1-28.睨み合い
28.
「そうだ。そんな赤の他人の男の金なんか、ベスは受け取らない」
「誰だ?!」
怒った声が割って入る。その人は断固とした表情で、テーブルの上に置いてあった革袋をユーリへと押し返した。
「既婚者が、独身の美しい女性に大金を渡すなど。不貞を疑われても仕方がない行為だ」
「バード?! なんてことを。失礼なことを言わないで!」
「貴方は……」
そういえば、まだ紹介していなかったかと思い当たり、ベスはまずそこから説明することにした。
「バード医師です。普段はヴァリ侯爵領にある王立治療院で常任医師をされているのだけれど、今だけこのインテ地方の王立治療院で臨時医師を引き受けて下さっているの。とても優秀な方なのよ」
「単なる地区の臨時医師なだけじゃない。俺はベスの婚約者だ」
「バード!!」
婚約といっても、あくまでバードが心から婚姻を結びたいと思える人が見つかるまでの契約上の婚約の筈である。バードの親族やバードの妻の座を狙うハンターのような若い女性以外にはわざわざ話して聞かせる必要などない筈だ。
それは間違いなく、式を行わない破談前提の偽物の婚約なのだ。
確かに既に2回も破談を経験しているので今更だとは思っても、ベスとしては3回目についてはできるだけ知る人を少なくする方向でいたかった。
けれど、バードとしては偽物だと知られたくないのだろう。バードはベスの旧友に失礼な態度で、それを正式な物だという主張をしていた。
確かに、ここで『実はこれは偽物の婚約なのだ』と説明する訳にはいかないだろう。回り廻って、どこからバードの家族にその事実がバレるとも限らないのだから。
「ねぇ、バード。私たちの婚約は、おとうさまやおかあさまから許可を貰えていないのよ? 正式なものだと吹聴されては困るわ」
肘当たりの袖を引っ張り、小声でバードに言って聞かせる。
できればこれがお芝居の婚約だと思い出して、引いて欲しかったのだが、そのベスのセリフは逆効果だったのかもしれない。
ベスの懇願に気が付いていないのか、バードが勝手に
「彼女の生活全般についてはこれからは俺が保障する。ベスは俺が提供する屋敷に引っ越す手配が済んでいる」
「あぁ、バードやめて」
ベスとしてはできる限りこの契約婚約について知る人は少なくしておきたかったが、借金が詐欺による架空のものだとわかって、バードは契約の成立そのものを危ぶんだのかもしれない。
借金のカタとしてこの屋敷から追い出されることは無くなった。つまりは引っ越す必要など無くなったということだ。
ベスとしては勿論、契約内容を交渉し直す必要がある感じたが、自分側の理由が解決したからと勝手に契約を無かったことにするつもりはベスには無かった。バード側の事情を考慮した上で継続するつもりはある。
けれど、自らの計画が破綻しそうだとでも思っているのか暴走気味のバードの口を閉じさせる方法をそれ以上思いつかずに、ベスはただオロオロとすることしかできなかった。
「君達の婚約が、ご両親から許可を貰えていない理由を聞かせて貰っても?」
けれど、ベスの旧友はひとり冷静だった。
王立治療院を掛け持ちできるほど優秀だと認められた医師が行き遅れの跡取り娘との結婚を申し入れたのだ。
諸手を上げて受けるのが当然のその婚約を両親が受け入れない理由が、真面目で優しい旧友としては気になったのだろう。
「それは……おかあさまが、その。前回の事もあるので、へ、平民の方との婚約を、嫌がっているので……」
嘘ではない。だが、事実でもなかった。
何故なら、まだベスはバード医師との婚約について、父どころか母にも一切報告できていなかったのだから。
拒否もなにもないというのが本当の状態だ。
「そうですか。平民、ですか」
ユーリが、含みのある声で確認した。
ユーリはその如何にも貴族的なシャープなラインを描く顎を少し持ち上げて、ねめつけるような視線をバードに向けている。
「えぇ、そう。でもね、バード医師は本当に優秀で素晴らしいお医者様なのよ」
ベスの知っているユーリ・ケインズという男は選民意識などない人の筈だった。
貴族は特別だの、平民ごときといった言葉を使っていたことなどなかった。
けれど、ベスが知っているのは学生時代のユーリ・ケインズだ。
あれから17年の時が過ぎた今のユーリ・ケインズは、違うのかもしれない。




