妖精の輪環 1
鈍い鉛色の刃が風を斬った。
ボロボロで今にも朽ち果てそうなそれは、光を浴び、最後の輝きを放つとその役目を終えた。
威嚇するような奇声は舌打ちだったのかもしれない。壊れた短剣を投げ捨てると、不潔な爪を振り回してくる。
ペイジは軽く背後に跳んで爪を避けると、鋭く息を吐き、前屈みになりながら地面を強く蹴った。
一瞬で間合いを詰めると同時に、右手に握られた剣が風を斬っている。
流れるような動きは、ゴブリンの首を薙いだ後も止まらない。
剣を振り抜いた勢いで身体を回転させると、弾かれるように左足で蹴りを放っていた。
鈍器と化したそれは、軽鎧に覆われていない柔らかな腹部に突き刺さり、内臓を完全に破壊した。
「――ペイジ、後ろ!」
凛とした女性の声が響いた。
振り返った先に、奇声を上げながら突っ込んでくる影が二つ。舌打ちを一つ、ペイジは剣を構えなおした――
「気を抜きすぎじゃない? ねえ、ペイジちゃん?」
紅玉の瞳が面白そうに笑っている。
ペイジは応える代わりに、強くその身体を引き寄せた。
「きゃっ!」という小さな悲鳴――掠めるように飛来した矢が地面に突き刺さった。
「気を抜きすぎじゃないか? フレア」
「……」
フレデリアは頬を膨らませながら、上目遣いに睨んでくる。持っていた杖で地面を突いた。
どこか遠くで爆ぜるような轟音。フレデリアが鼻を鳴らす。
「何匹やった?」
「いまので三匹目」
憤然やるせないといった表情でフレデリアが応える。不意を突かれたことが相当頭にきたらしい。
「先を急ぐぞ」
剣を収めたペイジは、フレデリアの肩を軽く叩くと、先に立って歩き出すのだった。
それは立ち寄った街で、少し遅い昼食をとっていた時のことだった。
硬いパンと具の少ないスープ。普段野宿をする二人にとっても、質素すぎる食事だ。
物足りない、と、げんなりとした表情でパンを頬張るフレデリア。
ペイジは聞こえないふりをして、外の様子を眺めていた。
小さいながらも活気のある街だ。
行きかう馬車、商人たちの威勢のいい声、小走りに買い物をする女性の姿。白を基調とした建物の群れは、絵画のような美しさがあった。
しかし……ペイジ達を見る目にはどこか冷たいものがあった。
本来街にとって、旅人は貴重な情報源だ。近くの街との橋渡しや魔物の情報、他国の噂話などその用途は多岐にわたる。
だが、この街の住民はペイジ達を遠巻きに見るだけで、近づいてくるどころか敵視している感もある。
現に食事をしている酒場の主人も、関わりたくないという態度を隠そうともしない。
思わずため息がこぼれた。
……しかたがないことだとは、思う。
かつての戦火がこの街にも襲ったのだろう。
復興に復興を重ね、ようやく取り戻した平穏……それは帝国の支配下のもとに約束された、かりそめのものだからだ。
全ての妖精、人間は妖精女王の元に統制されるのが世界の真理である。そう掲げたイルファータ帝国が、大陸全土に侵攻を始めたのはつい最近のことだった。
その勢いは凄まじく、僅かな間に幾つもの国がその滅ぼされ、支配下に置かれた。
それは、かつてペイジたちが暮らしていた国も含まれている。
帝国に従わなければ、同じ種族である妖精も蹂躙する……彼らのやり方に、反旗を翻す者もいたが、その全ては瞬く間に駆逐された。
民衆に残された道は、帝国の逆鱗に触れないようおとなしく従うことだけだった。たとえ、それがどんなに過酷であろうとも……
――息苦しい世の中だとペイジは思った。
今では、他国の旅人というだけで、厄介者の扱いされる。妖精ならまだしも、人間ならなおさらだ。
ふと、ペイジは少し奇妙な感覚を憶えた。
敵視した視線の中に、どこか好奇に似た、くすぐったい感覚――忙しく歩く街人達の間から、まっすぐこちらを見る一人の少女の姿があった。
少女はペイジと視線があったことを知ると、小走りに駆け寄ってきた。
「お花、いりませんか?」
まだあどけなさを残す顔立ち。微かに頬を染め、上気させた吐息。清潔に整えられた亜麻色の髪が揺れる。
籠いっぱいに入った色とりどりの花を見せると、にっこりと微笑む。
「かわいい!」
不機嫌が一変、フレデリアの顔は蕩けんばかりに歪んだ。
「おい、フレア――」
「ねえね、お花、買ってあげようよ。どれがいいかな?
お花もいいけど……でもやっぱり私、この子が欲しい!」
爛々と目を輝かせながら、いやらしい手の動き。
さすがに身の危険を感じたのか、花売りの少女がぎこちない笑顔を浮かべて、フレデリアから距離を取ろうとする。が、すでに魔の手は少女の髪やら顔やらに伸びている。
仕方がない。ペイジが銅貨を二枚取りだすと、少女に手渡した。
「ありがとうございます!」
揉みくちゃにされながらも、少女がこぼれんばかりの笑顔で応えた。
「……それで、何か用? お花売りにきただけじゃないでしょう?」
ようやく少女を解放したフレデリアが訊いた。
口調は柔らかいが、その眼は笑っていない。先ほどまでの笑顔が嘘のような豹変ぶりである。すでに片手は愛用の杖に触れていた。
「フレア」ペイジは諌めるように視線で制した。
不穏な空気に村人たちがざわめき始めていた。
フレデリアの視線に動じることなく、少女は微笑んだままだった。
花売りの少女はアリスと名乗った。旅芸人の一員だという。
こことは違う街で拾われた孤児で、弟と妹の三人で世話になっているという。
三人は主に花売りと集客を担当しているという。しかし、弟達はアリスの目を盗んで村の外に遊びに出てしまった。
「外は魔物がいます。探しに行きたいのですが、この村は私たちにも冷たくて……」
涙ぐむアリスにフレデリアは少しバツの悪い顔をした。
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