1-29.それは、ちいさなすれ違い
29.
結婚を迫る女性や家族から逃げる為に見せかけだけの婚約を維持したいバードと、没落寸前の男爵家の令嬢を娶ろうとたくらむ平民という目でその男を尊大な態度で見下ろすユーリ。
ふたりの男性による妙な緊張感を持った睨み合いを終わらせたのは、憲兵隊のひとりが告げに来た「出立準備ができました」という報告だった。
「では、私は王都に戻る。盗賊団の仲間もまだ残っているようだ。しばらくはそちらに掛かり切りになると思うが落ち着いたら必ず連絡をする。インテ地方には憲兵隊を手厚くするよう手配しておくが、ベス、君自身でも身辺にはくれぐれも気を付けるように。私ではなくとも、エリーゼ侯爵夫人にでもいい。誰かにちゃんと相談するんだ」
まるで保護者のような言葉を残して、ユーリは偽大叔父一味を連行して王都へと風のように去っていった。
駆けていく憲兵隊の姿を見送った後、屋敷へと戻ろうとしていたベスに向かってバードが苛立った様子で声を掛けた。
「アイツには妻も子供もいるんだぞ?」
またそれか、とベスはため息を吐きながら肯定した。
「えぇ、知っているわ。お子様の名前もね。もう一度お教えいたしましょうか?」
幾ら契約上の婚約を無かったことにしたくないからといって、ベスの交友関係に口を挟んで欲しくない。下衆な妄想で友情を歪められるのも真っ平だ。
「妻子ある男性とふたりきりになるのはお勧めできない。それも、屋敷の中に、その男の部下や倒れたまま寝ている母親がいる時は、特にな」
指摘された前半部は言い掛かりだったが、後半部分にはベスも反省すべき点があると受け入れることにした。
「ごめんなさい。ちょっと……台所の勝手口の扉を強引に破った跡を見つけてしまったの。それを見ていたら、私ったらショックを受け過ぎたみたいで。ぼうっとしちゃって少しの間だけれど意識が飛んでしまったようなの」
そういえば、あの勝手口も早く何とかしなくては。修理代の算段はどうやってつけるべきだろうかとベスは頭を悩ませた。
「えぇっ? 大丈夫なのかい、それ」
「え、バードも見たのよね? そうだ。さっきは助かったわ。恥ずかしい話だけれど、私だけだったらユーリ様からの修理費用の援助を受け取ってしまっていたかもしれないわ」
いつ返せるかもわからない借金を、仕事できただけの旧友にする訳にはいかなかった。
ただ背に腹は代えられないという言葉通り、あの勝手口をそのままにしておく訳にはいかないし、どうにかして修理費用については捻出しなければならないけれど。
「すまない。勝手口に関しては気が付いてなかったんだ。あの金も、あいつからの、生活費の援助の申し込みかと思ってしまった」
生活の援助。つまりそれは、バードは、ベスがユーリからの愛人として金を受け取ると勘違いしたということだ。
「ありえないわ! なんて酷い。侮辱だわ」
「ちがわない。いや、ベスにそのつもりは無かったという事は分かった。けれど、アイツはきっとそういうつもりで差し出していた筈だ」
「ちがうわ。そんな妄想じみた勘ぐりをするのは止めて。私たちの間には友情があるのよ。それだけだわ」
「違う! アイツの君を見る目は、それだけじゃなかった」
「それこそ違うわ! ユーリ様はそんな方じゃあないわ」
しばらくそうして睨み合っていたベスとバードだった。
お互いに一歩も譲らないというように動こうとしなかったが、意外にも先に喧嘩を吹っ掛けてきたバードの方が譲ることにしたらしい。
単に、不毛な言い争いを続けるよりも先にやらねばならないことが沢山あると気が付いただけだったが。
「フン、ユーリ様、ね。今は後回しだ。それより勝手口の状態を見に行こう」
一人で勝手に納得した様子のバードが歩き出していく。
その後ろを追いながら、ベスはこの人と本当の婚約ひいては婚姻を結ぶ女性などいるのかしらと、憤慨した。
きっと外見と医師という職業だけ見てその地位を狙った挙句、その内うんざりするに決まっている! ベスはそう考えることで溜飲を下げた。




