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25*Agenda

Agenda――議題


私立薬師寺学院特進科 談話室


 C20H25N3O・リゼルグ酸ジエチルアミド。デバイスの色は黄色。

 非常に強烈な作用を有する半合成の幻覚剤で、純粋な形態では透明な結晶だが、液体の形で製造することも可能であり、これを様々なものに垂らすことで様々な形状を取る。

 麻薬及び向精神薬取締法で麻薬に指定されている。

 C11H15NO2・メチレンジオキシメタンフェタミン。デバイスの色はパステルピンク。

 メタンフェタミンに似ているものの幻覚作用も併せ持っており、多種多様な色や形を持った錠剤として売られている。

 麻薬及び向精神薬取締法で麻薬に指定されている。


 2人とも幻覚系の生徒で、普段は封印されているが、今この瞬間は担任である松本まつもととの交渉で解放されており、談話室で仲間達と話している。


「リゼ姉さん達、解放された気分はどうかなー?」

 C12H17N2O4P・シロシビン。デバイスの色は黄緑。

 マジックマッシュルームと一般に称されるキノコに含有される成分である。

 リゼルグ酸ジエチルアミドと似た化学構造や作用を持ち、またメチレンジオキシメタンフェタミンと似た思考を持つので、その2人とは仲がいい。

 麻薬及び向精神薬取締法で麻薬に指定されている。

「気が楽になるね。私らは好きで封印されてる訳じゃないからねぇ…人間共に見せてやってもいいくらいだよ」

「ね、やっぱ部屋にこもってんのつまんないでしょー?」

「うんうん!やっぱ皆いると楽しいもんね!」

「その通りですね。危うく俺も封印されかけましたから」

 C21H30O2・‬テトラヒドロカンナビノール。デバイスの色は紫。

 カンナビノイドの一種で、大麻の主な有効成分となっている。脳などに存在するカンナビノイド受容体に結合することで薬理学的作用を及ぼす。‬

 麻薬及び向精神薬取締法で麻薬に指定されているため、彼を用いた臨床試験は麻薬研究者でない場合禁止されている。‬

「…そう。あ、リゼルグさん達も一緒なんですね」‬

 C13H16ClNO・ケタミン。‬デバイスの色は青紫。

 アリルシクロヘキシルアミン系の解離性麻酔薬であり、医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律の処方箋医薬品・劇薬に指定されている。

 世界保健機関による必須医薬品の一覧に加えられているが、乱用薬物でもあるため、日本では麻薬及び向精神薬取締法で麻薬に指定されている。

「ほら、2人も来ていいよ」

「ケタミンさんが言うなら…」

 C4H8O3・四ヒドロキシ酪酸らくさん。デバイスの色は薄紫。‬

 概ねγ-ヒドロキシ酪酸と呼ばれるヒドロキシ酸の一種で、中枢神経系の抑制効果、睡眠作用・性欲増強作用を持つ。

 麻薬及び向精神薬取締法で麻薬に指定されている。

「じゃあ僕も。テトラ、隣いい?」

 C21H27NO・メサドン。上位会議の8番目で、デバイスの色は青。‬

 オピオイド系の合成鎮痛薬である。

 非常に高い脂溶性を持つため、ジアセチルモルヒネを始めとしたモルヒネ系の薬剤よりも持続時間が長い。

 麻薬及び向精神薬取締法で麻薬に指定されている。

「お兄…!どうぞどうぞ!」

 そのまま2人も席に着くと、メチレンジオキシメタンフェタミンがメサドンに問うた。

 「‬ねえ、ちょっといい?」

「エクスタシーか。…なに?」

「メサドン君達ってどんな関係なの?」

「ああ、僕らはケタミンさんの…弟子って言えばいいのかな。彼女、かっこよくてさ」

 彼らはケタミンについていることから『ケタミン連合』『ケタミン陣営』と呼ばれており、ケタミンを含めた4人ともが銃を武器としていることからそれに引っ掛けて『四銃士』と呼ぶ者もいる。

「ケタミンとどうやって出会ったんだい?」

 今度はリゼルグ酸ジエチルアミドが問う。

「僕は…ああ、こうだったっけ」


半年前 私立薬師寺学院特進科 治療室C


「君、初心者かな。両手で撃ってるね」

 ケタミンは、治療室にて銃を両手で持っていたメサドンを偶然見かけた。当時の彼は特進科に来て日も浅く、戦い慣れていなかった。

 そんな彼を、彼女は見出した。

「練習中なの?銃は片手で撃つものだよ」

「はい、まだ慣れてなくて。そうなんですね…そうしてみますね」

「君、名前は?」

「C21H27NO、メサドンといいます。16歳です。僕は転級したばかりで…」

「メサドンかー…私はC13H16ClNO、ケタミンだよ。君が来るまで学級委員をしていたの」

 メサドンが学級委員をしているのを、ケタミンは元々その座にいた者として知っていた。だが、面と向かって話したのはこの時まではなかった。

「ケタミンさんですね。…教えてください。色々なこと」

「うん、勿論。…メサドンは、強くなりたいの?」

「あ…はい。利用したいなーって思ってる人がいて。ジアセチルモルヒネさんっていうんですけど」

「ジアセチルモルヒネ…ヘロインか」

「はい…え、その人と何か…」


「私はあいつが大っ嫌いなの…!人間も嫌いだけど、ヘロインはもっと嫌い…!あいつだけは…あいつだけはあいつだけはあいつだけは!」


 ケタミンはいつもジアセチルモルヒネと比べられていた。ジアセチルモルヒネ本人の前ではそれを決して表に出さないが、いつも自分の上にいる彼女が嫌いだった。

 だからこそ、彼女だけは越えたいと思っているのだ。

「…ごめん、びっくりさせちゃったね。ヘロインを利用したいんだね?」

「はい…できたらいいなと…」

「それなら、私と一緒に来て。私は最強を目指している。ヘロインに勝って、頂点に立ちたいの」

「いいんですか?」

「うん、いいよ――君はもっと強くなれるよ」

 メサドンは、既にケタミンの真っ直ぐな狂気に呑まれていた。

「はい…!」

「私も銃を使ってるんだ。あと私を慕ってる子――C4H8O3・‬四ヒドロキシ酪酸。彼女もね」‬


 後日、テトラヒドロカンナビノールにも出会った。彼も銃を使っているらしい。‬

 彼はメサドンを『お兄』と呼び慕うようになり、そのままケタミンの陣営にも入った。‬


 器用で成績が良いこと。

 冷静であること。

 麻薬及び向精神薬取締法で麻薬に指定されていること。

 イメージカラーが青から紫の間のどれかであること。

 銃を武器にしていること。

 そして――誰かに執着していること。


 そんな共通点を持つ彼ら4人は、いつしか一つの集団として扱われるようになった。


 ***


「――と、まあそんな訳なんだ」

「ケタミンさん、かっこいいもんね!」

「その上、僕達より強そう!いつか戦ってみたいなー!」

「シロシビン君ったら…まずは僕らに勝てたらね?」

「えー?メサドンも強いもん!何たって上位会議の8位なんでしょー?ある意味ケタミンの1番近くにいる薬じゃなーい?」


「…僕は、そこまで強くないよ?」


「えっそうなの?メサドン君って…ほら、脂溶性めっちゃ高いんでしょ?だからヘロインさんより効きやすいっていうじゃん?」

「ホントに?だったらヘロインなんてもうフルボッコにできるんじゃなーい?」

「それはないよ。姉さんはもっと強いから、簡単に勝てる人じゃないと思う。あと、姉さんと戦うとしたら多分ケタミンさんだよ」

「そうですか?お兄は…」

 充分強い、と言いかけて留まる。


 ――正直に言おう。

 ――お兄を慕う俺から見ても、お兄はまだたどり着けていない。

 ――ケタミンさん以上に真っ直ぐには狂えない。


 ――自慢ではないが、はっきり言って俺は狂ってはいない。

 ――そんな俺と比べたら、どこか危ういところはある。

 ――でも今はまだガンマと同じくらいだ。

 ――それでも充分と言えるかもしれない、だが。


 ――まだ足りない。

 ――お兄はもっともっと上まで行けるはずだ。


 テトラヒドロカンナビノールはメサドンを慕っている、その一方で少々高い期待を寄せている。

 彼が慕っているのはメサドンだが、彼にとっての完全な存在はケタミンだった。


 ――待てよ。俺の色は紫で、お兄の色は青。

 ――ケタミンさんの色は、青紫。俺とお兄の間の色。

 ――俺とお兄を足してガンマで割ったら、ケタミンさんに…


 ――完全になれるのだろうか?


「…ん、どうしたの?テトラ?」

「あ…なんでもない」

「そう?」

「確かにおかしいわよ、テトラさん」

「ガンマまで、酷いこと言うのなー!」


 その時、銀の髪が彼らの前を横切った。


「…リタリン?」

 C14H19NO2・メチルフェニデート。デバイスの色は白。

 精神刺激薬である。

 医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律で処方箋医薬品・劇薬に、麻薬及び向精神薬取締法で第一種向精神薬に指定されている。


 彼女は研究室にいたが、制御を終えて戻ってきたのだ。

 だが、まだ完全に制御しきれているとは言えないため、しばらくは腕時計型の制御装置を着けての生活をすることになっている。

「ああ…メサドンか。…と、そこの金髪のは…」

「初めましてー!僕はC12H17N2O4P・シロシビン!」

「シロシビンか、よろしくな。リタリンやコンサータと呼ばれているから、好きに呼んでくれて構わないぞ」

「よろしくー。一緒に頑張ろうねーリタリーン!」‬

 「ああ。頼むぞシロシビン」‬

 「‬ね、いつか戦おうよ!」

「…それは丁重に断らせてもらおう」


翌日 瑠璃光総合病院 病室


 神宮寺じんぐうじ彼方かなたの夢にある変化が訪れていた。

 メチルフェニデートによく似た少女が出てこなくなったのだ。

 それで彼女のナルコレプシーが治ったわけではないが、平穏への第一歩だと言えよう。


 その日、朝長ともなが真結まゆは彼方の病室に見舞いに来ていた。メチルフェニデートはいない。

「はい、これ今月のノート」

「ありがと。あとね、最近女の子の夢は見なくなったんだ」

「そうなんだ…よかった!」


 ――うん、本当によかった。

 ――私以外の女の子の夢見たって聞いた時は流石に嫌だったけどね。

 ――女の子が薬だと聞いて安心したかも。

 ――『真結…私の力を借りればその薬なんて一発なのに』

 ――そうかな?っていうか、ソマンは出てこなくていいよ。

 ――いくらソマンでも彼方ちゃんは絶対に渡さない。


「ありがと。…真結、顔どうしたの?」

「なんでもないよ!彼方ちゃんは知らなくていいからね!」


 ――顔に出てたか。

 ――そう、彼方ちゃんは知らなくていい。


 ――私とソマンが身体を共有しているとか。

 ――私が、彼方ちゃんを好きだとか。


 ――彼方ちゃんだけは、知ってはいけないの。


「ごめん、聞いちゃって」

「大丈夫!病院の外で会長達待ってるから。またねー!」

 真結は病室を出て行った。


数分後 瑠璃光総合病院 カフェ


 そこには真結と同じ生徒会役員である、沢上さわがみ朱紗つかさ三川みかわ早織さおりがいた。

「真結、神宮寺さんは?」

「夢に女の子は出なくなったそうです!」

「そう…よかったわ」

「こりゃぁ、退院も近いかの?」

「だといいですね!」

「私らも待っとると、そう伝えておいたかの?」

「はい!」

「このまま何もないといいんじゃが…」


 ――真結、ちと来るのが早すぎではないかの?

 ――折角私は、待ってる間早織といられたのにの…

 ――『早織?…ああ、サリンが憑いている女子おなごかの?』


 朱紗と早織、そして真結は生徒会選挙を過ぎて選ばれてから仲を深めた。

 だが、彼女らに取り憑いているタブン、サリン、ソマンは、取り憑かれている先の人間が出会う前から仲が良かった。それもそのはず、3人とも第二次世界大戦前後にドイツで開発された神経ガス・G剤だったのである。‬

 彼女らはどれも神経に作用する毒で、アセチルコリンエステラーゼの働きを阻害する。


 ――タブン、何を言っておる。

 ――『多分じゃが早織にはサリンが、真結にはソマンが』

 ――『現に朱紗には、この私が憑いておろう?』

 ――そうじゃのう。


 ――『のう朱紗、多分じゃが…早織が好きなのかの…?』

 ――そうじゃ。悪いか?

 ――『悪いわけないじゃろう。私と同じじゃ』

 ――そうかい。じゃが、早織は神宮寺を気にかけとるみたいでのう?

 ――『分かるぞ!私もサリンが好きじゃ!』

 ――『のに、サリンはチオペンタールとかいう輩のことばかり…!』

 ――『あの組織も…サリンとソマンは使う癖に、私のことは見捨ておって…!』


 朱紗とタブンは、その部分だけで恐ろしく気が合っている。


「朱紗?」

「あ…ああ。何かのう、早織?」

「まったく、真結も朱紗も最近変よ?神宮寺さんのことが気になるの?」

「はい、そうですね」


 ――彼方ちゃんのことが気になっているのは事実だ。


「私は違うぞい」


 ――早織、お主じゃよお主。


「私達は神宮寺さんを見舞うために来ているのだから、そういうことは別に隠さなくてもいいのよ?」

「そうでしょうか…」

「まあ、誰かのことを引きずるのは別におかしくもないことよ」


 ――私はそうではないけれど。

 ――『メチルフェニデート…まだ引っかかるのよね…』

 ――サリン、どうして貴方が?

 ――『チオペンタールとあの子は、どことなく似ているのよ』

 ――『そりゃあもう、嫌になる程ね』


 ――何故?

 ――チオペンタールは麻酔薬で、メチルフェニデートは精神刺激薬でしょう?

 ――『そういう意味じゃないのよ、早織』

 ――『あの子、いかにもクールで真面目で真っ直ぐな感じがするの』

 ――『チオペンタールも…そういう薬だから』

 ――そう。…サリンったら。知らないわ、そんな薬の事情なんて。


「ご注文の品をお持ちしましたー」


 店員が、3人分の品物をテーブルに載せて去っていった。


同時刻 私立薬師寺学院特進科校舎 A教室


「どうしたんすかー、ラボナールさん」

「そうです。何かあったのですか、貴方らしくもない」

 ラボナール――チオペンタールはひとり物思いに耽っていた。

「…アルプラゾラムとフェンタニルか」

 チオペンタールは、彼と同じ静脈麻酔薬であるフェンタニルとはそこそこ面識がある。その関係ではケタミンやフルニトラゼパム、ジアゼパムとも顔を合わせることが多く、特にケタミンには頭が上がらない。

 ちなみにアルプラゾラムのことはあまり知らない。

「お前達は共に行動することが多いな?」

「まあ、相方っすからね!」

「その通りです。俺とアルプラゾラムの組み合わせを貴方1人で越えようとでも思うのですか」

「別にそれはどうでもいい。お前達2人を超えられる組み合わせがジアセチルモルヒネとコークさん以外に思い浮かばなくてな」

「やっぱりスピードボール来るっすか!」

 スピードボールとは、ジアセチルモルヒネとコーク――ベンゾイルメチルエクゴニンを混ぜた速効性の麻薬である。スピードボールの使用は、彼女らのいずれかの単独使用よりもいっそう危険である。

「ああ。…メチルフェニデートなら――そいつらも越えていけるのだろうな」

「メチルフェニデート…彼女なら大丈夫でしょう」

「ちょいちょい2人とも、リタリンさんに期待かけ過ぎっすよー?」


「そうだぞー?」

「…ジアゼパムか」

 C16H13ClN2O・ジアゼパム。上位会議の10番目で、デバイスの色は朱色。

 ベンゾジアゼピン系の向精神薬の一種である。

 非常に広範な適応を持つためか、広く用いられる標準的なベンゾジアゼピン系の一つで、世界保健機関による必須医薬品の一覧に加えられている。

 医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律で処方箋医薬品に、麻薬及び向精神薬取締法で第三種向精神薬に指定されている。

「リタリンのことはあんまり知らないけど、俺を巻き込むのはやめろよー?」

「わかっている、お前は関係ない。…フルニトラゼパム、お前も出てきたらどうだ」

 チオペンタールは物陰に隠れた少年を看破して言った。


「ああ。…で、お前ら。リタリンが何だって?」

 C16H12FN3O3・フルニトラゼパム。デバイスの色は橙色。

 ジアゼパムと同じく、ベンゾジアゼピン系の向精神薬の一種である。

 上位会議には数えられていないものの、投与量ベースで最も強力なベンゾジアゼピン睡眠薬の一つとされており、日本の精神科治療薬のうち過剰摂取時に致死性の高い薬の3位である。

 麻薬及び向精神薬取締法で第二種向精神薬に指定されている。

「フルニトラゼパムさん、どうして貴方がいるのですか」

「何でって…たまたまだよ、たまたま!それよりリタリンがどうしたんだよ!」

 彼はメチルフェニデートを他の薬に巻き込まれないか心配している。

「落ち着いて聞け。――メチルフェニデートが『はじまりの薬』に目をつけられているらしい」

「…誰だよ、それは」


『はじまりの薬』。

 今は特進科の地下にある研究室『ナルキッソス』に閉じ込められ、眠らされている。

 ジアゼパムを始めとする多くの生徒はまだその存在を知らない。


「バルビタール。俺と同じバルビツール酸系の薬だ」

 C8H12N2O3・バルビタール。商品名はベロナールで、デバイスの色は灰色。

 1903年から1930年代中ごろまで使われていた睡眠薬で、最初のバルビツール酸系薬剤である。

 特進科全体で見ればモルヒネの方が古参だが、モルヒネは『麻薬』であるため、『向精神薬』のくくりで見れば彼が最初だということに便宜上はしている。

 彼に副作用はほとんどなく、治療用量は中毒量よりも低かったが、長期にわたる使用によって耐性がつき、薬効を得るために必要な量が増加した。遅効性であるため致命的となる過剰摂取が珍しくなかった。

「まさかそいつもリタリンさんを狙ってるんすか?あの人どんだけ人気者なんすか!」

「それだけやばいってことだよ。ほら、リタリン騒動ってあっただろ?それ以降はあいつの流通が厳格に管理されているくらいだからなー」

「ああ。決してメチルフェニデート自身に引かれているわけじゃないんだろう。彼らが引かれているのは彼女の、そしてデキストロメチルフェニデートの底が知れない強さだ」

「確かにな…人間も、強い薬ばっか好んで使うんだよな。お陰でオレは望んでもねえのに引っ張りだこだ」


 ここのところ、営利を目的とした無許可での向精神薬販売が後を絶たない。

 手放された薬はそれを求める人間の手に、多くはネット掲示板やソーシャル《S》ネットワーキング《N》サービス《S》を通じて渡る。薬を仕入れ値の2倍以上の値段で売り捌く人間もいる。それと引き換えに得た金でまた強い薬を病院から貰ったり、誰かから貰い受けたりするのだ。中には向精神薬の詐取を目的とした処方箋の偽造・変造にまで及ぶケースもある。

 もちろんこの行為は麻薬及び向精神薬取締法に違反するが、人間は薬の強さや金に目が眩んでしまうのだろう。


 薬にとって強さはいつだってステータスとなる。

「強さに引かれるのは人間も薬も同じ。そこに変わりはないのでしょう」


 コツン、と床に靴音が響く。

「そうだよ。だから私は最強を目指すんだ」

 通りがかったのはケタミンである。

「ケタミン…」

「頂点を目指しているのでしたよね」

「うん。そうだよ。わかってるんじゃないか、フェンタニル」

「楽じゃねえんだろうな、それは。同情なんかしたくねえけどさ」

「…ロヒプノール?」

 フルニトラゼパムはケタミンのやり方や思考を気に入ってはいなかったが――


 今この時は、少しだけ彼も『そちら側』にいた。

「だから、薬の人生も楽じゃねえなって」


「…へ?」

「何を言っているのですか、貴方は。全く理解できません」

 ケタミンはともかく、アルプラゾラムやフェンタニルは『薬の人生が楽ではない』とは思えなかった。

 しかし、フルニトラゼパムは薬であるが故の苦しみを知っている。


 薬はその薬効を振るううちに、人間をどこかで傷つける。

 傷つけて傷つけて、やがてその力を危険視した人間の手で規制がかかる。

 だから、自分が一番いたい人間の側にいることもできない。


「薬は人間と共に生きてるよな?でも、強くなきゃ生き残れねえし、強すぎても規制がかかる。そういうジレンマの中で生きなきゃならねえんだよ」

「それは仕方ないんじゃないか?俺だって仕事増やされたくないのは山々だ!」

「ジアゼパムの言う通り、仕方ねえとは思うぞ。薬に生まれてきちまったんだからな。でもさ、人間になれたらいいのにな…って、時々思っちまうんだ」

「ロヒプノール、なんで人間なんかになりたいの?」


 ケタミンは人間を嫌っている。

 彼女が一番嫌う者はジアセチルモルヒネだが、その次くらいに嫌っているのは人間だ。

 他の薬ばかりを見て自分に目を向けない、そんな存在が憎かった。

 薬としての人生が苦しいことは知っているが、だからと言ってわざわざ嫌いな人間になるつもりなど彼女にはない。


「オレが人間だったら規制もされないし、アメリカにだって行ける。何より薬効で誰かを傷つけることもない!…あーあ、なんで薬なんかに生まれてきちまったんだろな…」

「さあな。…だが、フルニトラゼパム。変わらない事実があることを忘れていないだろうな」

「何だよ、チオペンタール?」

「この存在も、能力も、薬としてのものだ。薬として、得たものだ。人間になるということが…薬であることをやめるということがどういうことか、わかっているんだろうな?」

「そうっすよー。俺達薬は人間から見れば超越者なんすよ?簡単に降りようとするんすか?」

「…わかってるよ、そんなん。人間になろうと願っても、絶対にそれは叶わないってこともな!」

「なら、それでも人間に憧れるのは何故ですか」

「薬は人間を助けることはできる。むしろその為に生まれたと言ってもいい。――けど『助ける』ことはできてもさ、『救う』ことはできねえんだよ!」


「…うん?」

「人間を本当の意味で救えるのは人間だけだってわからねえのか?オレは知ってる――オレはリリィも他の人間も、本当の意味で救うことはできなかった!人間になることでそれができるなら、オレは人間になりたい!」

 向精神薬を服用することはあくまでも対症療法であって、根本的な解決をしたことにはならない。

 それは、彼ら向精神薬本人が一番よくわかっている。

 ただ、フルニトラゼパムの場合はその覚悟が他の薬より重かった。

「本当、正義の味方だね」

「それは違うな、ケタミン。オレは正義の味方じゃねえよ。償いをしているだけだ」

「…償い、ね」


 ――君は、デートレイプドラッグだったよね。

 ――本当に、もう戻らないんだね。


「だから人間になる道が見つかるまでは――いや、見つかったとしても!オレは人間を助けるために生きるんだ!」


 ――もう、戻ったりなんかしねえ。


 それが彼の存在理由であり、覚悟であり、正義であった。

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