしても頭一つ分以上背が高いバード医師の瞳が、ジッとベスの視線を捉えた。




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