24*Ask
Ask――問う
フィリア女子学院 生徒会室
トウキョウ都ミナト区にあるキリスト教系の私立女子中高一貫校・フィリア女子学院。
その生徒会室では職務を始める前の生徒会役員達が会話をしていた。
「そろそろ会議…うちの学校から入院する生徒…心配…」
高等部2年生・那須野紬。
書記で、薬には取り憑かれていない。
「ああ、神宮寺さんですよね?ナルコレプシーがどうとかって」
高等部1年生・古橋奈緒。
会計で、薬には取り憑かれていない。
「そうじゃ、神宮寺の退院はまだかいのぉ…」
高等部2年生・沢上朱紗。
副会長で、C5H11N2O2P・タブンに取り憑かれている。
「彼方ちゃん…同じクラスだから心配です」
高等部1年生・朝長真結。
庶務で、C7H16FO2P・ソマンに取り憑かれている。
「そうね…生徒会だもの、生徒のことはバックアップしていかないといけないわ」
高等部2年生・三川早織。
会長で、C4H10FO2P・サリンに取り憑かれている。
その生徒――神宮寺彼方は、ナルコレプシーを患い入院している。
早織は彼方によるメチルフェニデートの服用を知った日から、メチルフェニデートを含めた上で気にかかっていた。
――依存したらどうするつもりなのかしら…
――確か、精神だけらしいけど…
大量長期間摂取し続けると、統合失調症に酷似した精神病状態を呈することがあるため、治療は即時離脱を行なうことくらいは早織も知っていた。
――それにしても神宮寺さんって一体何者なのかしら…?
――『そうよね…何なのよあの子は!』
――私も気になっているのだから聞かないでくれる?
――『もう貴方の体で調べに行きたいくらいだわ!』
――表に出るのはやめなさい。私はこれから生徒会なのよ。
早織は内側で騒ぐ彼女を制止する。
チャイムが鳴る。会議を始めなければならない。
――いい?絶対に表に出ては駄目よ?
――『了解したわ!』
「それでは、生徒会を始めます」
同時刻 私立薬師寺学院 生薬・漢方科治療室A
私立薬師寺学院生薬・漢方科。クラスカラーは緑。
特進科ほどではないが、この学科も他の普通科の学科とは異なる点がいくつかある。
それは、自らの化学式を名乗らないこと。
特進科を含めた他の学科、それどころか外部の薬も含める多くの薬は、化学式と正式名称と、多くは通称を持っている。
彼らは自己紹介の際、化学式を先に、正式名称を後に名乗るのが基本である。通称を名乗るかについては、通称を持たない薬もあるのでそこは各個人に委ねられている。
サリンを例にとって説明すると、『C4H10FO2P』が化学式、『イソプロピルメチルフルオロホスホネート』が正式名称、『サリン』が通称ということになる。名乗り方は『C4H10FO2P、イソプロピルメチルフルオロホスホネートです。サリンと呼ばれています。宜しくお願いします』といった感じだろうか。
ただし、生薬・漢方科の生徒は多くが生薬である。生薬とは、天然に存在する薬効を持つ産物から有効成分を精製することなく体質の改善を目的として用いる薬である。
なので、自らの化学式を名乗ることはしない。
あるいは、陣形を組んで戦うこと。
古代中国大陸においては、複数の生薬を組み合わせることにより、ある薬理作用は強く倍増する一方で、ある薬理作用は減衰することが発見された。その優れた生薬の組み合わせ・陣形に対し『葛根湯』などと命名が行われ、後世に伝えられたのだ。
なので、陣形を組まずに単独で処方されるのは『独参湯』としての人参や『甘草湯』としての甘草くらいしかいない。
「総員、換装を!」
「白朮!」
「茯苓!」
「人参!」
「半夏!」
「陳皮!」
「大棗!」
「生姜!」
「甘草!」
「宣言を!」
「津村陣形43式――『六君子湯』!」
黄緑色の火花が飛び散った。
43式『六君子湯』は、虚弱な人の消化不良、食欲不振、嘔吐などに用いる陣形及び製剤である。他の甘草を含む製剤や、グリチルリチン酸及びその塩類を含有する製剤と併用すると偽アルドステロン症、ミオパシーが出現しやすくなる。
***
「お前ら、仲良くやってるか?」
「わぁ…麻黄さん!」
彼は麻黄。特進科にはエフェドリンの名義で通っている。
「突然だが、生薬科の皆に報告がある。――しばらく、この生薬科には戻ってこれなくなった」
「何故ですか?」
杏仁。
麻黄湯、大青竜湯などの重要な処方に配剤されている。
麻黄と組んで用いられ、鎮咳剤・去痰剤として多く用いられている。その都合上、麻黄と関わる機会が多い生徒である。
「簡単に言おう、特進科にいる時間を長くしたいんだ。両方の先生も了承済みだ。もちろん治療の時は戻って来はするが、それ以外は基本特進科にいる」
「じゃあ、麻杏甘石湯は組めるわけですね?」
石膏。
鉱物であるため、生薬・漢方科の生徒の中では珍しく化学式を名乗ることができるが、それでもあまり名乗ることはない。純粋の硫酸カルシウム・2水和物ではなく、ケイ素、アルミニウム、鉄などの化合物が少量含まれるからだ。
生薬としての石膏は、解熱作用や止渇作用などがあるとされる。
「よかった…!」
甘草。
生薬として、漢方では緩和作用、止渇作用があるとされている。
各種の生薬を緩和・調和する目的で多数の漢方方剤に配合されている。このため、漢方ではもっとも基本的な薬草の一つと考えられており、『国老』とも称された。安中散、四君子湯、十全大補湯、人参湯など多数の陣形を構成している。
生薬・漢方科の学級委員を務めている。
彼らは麻黄、杏仁と共に55式『麻杏甘石湯』を構成している。この製剤の適応症は気管支喘息、気管支炎、肺炎などである。
「『五虎湯』もなんか?」
桑白皮。
利尿、血圧降下、血糖降下作用、解熱、鎮咳などの作用があり、五虎湯、清肺湯などの陣形を構成する。
『麻杏甘石湯』に彼が加わることで、95式『五虎湯』となる。この製剤の適応症は感冒、気管支喘息、急・慢性気管支炎、気管支拡張症など喘鳴、呼吸困難を伴う激しい咳で、口渇や発汗が認められるものに使用する。
「ああ、大丈夫だぞ!」
「ほんなら安心やな…麻黄、特進科で一体何があったんよ…」
「気にするな、こっちの話だ。――特進科のことは詳しくは教えられないって決まってるんだ」
――たとえ教えることが許されていたとしても、普通科の生徒を特進科のことに巻き込みたくはない。
――いま特進科は利他林絡みのことで混線してるからな。
「そうなんか…残念やなあ」
『C32H39NO4・フェキソフェナジン。並びに、C10H15NO・プソイドエフェドリン。出動を要請します。すぐに複合治療室に向かうように。繰り返します、C32H39NO4・フェキソフェナジン。並びに、C10H15NO・プソイドエフェドリン――』
「放送…」
転級したばかりのメチルフェニデートが少し驚いていたように、普通科での治療の放送は時々入る程度である。その内容は複数の学科の生徒を一度に呼び出す際に流されることが多い。
ちなみにエフェドリンやトラマドールなどの場合は特進科校舎にいる都合上、普通科の治療が入るのには気づかないことも多い。その場合は特進科担任の松本と普通科の薬師の間で連絡を通すことになっている。
「…よし!」
麻黄はプソイドエフェドリンに切り替わったかと思うと――扉の向こうへデバイスを持って駆け出した。
私立薬師寺学院 複数学科合同治療室A
治療室は本来『特進科治療室』や『生薬・漢方科治療室』のように、1つの科専用にいくつかの治療室が割り当てられているが、特進科の生徒と普通科の生徒や、普通科同士の違う学科の生徒同士が合同で『配合剤』としての治療に当たる際はこの『複数学科合同治療室』――略して複合治療室で行われる。
「エフェドリンさーん!」
「あ、艾來さんだね」
C32H39NO4・フェキソフェナジン。
組織細胞機能科に所属する、ヒスタミンH1受容体拮抗薬である。
彼女とプソイドエフェドリンの組み合わせは『ディレグラ配合錠』と呼ばれる。
「C10H15NOっ!」
「C32H39NO4…!」
『ダイブ、スタート!』
プソイドエフェドリンはゴールドオレンジのデバイスを、フェキソフェナジンはクラスカラーの橙色の生徒手帳をかざした。
普通科の生徒はデバイスの代わりに生徒手帳をキーにして換装するのだ。
「行きますっ!」
「…行きます!」
同時刻 私立薬師寺学院 神経系科教室
私立薬師寺学院神経系科。クラスカラーは赤。
『神経系科』はやはり発音しづらいためか、口語では『神経科』と略されている。
メチルフェニデートのように、この学科から特進科に転級する生徒も多い。
「はぁ…リタリンどうしてるのかな…」
C16H21NO2・ラメルテオン。商品名はロゼレム。
メラトニン受容体アゴニストの一つである。
体内ではホルモンのメラトニンがこの受容体に結合し、入眠のリズムを司っているが、彼女はその作用を模倣している。
親友であるメチルフェニデートの身を案じている。
「ロゼレムー、どうしたの?」
「あっ、カロナールだ!」
C8H9NO2・アセトアミノフェン。商品名はカロナール、アンヒバ。
解熱鎮痛薬の一つである。
主に発熱、寒気、頭痛などの症状改善に用いられ、一般用医薬品の感冒薬にも広く含有されるが、過剰服用に陥る事例も少なくない。
トラマドールやヒドロコドンと組むことも多く、比較的特進科生徒と関わる機会の多い生徒である。
神経系科の学級委員をしており、同じく女性の人格を持つラメルテオンのことを好いている。
「私…リタリンの様子気になって…ストラテラは『特進科にいたって何も良いことない』って伝言頼まれたみたいだけど…」
「そうだね。じゃあさ…よかったら私、リタリンのこと…訊いてあげようか?」
「えっ、良いの?カロナールって特進科の薬に会ったことあるんだ!」
「まあね。私、特進科の生徒さんと一緒に治療にあたること多いから」
「誰?どんな薬なの?」
「C16H25NO2・トラマドール君と、C18H21NO3・ヒドロコドンさん。トラマドール君と私は『トラムセット』で、ヒドロコドンさんと私が『バイコディン』」
C16H25NO2・トラマドール。デバイスの色は深緑。
オピオイド系の鎮痛剤の一つである。
μオピオイド受容体の部分的なアゴニストとしての作用と、セロトニン・ノルアドレナリンの再取り込み阻害作用とを併せ持つ。
医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律で劇薬に指定されている。
C18H21NO3・ヒドロコドン。上位会議の9番目で、デバイスの色はフクシャピンク。
ケシから抽出されるアルカロイドの一つで、メチルモルヒネから合成される。
麻薬性鎮痛薬および鎮咳剤として、一般的には液剤の形で経口投与される。
麻薬及び向精神薬取締法で麻薬に指定されている。
「そうなんだ…」
「うん。だから、どっちかと治療に当たった時、訊いといてあげる。ロゼレムはリタリンの様子が気になるんでしょう?私だってリタリンの様子気になるし。それに――」
「ロゼレムのためなら、安い用だから」
「…ありがとね!やっぱカロナールは頼りになるね!」
「まあ、私は神経科の学級委員だし?」
「流石だわー!それにしてもリタリン、何か大きい問題に巻き込まれたりとか…してない、よね?」
「大きい問題…?」
「ストラテラはこの間研究室に行ってたじゃない?そこでリタリンと会ったってことは…」
「…特進科に行ったのも何か訳があるとか…!よし!絶対そこ含めて訊いとくね!」
ラメルテオンの予想が当たっていることを――彼女自身もアセトアミノフェンも、まだ知らないでいた。
一日後 私立薬師寺学院 複数学科合同治療室B
アセトアミノフェンはヒドロコドンとの治療後、『気になっていたこと』をヒドロコドンに訊く。
「ヒドロコドンさん!」
「ん?なーに?」
「最近、リタリン大丈夫ですか?」
「リタリンー?…あの子は元気だよ。うん、マジで」
「よかったぁ…!でも研究室にいたってことは…」
「うん…そうだね。リタリン周りはちょっと大変ってわけよ。でもさ…詮索されても困るんだよねえ…」
「…えっ?そうなんですか?」
「特進科は普通科にあんまり事情言えない決まりなんだわー。心配させちゃうの嫌だしね」
「そうなんですねえ…そう言えば特進科校舎って、特進科の生徒しか入れないんですよね?」
「まーね。でも地下の研究室は例外っぽい。薬師付き添いで、っていう条件あるし、デバイスは薬師用じゃないと使えないけどね」
「特進科って複雑なんですね…リタリンはどうして特進科に?」
「ん?普通に優秀だったからじゃないの?」
本当は、国に指定されたからという理由なのだが。
「そうなんですね!てっきり何かあったからかと…まあ、リタリン無事そうで良かったです!」
「ん、じゃあねー」
ヒドロコドンとアセトアミノフェンは、複合治療室を出ていった。
***
「ロゼレム、ヒドロコドンさんに聞いたよ」
「えっ、リタリンどうしたって?」
「無事だって。研究室のことについては教えられないって言ってたけど、入った理由は普通に成績らしいよ」
「よかったぁ…あ、もうすぐお昼休みかな!」
ラメルテオン達はロビーに足を進めた。
同時刻 瑠璃光総合病院 ロビー
「神宮寺さん、わざわざ呼び出してしまって申し訳ないわね」
「…大丈夫ですー…というか三川先輩、忙しいところを…」
「全然いいの。うちの学校で入院してる生徒とかいたら気になってしまうのよね…生徒会長だからかしら。…で、そこの銀髪の子は…?」
早織は『銀髪の子』――メチルフェニデートに目を向けた。
「初めまして。C14H19NO2・メチルフェニデートです。普段はリタリンとしてカナの…彼女の治療に当たっています」
――彼女が…メチルフェニデート。
――じゃあ神宮寺さんの夢に出てきたのは…
「そう…私は三川早織。神宮寺さんの学校の生徒会長をしているの。一度貴方達の学校まで行ったのだけれど、貴方には会えなかったわ」
「会いにきてくれたんですか?」
「そうね。調べに行こうとしたけれど、チオペンタール…?の様子を見ただけで終わってしまったわ」
「そうなんですか…」
――チオペンタール…?出席を取ってた時にいた…
――三川さんがいた時は…多分私が研究室にいた時だろうな…
「チオペンタールって…あの、黒髪でメッシュ入った…」
「…私にもわからないわ。私の内側にいる薬に訊きなさい」
「えっ…貴方も薬なんですか…?」
「そうよ。…サリン、出てきていいわ」
早織の体を、サリンが乗っ取った。
「初めましてね。私はサリン。普段はこの早織の体を貸してもらってるわ」
「…あ、はい。えっと…チオペンタールってどんな薬ですか?」
「貴方、同じ学校よね?」
「話したことがなくって…」
「まあいいわ。教えてあげる。チオペンタールっていうのはね――」
C11H17N2NaO2S・チオペンタール。デバイスの色は濃紫。
バルビツール酸系の麻酔薬の一つである。
静脈注射により鎮静・催眠効果を示す。
医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律における劇薬として、特進科に準じた扱いを受けている。
「かつて私と同じ組織に自白剤として利用されたけど、彼にそんな作用は無いわ。…彼はメチルフェニデートと少し似ているのかもしれないわね。貴方と同じように真っ直ぐだったから…」
「そうなんですね。サリンさんはチオペンタールさんと何が…」
「…え?」
サリンは突然の問いに慌てふためく。
――どうしていきなりそんなこと訊くのよ!馬鹿!
――そうよ、私はずっと前からチオペンタールを追ってるわよ!
――メチルフェニデートも気になるけどチオペンタールの方が私は大事よ!
「その…憧れてるのよ!文句あるかしら?」
――『…戻りなさい。私も訊きたいことがあるのよ』
――わかったわ。
サリンから再び早織へと意識が戻る。
「まあ、本題はそこではないわ。神宮寺さん」
「はい…?」
「――貴方は、一体何者なの?」
「…私?私は…ただの…」
彼方はそこまで言いかけて、また眠りについてしまった。
「眠ってしまったみたいですね…私が運びます。失礼しました」
「そう…私こそ長居してしまって悪かったわ。神宮寺さんに、お大事にと伝えておいて」
メチルフェニデートは彼方を抱えて病室に連れていく。早織はロビーを出ていった。