表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

召喚門と迷い子




「…………なんてこと」



ぱちりと目を開くと、そこはもう暗い地下牢ではなかった。



寝過ごしたという騒ぎではない。

明らかに、別の場所に放り出されているのだ。

あまりの驚きに尻尾を踏まれた栗鼠妖精のように目を丸くして、アンティはゆっくりと瞬きをする。



目が覚めると見知らぬ場所に居た場合、真っ先に疑ってかかるのは悪辣な妖精達の罠だろう。


取り換え子や、魔術浸食による入れ替わり、はたまた、美味しい晩餐としての食材候補な誘拐など。

侵食を得意とする高位の妖精達はその儚げな美貌に対して、人間という儚い生き物で悪辣に遊ぶ事も少なくはないし、人間をばりばりと食べてしまう妖精もいる。


人間達が思い描くよりも遥かに少ない事例だが、恋する乙女を攫う美麗な妖精達もいる。

だが、どんな理由であっても、こちらにも予定というものがあるのでどうか無断で連れ出すのはやめていただきたい。



これはもう、お腹を空かせた妖精の仕業かなとむくりと起き上がって周囲を見回したアンティの目に映ったのは、あまり妖精感のない石造りの豪奢な空間であった。




(あら………?)



見上げた天井は高く、天窓のステンドグラスは森と湖を表現しているものなのだろう。

差し込む光が白くけぶり、けれども辺りは薄暗い。

この明度と空気の匂いからすると、まだ早朝といったところか。



周囲には、ご馳走が手に入ったぞと喜びはしゃぐ妖精達はいないようだ。

その事に安堵しつつ、けれども今度は新たな疑問に首を傾げる。



(……………ここは、妖精の国じゃない。どこからどう見ても、人間の造った建物だわ。でも、こんなに立派な石造りの建物は初めて見たし、あの奥に飾られているのは、百合の祝福結晶かしら。………あんな稀少なものが無造作に置かれている国ともなると、かなりの大国だと思った方がいい)



問題は、どうしてこのような場所にいるのかだ。



目を覚ました直後は、辺りの様子も伺わずに不用心に体を起こしてしまったが、小さく乾いた息を飲み、床に座り込んだままの体を屈めたアンティは、気を引き締め直して自分が転がっていた場所を用心深く確認する。



手に触れる石床はひんやりとしていて、敷き詰められた石は見事な流星結晶だろうか。

天井から吊された香炉の装飾は精緻で美しく、焚き染められた香木の香りと、僅かな薔薇の香りがした。



色とりどりの影を落とすステンドグラスと、列柱の間に立ち並ぶ聖人達の彫像には、人ならざる者達の姿が混ざっている。

アンティの国では、国の守護を司る竜以外の人外者を祀る事は禁じられており、となるとここはあの国ではないのだろう。



もう一度、遠い天窓から差し込む光の筋に目を凝らした。



アンティがいるのは、半円形の天井に見事な天井画の描かれた大聖堂の中。

生まれ育った国にはない意匠のものばかりに囲まれ、周囲には人の気配はない。



(……………今はまだ)



だがやがて、ここに誰かが来る筈だ。

管理された敷地内で、これだけ大きな召喚の魔術が動いたのだから感知されない筈もない。


誰もいない聖堂は薄暗く、その暗がりにも目を凝らすようにもう一度素早く周囲を見回してから、アンティは手際よく擬態魔術で自分の姿を変えた。


夜あわいの紫がかった灰色の髪に、星映しの水色の瞳を、出来るだけ目立たない色彩に整える。




(用心し過ぎるにも越したことはないわ)



あの冷たく暗い地下牢からこんな場所に呼び落とされる理由など皆目見当もつかないが、唯一考えられるとすれば、それはアンティが生まれながらに持つ、魔術階位の高さだ。


それは道具にも武器にもなるし、売り物にも食材や魔術の材料にもなる。

そんな理由で獲物にされるのは不本意なのでと、これまでもアンティは誰にも知られないようにしてきた秘密は、この身に宿る唯一の特等であった。




この世界では、人間だけが体や魂に魔術を宿さずに生まれてくる。



その他の、魔物や精霊、竜や妖精達は階位に見合った魔術を体に宿し、そんな彼らが生まれながらに持つ物を他所から貰ってこなければならない人間達が想像も出来ないような偉大な魔術を振るう。


一方で借り物の魔術を扱う人間はどうかと言えば、生まれながらの個々の資質によって、扱える魔術の分量には差があった。



アンティが恵まれたのはまさにその使用量の上限で、魔術可動域と呼ばれるその数値の計測の際には、恐るべき数値を叩き出して計測に来ていた魔術師を失神させた過去を持つ。


ちょっぴり家計が傾きがちな名ばかりの爵位と古い家名を持つ辺境伯の家に生まれたが、その貧しさが幸運に傾き、助け合って暮らしていた家族の仲は良かった。


だからその時は、娘の将来の夢を知っていた両親が、その魔術師の記憶をえいっと書き換えてくれたことで難を逃れられた。

両親が守ってくれなければ、後継でもないアンティは、その場で両親から引き離されて見ず知らずの誰かに魔術師として育てられた筈だ。



(……………でも私は、魔術師になんてなりたくなかった)



アンティはずっと、伯爵令嬢らしからぬ夢だと笑われようと、古い時代の文明や遺跡の残した品物を修復する仕事がしたかった。


それは、婿入りする前の父が就いていた職業で、博物館に飾られる古い美術品や石壁の色を洗う仕事である。


アンティの生まれ育った国には職業の貴賎はなかったが、どのような仕事なのかに耳を傾けてはくれても、なんと地味な仕事だと呆れる人達も多かった。


けれども、魔術洗浄をかける際に、柔らかな月光や花明かりの祝福を触れさせると、淡く息を吐くように色付く品々の美しさは例えようもない。


くすんで濁っていた色が鮮やかに煌めき、汚れて見えなくなっていた壁画が蘇る。

すると、綺麗にしてくれたアンティに感謝してぽわぽわとした祝福の煌めきを見せてくれたり、可憐な魔術の花を咲かせてくれたりもするのだ。


そんな仕事がどれだけ誇らしく、苦労して手をかけて美しさを取り戻した所蔵品が、どれだけ大好きだったことか。


おまけにその大事な修復の仕事は、アンティが長年の努力を重ねて漸く手に入れたもので、あまり人付き合いが上手ではないアンティにとって、たった一つの宝物で、最後の誇りだった。



その全てを奪われ追いやられた暗い地下牢の冷たさを思い出し、アンティは、ふうっと溜め息を吐く。



じりりと胸の底で揺れたのは、小さなとげとげした怒りで、出来る事ならそれを掴んで、あのハルヴェールにえいっと投げつけてやりたい。

極悪非道な竜めに報復してやる筈だったのに、またしてもなぜ、こんな訳の分からないおかしな目に遭わなければならないのか。




(どうやら、運命はあの竜に味方をしたらしい…………)



ここからはもう、アンティが思い描いた復讐は叶わない。



ゆっくりと立ち上がり足元を見れば、床石に浮かび上がった魔術陣が青白く煌めいていた。

背後に聳えるのは、息を飲むほどに美しい彫刻に飾られた白灰色の魔術の門。



これはもう間違いなかった。



不本意だったが、修復の仕事をするにあたり上級の魔術式にも触れさせて貰えるよう、修復魔術師の資格を取ったアンティだからこそ、断言出来る。



(これは、召喚門だわ………)




そして、さすがにここまでのものは、人間の叡智では象れない。

恐らくは人外者が暇潰しに作った作品であろうこのとんでもない門を使い、誰かが召喚術式を行ったのか、それとも単なる事故なのか。



どちらにせよここは、アンティが産まれ育った国どころか、下手をすれば時代すら違う場所だろう。

アンティを指定しての召喚か、それともその他大勢の中から引き当てられたかは兎も角、本当の姿を隠しておくぐらいの慎重さは必要だと判断する。


今更命が惜しいのかと問われるのなら、復讐の為に使えないのなら考えさせて欲しいと答えるだろう。


アンティは、ただ、何でもいいから死にたい訳ではない。




(……………そうか。私はもう、あの地下牢にはいないのだ)




ステンドグラスから落ちる青い青い光に、美しい冬星の竜の、宝石のような瞳の色を思い出す。

ぎくりとして息を飲むと、冷たい床に触れ続け強張った指先で、じわっと熱を持った目元をぐしぐしと擦った。



こうして高い窓から差し込む光の筋は、初めて足を踏み入れた王宮の中で、冬星の竜の王へ謁見させられた日の光の色によく似ていた。



あの日は朝から激しい雨が降っていて、王宮は、仄暗い灰色の影に沈んでいた。

そんな薄暗い王宮に造られた彼の為の玉座の間で、これがあなたの運命の乙女ですと差し出されたアンティを一瞥した、ハルヴェールの眼差しを今でも覚えている。


ひやりと胸が冷えるような無関心な目でアンティをなぞり、ただ無言で背を向けて立ち去ったあの美しい竜がいる場所では、ただの一度だって泣いてやるものかと、アンティはずっと歯を食い縛ってきた。


張り裂けそうな胸を押さえ、潰れそうな心臓を叱咤し、息を切らして涙を堪えて駆け抜けたあの日々。

あの悲しみの代償を、ハルヴェールに支払わせられなかった事を思えば、その辺りにあるものを手当たり次第に遠くへ放り投げたくなる。




初めて見上げた時の、ハルヴェールの、吸い込まれそうに綺麗な水色の瞳。




修復用の工房に篭りきりで、長らく雇用主以外の人に会わずに生きてきた一人ぼっちのアンティにとって、それは初めて見る、震える程に美しいものだった。


そんな特別に偉大なものでなくても良かったのだけれど、この美しいものが自分の運命に用意されていた贈り物なのかと思えば、もう寂しくなくなるのだとどれだけ嬉しかったか。




アンティの家族は、森からの延焼による火事で亡くなった。


両親と兄が亡くなった後、辺境を守る為の爵位はその役割を引き継げる遠縁の親族に譲り渡してしまい、復興に向かう故郷を出たのはまだ子供だった頃。


どれだけ故郷が恋しくても、先代の血筋の自分が残っていると火種になりかねないからと故郷を捨て、近くの大きな町で工房の見習いとして働き始めた。

家族の遺産などは元より辺境伯の蓄えにはなく、苦労して苦労して生活の基盤を作ったのだ。




(そこまで苦労して作り上げたものを取り上げられて腹を立てていた筈なのに、……………私は、それでもいいと思ってしまった)



その時はまだ、自分の宝をこの上なく大事にするという竜がお相手なのだから、王都に召喚された際に無理矢理退職を余儀なくされた事情を説明すれば修復の仕事にも復職出来るだろうと、そんな甘い展望すら抱いていた。


王都からの使者が示した託宣の魔術に綻びがないかは自分でも調べたが、どこかで、あまり優しくなかった運命がここで反転するのだろうかという、子供染みた期待を持ってしまっていたのだろう。




そしてハルヴェールは、そんなアンティに力一杯ぶつかってきて、ちっぽけな心を粉々にするくらいに、恐ろしく美しいひとだった。





「…………っ、」




しっかりと御し続けた心が痛み、アンティは、慌ててぶんぶんと首を横に振った。


ハルヴェールはもう、自分を選ばなかったのだ。

他の誰かの為に自分を破滅させようとした男の事を、もう二度とこんな風に考えてはいけない。




“あなたはどうして、私の事を嫌うのですか?”



そんな問いかけを、どれだけの間、途方に暮れて心の中で抱き締めていただろう。


アンティが許されたのは最初の謁見の時の挨拶と、最後の舞踏会の日にダンスを踊って欲しいと請うた言葉だけ。

それ以上の言葉を交わした訳でもなく、ただ、最初から嫌われていた。

だから、直接差し出す機会すら与えられなかった惨めなその言葉は、とうに胸の中で腐り果てている。




(だからもう、……………私は、ハルヴェールなどいらないのだ)



羨望がないとは言わない。

未練だって、掃いて捨てるほどにある。


どうせなら、誰からも愛されて心根も温かく清廉で、よりにもよってアンティの唯一のものの心すら取り上げてゆく可憐な王女のようになりたかっただなんて、そんな当たり前の事を願わなかった筈もないけれど。



でもそれは、アンティの手には入らなかった、他の誰か用の幸運でしかないのだ。



ぎゅっと指先を握り込み、深呼吸をする。

目を閉じて涙の欠片を押し留め、誰一人助けてくれなかった冷たい王宮の記憶を心の中に作りつけた鍵付きの戸棚の中にぎゅうぎゅうと押し込める。


そうして、こつこつと床を踏む少しだけ焦ったような靴音の主達がこの聖堂にやって来る前に、アンティは、込み上げてきた全ての涙を飲み込んでみせた。




(よし………!)



きりりと背筋を伸ばし、第一印象は大事なのだと自分に言い聞かせながら、とは言え残念ながら投獄仕様なままの身なりを、魔術を使って出来るだけ整える。



もうすぐやって来る人達に、どうしてここに召喚されてしまったのかを教えて貰い、出来ればこんな目に遭わされた責任は取って貰おう。


アンティは、生涯でただ一度の、あの竜への報復の機会を永劫に失ったのだ。

それくらいの補填は為されるべきである。





結論から言うと、アンティは、迷い子としてヴェルクレアという名前の見知らぬ国の、ガーウィンという領地で保護された。



信仰に特化したその土地には、幾つもの教会や聖堂が立ち並び、高く聳える建築の妙には目を瞠るばかりだ。


アンティが暮らしていた国よりも夜が長く、なかなか朝の来ない国ではあるが、迷い込んだのがこの豊かな国で良かったと思う。

そのお陰でアンティはきちんと生活の保証を得られたし、恵まれた土地に暮らす人々は、本音はどうであれ優しく礼儀正しかった。




だがそこはもう、気紛れな竜のいい加減な裁定で断頭台送りになりかけた不運なアンティの運命なのだ。

少しも油断出来ないどころか、まったく息を吐く猶予さえ与えられず、事態は急展開を迎える。



そうして訪れた悲劇は、ここは心機一転、誰も自分を知らない場所で新しい運命を育ててみようかと、久し振りに真っ当な思考に辿り着いたアンティを、しっかりと怒り狂わせた。




その国には、アンティが絶対に許さないと決めた、あの冬星の竜の王がいたのである。












評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ