1-25.憲兵隊ケインズ大隊長
25.
ユーリ・ケインズ伯爵令息は憲兵隊の大隊長を任じられている。もう35歳となるが、ケインズ伯爵が元気に現役を続行しているので未だ嫡男という立場のままである。
彼は、エリザベス・インテバン男爵令嬢と王立学園の同窓生であり、あの元婚約者が浮気相手に向かって不実なセリフを告げていたその場に居合わせた一人でもあった。
「ひさしぶりね、ユーリ。いいえ、ケインズ大隊長。この度はわざわざこのような辺境の地の問題を解決する為にお越し頂きましたこと誠に感謝いたします。有難うございました」
ホッとして気が弛んでいたこともあるのだろう。懐かしさのあまり上位貴族であり職場での立場というものがある旧友に対して学生時代に許されていた名前で呼び掛けてしまったベスは、気を取り直して淑女として礼を取った。
学生時代ですらこんなに質素な服でいたことはなかったが、それでもベスのカーテシーは美しかった。
「いや。昨夜遅くに憲兵へ訴えが届いてね。インテバン男爵の難破事故に紛れて、あやしげな内容の借金を押し付けようとしているゲルス・ザコタという輩がいる、とね。ゲルス・ザコタという名前は知らないが、ザコタ商会のゲルスという男が盗賊に襲われて入院していることが訴えが届いていたのですぐに判ったんだ。そこから先は時間との勝負だと思って馬を乗り継いで駆け付けてきたんだが、間に合ったようでなによりだ。ケガはないか?」
笑顔で肩を叩かれる。
10代の学生らしい線の細さもなくなって、身体の厚みは倍くらいになっているだろうか。
それでも、片笑窪の浮き上がるユーリの笑った顔にはやはり昔の面影があって、ベスは旧友の思いやりある言葉に笑顔で頷いた。
「えぇ、大丈夫よ。バード……バード医師が、来てくれて守ってくれたから」
ここで、憲兵隊の大隊長となった旧友にまで、バード医師の婚約者面をする勇気はベスにはなかった。
少しはにかんで、名前を告げるのが精いっぱいだ。
「そうか。こいつらを連行する手配が終わったらまた来るから、その時に詳しい話を聴かせて欲しい」
「勿論よ」
ベスが笑顔で了承した時、後ろからベスを呼ぶ声がした。
声がする方へと顔を向けると、バードが不機嫌そうな顔をして立っていた。
その腕の中には、母シーラが蒼い顔をして抱きかかえられていた。
「お楽しみの最中失礼するよ。シーラ男爵夫人を寝かせたい。ベッドを整えてくれないか」
バード医師から冷たい視線を浴びて、幾ら気が弛んでいたとしてもこの惨状の中で旧友との交流を温めようとした自分が、ベスは恥ずかしくなる。
慌てて「ごめんなさい」と謝罪の言葉を口にして、使っていない客間へと案内することにする。
ベスは客間へと足を向けかけて、ユーリとの会話を勝手に切ってしまったことに気が付き視線を向けると、テキパキと部下へ指示を出していたユーリが、気にするな、とばかりにベスに向かって軽く片手をあげて合図を送ってくれたのが見えてほっとした。
ベスは安心して客間に足を向けようとしたが、廊下の先に立っていたバードが、苛立った様子でベスを冷たく睨みつけていた。
医師の判断として、早く寝かせたいと考えるのは当然だ。娘のベスとしても気を失ったままでいる母シーラの事は心配だったが、捜査に来てくれた憲兵隊を軽んじた態度を取るのもどうかと思う。
──たった、数秒しか掛かっていない筈なのに。
先ほどまでとはまるで違う、冷たい視線を向けるバード医師の後ろ姿を追いかけながら、ベスは無性に泣きたくなった。
「こちらへお願いします」
昨日、付け替えてしまった枕カバーは今この客間のベッドにはない。
天蓋もここから母シーラの寝室へと持っていってしまったままなので、元々客間らしくない装飾のないこの部屋がより伽藍洞で殺風景に見えていた。
ベスはまず、タオルを折り畳んで頭の下へと差し込み、片方だけ履かれたままになっていたミュールを脱がせて、水で濡らしたタオルで、母の顔や足の裏を順に拭いていった。
そうして、薄い布団を母シーラに掛けると、ようやくひと息ついた。
「あの、先ほどはありがとうございました。今日は、いらっしゃらないとお聞きしていたのに。助かりました」
そうして自分が、一番の窮状から助け出してくれたその人へ感謝の言葉を告げていないことに気が付き恥じ入った。




