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男爵令嬢エリザベス・インテバンは、皆に「不幸だ」と指差されている  作者: 喜楽直人
第一章 突然背負った借金と契約としての婚約
20/136

1-20.ピカピカの鍋と真っ黒な未来

20.




 その夜。

 ようやくベッドへ入ったベスは、胃の辺りが落ち着かず、とにかくムカムカして仕方がなかった。


 一度目の不快な破談騒動の時も、一度目の落胆しかない破談の時とも違う、この落ち着かない思いがどんな種類のものなのか、ベスには全く分からなかった。


 分からない、という事自体が、いっそう苛立ちを搔き立てる。


 憤りなのか、なんなのか。

 怒りにも、後悔にも似たその衝動はこれまで自分が感じたことのない種類のものだった。



 すっかりヘタった羽枕に怒りをぶつけ、ボフンボフンと枕を殴りつける。

 それでも飽き足らずベッドに枕を叩きつけることで、ようやく溜飲を下して、天を仰ぐように寝転んだ。


「あんな人と契約婚約を結ぶなんて。正気なの? エリザベス」


 誰もいない自分の部屋で一人きり。自身の今日の決断にケチをつけた。



「ねぇ、あんな失礼な人っていないと思わない?」


 いいえ。あの人は、誰も助けてくれない私に、ただ一人、手を差し伸べてくれたのだわ。


「だって、相手はあのバード医師よ? 母の病気を仮病と決めつけて、ベッドから起き上がれだの、外に出て運動すればいいって言い放つような、乱暴な人だわ」


 けれど。その母が眠れぬ夜を過ごしていると気が付いて、寝れるように甘い飲み物を淹れてくれたわ。


 私に、仕事と住む場所を提供してくれると提案してくれた。


「それだって、男爵家令嬢という身分で煙に巻いて、他の婚約者候補を退ける方便に過ぎないじゃない」


 それでも。

 窮しているこの家を貶すこともせず、婚約者への貢物だとして食事を差し入れてくれた。

 なにより、この家を燃やしてしまうところだったベスを助けて守ってくれた。


「怪我を案じても、くれたのよね。鍋も磨いて……いやだわ。褒める言葉なんか口に出すつもりはなかったのに」


 ごろりとベッドの中で寝返りを打った。




 あの人を、信じていいのだろうか。

 差し出された手に、縋ってしまっても?


 初めて触れたその手は大きくて温かかった。

 外套に包まれた時は、そのままずっとそうしていたいと願ってしまった。

 守られているという安堵を感じるのは何時振りだろう。


 力強いその手の持ち主に、すべての重荷を預けてしまえたら、どんなに楽になれるだろう。



 徒然なるままに、今日という日を思い出していくほどに、ベスは自身がバード医師を特別な相手だと思っていることを自覚せずにはいられなくなっていった。



 けれど。それを伝える訳にはいかない。

 何故ならベスは、バード医師と婚約はしても、それはあくまで契約上のものであり、バード医師自体はそのまま結婚しても構わないと考えているようだったが、そんな人助けとか、自身に押し付けられてする結婚よりマシだとか、そんな思いでするのは真っ平だったからだ。



 愛する人と結婚するなら、愛して貰ってする結婚がいい。



 父を失い、母は病んでいる。そしてついには屋敷を失うことになった可哀想な令嬢を引き取るような慈善事業に付き合わされるなど、ご免被る。


 ベスはぎゅっと目を閉じ、薄い布団を頭から被った。





 結局、まんじりともせず空が白んでくるまでベッドの中で寝返りを繰り返していたベスは、眠い目を擦りながら起き出すことを選んだ。


 昨夜は結局、母シーラは起きてくることは無く、夕方にバード医師に処方された、あの甘い飲み物を飲んだきりだった。

 お腹が空いて早く起きるかもしれない、そう考えたベスは急いで母の寝室を覗きに向かうと、すでにシーラは起きているようだった。天蓋が、人の動きを受けて揺れている。


 ベスはそうっと寝室から抜け出し、紅茶を淹れに階段を下りる。

 すぐにベスを呼ぶ鈴の音なり声がするとは思ったが、なんとなく、母にいきなり声を掛ける勇気が出なかったのだ。



 昨夜のボヤ騒ぎで完全に火を落としてしまったので、薪オーブンが温まるまでまだ少し掛かる。

 ベスは慣れた手つきで火を熾すと、紅茶と一緒に何を持って上がろうかと思案した。


 夕食を摂らずに寝てしまったので、少しお腹を満たせるようなものを持っていくことにする。

 普段なら、食材に悩むところだが、今朝は昨夜バード医師が持ってきてくれたバスケットがあるので心強かった。


 とりあえず小さな琺瑯引きのポットに水を満たしてコンロの上に置いておき、バスケットの中身を確認した。

 鴨のローストはお昼と夕食に回すとして、果物にしようかと悩んだものの、もう少しお腹に溜まるものにしようとパンを出すことにした。

 丸パンに切れ目を入れて、昨日いただいたチーズを薄く切り分ける。チーズをパンに挟んで、こちらはコンロの横にある鉄板の上に2つほど並べた。焼くというほど熱くはならないが、ゆっくりとチーズが蕩ける程度には温めることができるのだ。


 古い薪オーブンだったがその分頑丈で、こちらも玄関の呼び鈴と同じ年代のものだった。


 やることが無くなってしまったベスは、じいっと薪が赤く燃えていく様を見つめた。


「昨日のバード医師との話し合いの結果を、おかあさまに報告しなくては」


 考えるだけで、ベスの唇からため息が漏れていく。

 夢だとしたら、随分と自分に都合のいい夢を見たものである。


 だが、夢でない証拠に、大鍋はいつ以来になるか分からないほどピカピカに磨かれていたし、焦がした大鍋を磨いたり真っ黒に煤けてしまった壁や窓を拭くのに使ってしまった水瓶の中身は、再び満杯になっていた。

 これも、バード医師が「ついでだから」とやってくれたのだ。


 医師としてのバードは、自分の診断に自信満々すぎて傲慢な人間だと何度思ったか分からないほどだが、こうして医師という立場と関係なく付き合ってみると、口調や態度が雑なだけで、細やかな気配りのできる優しい人だった。


 でも、だからといっていきなり婚約することになったなど、母シーラが素直に納得してくれるものだろうか。






薪オーブンのイメージ元はアーガですが

実際にはもっと簡素な物を想像しております。

アーガの誕生は1922年。近代もいいとこになっちゃうw



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