2-1.新しい暮らし
1.
「新しい生活は落ち着いたかな。足りないものはない?」
「えぇ、快適よ。ありがとう」
ベスは、3日振りに顔を合わせる婚約者に向かって微笑んだ。
「して欲しいことがあったら何でも言ってくれ。こう見えて、君の婚約者は結構金持ちだ」
えへん、とバードが胸を張った。
「ふふっ。もう十分よくして貰っているわ。母も満足しているみたい」
「ベッドがフカフカだから?」
「えぇ、ベッドがフカフカで、シーツがパリっとしているからね」
そういって笑い合う。
王立治療院のすぐ裏手。
二階建ての小さくとも美しいカントリーハウスでベスとシーラの生活が始まってひと月が経っていた。
初日こそ「こんな狭いヴィラもどき」だの「客間が2つしかないなんて」など、目につくものすべてに文句を口にしていたシーラだったが、このカントリーハウスの快適さにあっという間に意見を翻した。
「どこからも黴臭い隙間風が入ってこないのよ!」
感激した声で告げられたそのセリフを聞いて、ベスははしゃぐ母に笑顔を向ければいいのか、後ろで微笑む使用人たちに男爵家の有り様を恥じてみせればいのか悩んだものだ。
なによりシーラは、自室として振り分けられた二階にある主寝室が気に入ったようだった。
フカフカのベッドもそうだが、瀟洒なカーテンも、窓から見下ろした手入れのされた庭、さりげなく置いてある美しい家具、手入れの行き届いた家具の艶めく色、そこに置かれた美しい花瓶に毎日綺麗な生花が飾られることも、すべてがシーラにとって満足のいくものだったようだ。
引っ越ししてしばらく経った夜。
いつものように紅茶をベッドまで運んだベスに、母シーラが珍しく激高もせずぼうっとある一点を見つめたまま話し掛けた。
「ねぇ、そこにあるチェストは大御祖母様が大切になさっていた物に、少し似ているとは思わない?」
母が母の御祖母様から戴いたと自慢していたチェストならベスも覚えていた。だが、記憶にあるものは年代を感じさせた濃い飴色のものだった。
旱魃の影響で領主館から使用人の数が減る前までは、ハウスメイド達が毎日丁寧に磨いていたことを思い出す。
目の前にあるのは、それに比べて年代も若く色味もかなり明るい。この館が建てられた時に新しいものを揃えたのだろう。
「美しい螺鈿細工の蝶と異国の花が描かれていたのよ」
母シーラは、目の前にある家具を見つめながら、いまそこにはない記憶の中のそれを愛でていた。
インテバン男爵家に古くから伝わっていた家具も素晴らしいものが沢山あったのだが、旱魃の際に値の付くものから売り払われていった。
そしてどこから運び込まれたのか、武骨で傷のあるようなものがチクハグに無秩序に並べらえていく。
それがとても惨めだったのだと、告白された。
父テイトは領民思いで自身のことには無頓着だ。多分、インテバン男爵家についても。
「領民の命を守るためだから」と家財の一切を売り払うことを決めたと言われた朝のことは覚えている。
ベスはそのことに感動した覚えはあるが、その時、母シーラがどう受け止めたのかは知らない。寝室から出てくることのなかった母シーラへ父テイトがそれを告げた際には同席していなかったからだ。
たしかに先祖から代々受け継がれてきていた家具や美術品が自分の代で躊躇いなく売り払われていくのは、男爵家の跡取り娘として誇りを持つよう教育を受けてきたシーラには途轍もなく辛いことだったに違いない。
「そうね。デザインが少し違うけれど。たしか大御祖母様が大切になさっていたというチェストは、もうちょっと花が大きくて蝶の色味が青系統だったのではなかったかしら」
「そうよ! あれは本当に美しかった。私は、御祖母様に『大切するわ』って、お約束したのに」
母シーラの17年に渡る引きこもりとベスへの暴言の始まりは、たしかにあの婚約が破談になったことにあるのだろう。
けれど、それが17年に渡って続いてしまったのには、別の理由があったのだ。
ベスは、母シーラの気持ちにまったく寄り添うことのなかった自分の過去を反省した。
ここに移ってからはシーラは毎朝の目覚めもいいようで、体調もいいらしくてなによりだ。
一昨日は午後のお茶を外の東屋でとったと、侍女リリから報告も受けている。
そんな母シーラの様子に、ベスはこの婚約を申し出てくれたバードに心から感謝した。
ベスは、初めて味わう母とのおだやかな時間という幸せを噛みしめた。




