クローディア 2
幸いなことに、まだ屋敷に蝶の姿はなかった。
屋敷の扉を蹴破る勢いで開けると、驚いた使用人たちが悲鳴を上げた。
「お嬢様、何とはしたない――」
「私をお嬢様と二度と呼ぶな」
吐き捨てるように言うと、私は二人の待つ部屋へと向かった。
「ローディ!」
扉があけ放たれた部屋の前で、ぼろぼろと涙をこぼすフレデリアが飛びついてきた。「ペイジが、ペイジが息をしていないの」
その言葉に、私の頭が真っ白になった。
「ペイジ、ペイジはどこ?」
なんとか振り絞った言葉は、酷く掠れている。
フレデリアが手を引いて歩きだした。私は震える小さな手を握りしめ、重たい足を引きずるようについて行った。
広い部屋に置かれた、大きな寝台の上に彼は寝かされていた。
「ペイジ――」
気を抜けば崩れそうな足を、なんとか奮い立たせる。そっと顔に触れてみると、驚くほど冷たい。
「……フレア、何があった?」
私の問いに、少女はぶんぶんと首を振る。
「わかんない……わかんないよ。突然、苦しそうに胸を押さえたの。そしたら――。
ねえ、ペイジ、死んじゃうの?」
堪え切れず声をあげて泣き始めたフレデリアを、私はそっと抱きしめた。
「大丈夫、大丈夫だから……」
それは自分に言い聞かせていたのか。フレデリアの髪を、頬を撫でて――気がついた。
「……フレア、あなた……」
フレデリアの頬から徐々に体温が失われていく――息も荒くなってきているようだ。
そして私の身体にも異変が起き始めていた。
両手が凍えるように震えだす。身体が、鉛のように重くなってきた――
「クローディア!」
ガシャガシャとけたたましい音を立てて、甲冑を着こんだ何かが入ってきた。
反射的に剣に手を掛けると「まて、私だ。グラウスだ」
甲冑が重いのか、近くの椅子を引っ張り出すと、どかり、と腰を下ろした。
「そのふざけた格好は何?」
呆れと怒りが混ざり合う。こいつはどこまで私を苛立たせるのだろうか。
「これを身につけろ」
ギシギシと動くたびに不愉快な音を立てながら、グラウスは手甲に覆われた手のひらを見せた。
「これは……?」
握られていたのは何の変哲もない首飾りだ。
「聖人の加護が込められた魔除けだ。あの蝶は、地上の全ての生物から生命力を奪う呪いを発しているようだ。これを身に着けていれば、あの程度の呪いなど恐れるにたらん。
そしてこの甲冑は彼の偉大なる妖精王がかつて――」
私は首飾りを奪い取ると、フレデリアの首に巻いた。
驚愕するグラウスを無視して、ペイジに向き直る。
「つまり、私たちは命を吸い取られているわけね」
私は大きく深呼吸をすると、ペイジの頬を押さえ――
「まて、何をするつもりだ!」
肩を乱暴に掴まれ、強引に引き寄せられた。
「邪魔するな!」
自分でもぞっとするほど殺気に満ちた声。だが、グラウスは手を離そうとしなかった。
「その子供に、自分の生命力を分け与えるつもりか!」
「離せ! 早くしないと、ペイジが死んでしまう!」
「馬鹿な真似はよせ! その子は我々と違う! 人間なのだぞ!」
私は、グラウスの手を払いのけた。
「それがなんだ! 私がこの子を助けられるなら、喜んで命を差し出す!」
――そう、あの日に決意していたのだ……
心の奥底から蘇る記憶――
私は過去に多くの人々の命を脅かし、奪ってきた。
国を守るために、国民を守るために、仲間を守るために、自分を守るために……
自分自身に言い訳をして、私は前線に立ち、人の命を奪っていた。
男も、女も、子供も、立ちはだかるのなら何もかもを斬り裂いた。
やがて戦争は、私の祖国が勝利して終結した。
そして、気がついたのだ。
魂まで血に染まった私には、戦場にしか居場所がないことに……
――いずれ、私のように、あなたを必要とする人が現れるわ。
そう言って、私を送り出したのは誰だっただろか。
霞みがかった記憶は、もはや思い出すこともままならない。
国を捨て、彷徨い、やがてたどり着いた先で見つけた、二つの小さな命――
「……なぜ、そこにいたのか私は知らない。
奴隷商から売られたのかもしれない。人狩りから逃げてきたのかもしれない。どこかの村から捨てられたのかもしれない……
でも、どんな理由があろうと、私はあの時、命をかけてこの二人を守ると決めた」
それが贖罪になるとは思わない。
私は咎人だ。生ける亡者だ。
幸福を感じることも、平穏な日々を過ごすことも、到底赦されることではない。
だが、それでも、二人は血に濡れた私の手を握ってくれた――
「お願い、ペイジ……私を、私達を置いて行かないで――」
私はペイジの小さな唇に、そっと自分の唇を押しあてた――
駄文を読んでいただき、ありがとうございます。
不定期投稿です。
何とか完結できるように頑張ります。