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5話 ママと呼ばれて


 シャワーを浴びた神宮寺さんが戻ってきた。

 ラフな部屋着を身にまとっている。さすがに着替えは一人でできたようだ。

 一連の流れで身体が覚えていたのか、顔には美容液を塗ってスキンケアをしている。

 長い髪は濡れて光っていた。

 頬は酔いのせいか、シャワーを浴びたせいか、火照っている。全体的にとろーんとしていて色っぽい。

 神宮寺さんが僕の存在に気がついた。もしかしたら、シャワーを浴びて酔いがマシになったのだろうか。

 

「おー」

 

 これはダメだな。

 力の抜けた第一声を聞いて、無駄な期待だとすぐに分かった。

 

「ねる」

 

 自分の家に僕という男がいることを気にする様子もなく寝室に入って、そのままベッドに倒れるようにダイブして、うつ伏せになった。

 

「神宮寺さん、髪の毛乾かさないと傷みますよ」

「ねるぅ」

 

 横になったまま動き出す気配がない。

 このまま放置はできない。神宮寺さんの綺麗な髪を傷ませる訳にはいかなかった。

 毒を食らわば皿までだ。僕は決意した。

 散らかっている部屋から、神宮寺さんのドライヤーを探し出すことは困難だから、僕の部屋に戻って、タオルとドライヤーを取りに戻る。

 

「髪の毛乾かしますね」

「ん」


 神宮寺さんはいつの間にか仰向けになっている。

 寝室の外から声をかければ、同意なのかよく分からないような返事が返ってきた。

 同意してくれたと判断しておこう。

 髪を乾かそうとベッドに近づくと、仰向けになった神宮寺さんの全身がはっきりと目に入る。

 神宮寺さんの寝巻は、少し光沢があり、触り心地がよくて柔らかい生地だ。身体にフィットして、着ている本人には、あまり着ている感覚を与えないタイプのものだ。

 そんな寝巻を着ているせいで、身体のラインがはっきりと分かる。

 そして――神宮寺さんがブラジャーをつけていないこともはっきりと分かってしまった。

 寝るときはブラジャーをつけないタイプなのだろう。

 今なら、少しぐらい触ってもバレないかもしれない。

 

「ッ!」


 いやいや、落ち着け。僕は必死で自分に言い聞かせた。

 目の前にいるのは憧れの女性じゃなくて汚部屋の主だ。

 僕は周囲を見渡して、汚部屋の光景を目に焼きつけることで邪な感情を抑えていく。

 周りをよく見ると、クリーニングの袋がたくさん転がっていることに気がついた。

 

「……なるほど」


 出勤していくときの神宮寺さんは、いつもスーツがビシッときまってカッコよかった。

 いつもアイロンがけをしているから、スーツが綺麗なのだと思っていた。

 でも実際はそうじゃなかった。

 ろくに部屋の片づけもできない人が、アイロンがけをわざわざするはずがない。

 神宮寺さんの着ていたスーツに皺がないのはプロの仕事だからだ。毎回スーツをクリーニングに出しているからスーツが清潔だったのだ。

 仕事に対する意識は高いのだろうけど、クリーニングの袋を捨てずに放り投げている状況を見ると残念というしかない。

 僕の身体から熱がスーッと抜けていく。


「はぁ」


 僕が憧れていた神宮寺さん。カッコよくて美しい女性。

 毎朝見ていた神宮寺さんの姿はまやかしだった。

 僕のイメージは、僕の理想は、僕の妄想は、僕の憧れは、そして――僕の恋心は完全に崩れ去ったのだ。

 

「まずはタオルで拭くので起き上がってください」


 仰向けに寝ている神宮寺さんの背中とベッドの間に手を入れ、肩を持ち上げるようにして起こす。

 髪が濡れたままなので、持ってきたタオルを使ってタオルドライをした。

 ある程度水分をタオルで吸い取った後、ドライヤーの準備にとりかかる。

 コンセントはどこだろうか。

 おそらく電源タップがどこかにあるはずだけれど、散らかっていて見当たらない。

 部屋の構造は僕の部屋の鏡写しなので、壁のコンセントの場所はすぐに分かった。そこから線を辿って電源タップを探し当てる。

 電源タップの上には下着が乗っていた。下着をずらしながら、深いため息をつく。

 

「はぁ……」


 部屋が汚いだけなら、それは入居者自身の問題だ。隣人に悪臭がいかない限りは勝手にすればいい。

 でも電源タップの上に平気で衣服が置かれている状態は見過ごせない。そうそう簡単に燃えたりはしないけれど、火災のリスクが高まることは間違いないだろう。

 火事になったら僕のマンションは大変なことになる。

 火災保険に入っているとはいえ、やめてもらいたい。


「ドライヤー使いますね。熱かったら言ってください」

「あい」

 

 艶のある髪を手にとって、ドライヤーで乾かす。

 手にとって改めて思うけれど、神宮寺さんの髪は全然傷んでいない。

 こんなズボラで髪質を保てているのは奇跡だろう。


「ぁあ~」

「気持ち良いですか?」


 間抜けな声を出していたので聞いてみると、大げさにうなずいた。

 気持ちよく感じてくれるのなら僕も嬉しい。

 ドライヤーを当てていると、神宮寺さんは身体を左右に揺らし始める。

 きっと気持ちがいいから身体が自然と動いているのだろう。


「もうすぐ終わりますからね」


 十分に乾いたので、冷風に切り替えて、手で撫でながら整える。

 背中を腕で支えながら、神宮寺さんをベッドに寝かせた。

 

「終わったので寝てください」


 悟りの境地、とでもいうのだろうか。

 仰向けになっている神宮寺さんの服がはだけて、おへそが露出しているけど性的な感情は一切沸いてこない。

 服を整えて、布団を被せた。

 

「僕はこれで戻りますね。鍵はポストに入れておきます」


 多分、明日の朝には覚えていないだろうから、後でメモを残しておこう。

 帰ろうとしたとき、神宮寺さんは横になったまま、顔を少しあげて僕に声をかける。


「ママ」

「……えっ?」

「おやすみ、ママ」

「……おやすみなさい」

 

 年上の女性からママ呼ばわりされた。

 まともな状況じゃないだろう。

 でも不思議と悪くない気分だった。

 

「僕が神宮寺さんのママか……ふふ」

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