愛と拳の新喜劇
雑談の飛び交う休憩時間の教室で、ニコニコと笑んでいる彼女が、彼の方に寄っていった。
「苗倉くん苗倉くん。事件だよ」
「……へー。そーなんだ」
彼がうんざりしていた。
「面倒くさそうにいうな! もっとやる気、いや聞く気!」
「そんなこといわれてもなぁ……。で、どんな事件なの?」
「うんうん。――あ、でもでも、もう授業が始まりそうなので、また今度話すね」
彼女は自分の席へと戻った。
放課後。
ほぼ人のいなくなった3年2組の教室にて。
「うむうむ。ちゃんと教室に残っていたね」
「え。だって皆元さんが残れって言ったんじゃないか……」
「いいえ。ちがうちがうよ。私は放課後教室に残れ、なんて言っていません。ただ事件だよ、と言っただけですー」
「……ああ、そうだったね。いつもの展開だったから、放課後に話すから残りなさい、と言われたものだと思っていた」
「ふふふ。真斗くん。すっかり私に染まっているねぇ」
「いや、ただ言われたから残っていたわけじゃないけれどね……」
そういう彼が隣の席を見た。
その隣の座席には、知人の天然少年が座っていた。
「え、エビヤくん?」
「どうもお邪魔してるね。ミナモトさん」
「あ、これはこれは、その、お見苦しいところを……。ついつい、真斗くんのことだから、1人ぼっちだと思っていて……」
「皆元さん。それ、僕に失礼」
「……でもでも、なんでエビヤくんがココに?」
「ちょっと勉強を、ね」
その机の上には、ノートと教科書が広げられていた。
「エビヤくんは、明日、追試なんだ」
「うん。そーなんだよ。いやー、この前のテストがすこしだけ悪くて。正志に話したら、追試の点が悪かったら、来週はテニスせずに勉強会すんぞ、と脅されてねー」
「そーかそーか、そーなんだ。正志くんきっびしいねぇ」
「でもさ、エビヤくんの点数は、すこしだけ悪かった、という表現では不適切なんだけどね……?」
「そんなに悪くないよ? それにボクは成長してるよ。だって24点だ。前々回の8倍の得点をマークしたんだよ?」
「24点は基本的にどこでも赤点だから! あと前々回が3点だったことに驚いたよ!」
「おー、さすが真斗くんだ。ボクより数学の計算が早い」
「いまの計算、算数レベルだからね?!」
「ま、そんな訳で正志から、家に帰ってもどうせ勉強しないだろうから、学校に残って勉強しろ問題がわからないなら『アイツ』にでも教えてもらえ、ってさ。それで真斗くんにわからないところを教えてもらっていたんだ」
「なるなるほどほど」
うむうむうんうん、と彼女が納得して頷いた。
「あ、どうしよう。じゃ、事件の話しは、またの機会にした方が――」
「ああ、気にしないで、話してくれていいよミナモトさん。ボクは居ないものと思って話してもらって。ボクはこれより、教わった数式を用いて、この数学問題計算ドリルを解く作業に入るから」
「え、でも、大丈夫? 集中を乱しちゃわない?」
「大丈夫大丈夫、それくらいで集中が途切れたりしないよ。この前のテニスの試合だって、何十という人から見られるプレッシャーの中でプレイしたんだから。それに話声くらいあった方が、逆に集中できるよ」
「そお? 大丈夫?」
「うん。計算するだけだからね。お気になさらず」
「じゃ、事件の話しするけど。やっぱりエビヤくんの邪魔になるようだったら言ってね?」
「ああ、そうだね。エビヤくんの邪魔になるようなら話は中止で。別に話はいつでもできるけど、再試は明日なんだから」
「いいや、真斗くん。ボクのことは気にしないでくれ。それに――今日という日は、今日しかないんだ。今日は話をするべきだ!」
「あたりまえのことを名言っぽく言ってないで、ドリルしておくれ。エビヤくん」
彼女が話し始めた。
「まずは真斗くん、――野宮裕介くんのことはわかるかな?」
「え。うん。まあクラスメイトだし。知ってるよ。別に仲良くはないけれど。……あれ。野宮君って、たしか今日、右手に――」
「そうそうそうです! 右腕に包帯を巻いていたでしょ。その件についてなの」
「ノミヤくん、か。――ボクと語感が似ているし、キャラかぶりしないか不安だなぁ」
「てかエビヤくんは『海老井』だろ? それに野宮君は、柔道部で頭を刈り上げている大柄の人だから、エビヤくんとは全くイメージが重ならないけどね。――てか、会話は無視していいからドリルやっておくれ」
「それでそれで、野宮くんの腕のことなんだけど、真斗くんはなにか聞いてる? 知ってる?」
「いいや。知らない。――あ、でも、階段で転んだってクラスで誰かが話していたのを聞いたような気がするけれど……」
「そうか。やはりそのように聞いているか……ふっふっふ」にやり。
「なに、その意味深な笑い方。皆元さん」
「それは違うんだよ」
「違うっていうのはどういうこと?」
「実は実は、野宮くんのケガは、事件に巻き込まれてできたものなんだよ!」
「ん? そうなの。てか事件?」
「そうなんだよ!」
「どういうこと? 事情の説明をしてくれよ」
やはり彼女は意味深に笑っていた。
楽しそうに。
「東門からすこし進んだところに、自動販売機があるのね。そこが現場。知ってる?」
「ああ、それは知ってる。紙パックだけ販売してるやつだよね」
「うんうん。ちなみに私のオススメはバナナオレかな。あのメーカーのバナナオレは、なかなか販売しているところが少ないんだよねー。そもそもバナナオレ自体が希少だし」
「へー。僕は、あのラインナップなら豆乳コーヒーが好きだな」
「ボク、ココア」
「無理に参加しなくていいからエビヤくん、ドリルに集中しておくれ」
問題集から眼をそらしてポツリといった少年に、彼が注意した。
「話がそれてたね、大幅に。――で、皆元さん。その自販機で、どうしたの?」
「うんうん。昨日の放課後なんだけど、そこで商品を買った小学生の少女がいたの」
「うん」
「でもでも、購入したドリンクを取り出したところで、高校生の男子2人組に因縁つけられてしまったのね。
こんな風に――
『おい。おじょうちゃん。その自販機、さっきワシのカネを入れて、反応せんかったんじゃが。金を呑まれたんじゃが。……その飲みモン、ワシのカネで出したもんやあらへんやろな?』
『ああっ、なんてことや。アニキが入れた硬貨を、お嬢ちゃんが勝手に使ってしまったやて! これは許されへんで』
『え、そんな、わたしは、ちゃんとお金を入れたはずで……』
少女はおびえていました。
『もうええ。購うてしもたモンはしゃーない。その飲みモン、寄こせ。それで勘弁したるさかい』
『アニキが良い人で良かったのお、おじょうちゃん。そのジュース1本で許してくださるそうやで。良かったなあ』
『ああっ、わたしのジュースが……』
そうして不良高校生が、少女から飲み物を奪い取りました。」
そこで彼がツッコミした。
「今どき、こんな高校生いないだろ! ありえないないだろ! なに、そのうさんくさい話し方は。1人称ワシとか言ってるし」
「う、うるさいよ。真斗くん! たしかに、めちゃくちゃな感じだけど、こんな感じで大体あってるから!」
「マジで!?」
「いや……まあえっと、この不良高校生のキャラ設定は、私が付け足したものだけども……」
「やっぱ皆元さんの創作じゃん……」
「ちがうから! 実際にあったことだから。ストーリーは合っているから。とにかく、最後まで聞きなさい!」
彼女が続きを語り始めた。
「しかしそこに、1人の男が通りかかります」
「もうなんか予想ついたよ……。それが野宮裕介君なんだね……」
「あ、言わないでよ。私が言うから。――まあ、そうです。そこに野宮くんが通りかかりました。そして、不良高校生に告げました。
『どうかしたんですか?』と野宮くん。
『ああ、このおじょうちゃんがワシの飲みモンを横取りしてなぁ』
『えっ、ち、ちが……それは、ちがうのに……ううっ』
少女は委縮しています。泣きそうです。
『違うことあらへんがな。アニキのジュースをこのおじょうちゃんが、横取りしたんやで』
『そういうことや。これはワシのモンや』
『いいや、俺、見てましたけど。その女の子は、ちゃんと自分の財布から取り出したお金を自販機にいれていましたよ』
『なっ! なんやて』
そういって通りすがりの男は、少女の濡れ衣を晴らしたのです。」
彼が言った。
「いま通りかかったところなのに? 野宮君、見てたの?」
「見てたんです! 少女と不良高校生たちの口論の前から、その場にはいたの! 野宮くんは」
「じゃあ、口論になる前に話して、その子を助けてあげたらよかったのに」
「それじゃあ、お話しにならないじゃん!」
「まあ、話しにはならないけどさ……」
「もしかして、そのノミヤくんって人も、自販機で飲み物えお買おうとしてたのかな? だから事を見ていた、とか?」
「そうそう! エビヤくん。きっとそんな感じだよ」
「エビヤくん。いいからドリル」
彼がうんざりしていた。
彼女が続きを演じ始めた。
「通りすがりの男は言った。
『そこジュースは女の子の物なんだから、返してあげてくれませんか?』
『なにをゆうとんじゃ。この飲み物はワシのもんじゃ』
『でも、それはあの女の子が買った物なんだから――』
『アニキに指図すんな。じゃかましんいや、ワレぇ!』
そんな風に咆えた不良は、右腕を大きく振りかぶりました。
力任せに放たれる一撃。右の拳による殴打。
その一撃は、眼で捉えきれていた。避けることもできる。
しかし、対する男は、拳を見極めて、その上で、正面から受けた。
――後ろの少女を、庇うために。
衝撃。
『ぐっ……』ガードした個所の痛みから声が漏れた。
『お、お兄さんっ!』背後の少女から心配の声が耳に届く。
腕がしびれる。
それでスイッチが入った。
長年の柔道で培った戦闘モード。頭の中が切り替わる。
『手を出してきたってことは、そういうことで、――いいんだよなっ!』
瞬間。
接近。
敵の服を掴む。
脚で脚を払う。
『なっ! にっ!』
あまりの速度に、相手は驚くことしかできていない。
『でりゃあ!』
地に落す。
『がはっ!』衝撃で肺から空気が吐き出されたのだ。
一瞬の技に、不良少年の一人は地に伏した。
『ぐ、う、す、すいやせん。アニキ……』
『さあ、女の子のジュースを返してあげろ』
鋭い眼で睨みながら、告げる。
『ふん。やるなぁにいちゃん。……だが、舎弟を伸されて、おずおずと引き下がるわけにはいかんわい。――くらえ。おりゃああああ!』
もう一人の高校生が、同じように右腕を振り上げ、突っ込んでくる。
今度は、突き出した腕そのものでの打撃を目論んでいることがわかる。
クローズライン。――ラリアットと呼ばれる攻撃だ。
それをしっかりと見ている。目視、認識できている。
しかし、後ろには少女。
躱わす避ける引く。その選択肢はない。
――止める。受ける。それしかない。
正面衝突。
『ぐううううぅ!』
『なっ、止めおったやとっ!?』
速度を得て極まる一撃を、片腕を犠牲に、受け止める。
痛みの走る腕に、脳髄までがしびれてくる。
襲ってくる痛覚を遮断する。痛みはいま必要ない。
突進を止めてしまえば、勝機が見えた。
そのまま腕を掴む。
自身の背に、重さを乗せて、ただ落とす。
『おりゃあ!』
一本背負い。
『ばっ……バカなぁああ! ――がはっ!』
もう1人も、同じように地に伏した。
『正義は勝つ!』
通りすがりの男――野宮裕介は、不良高校生を撃退することに成功した。」
「なんだ、この戦闘シーンの力のいれかた! 絶対に必要ないよね!?」
彼がようやく言った。ツッコミだ。
「皆元さんのバトル描写が無駄に高クオリティな件について!」
「ふう。でしょでしょー?」
「皆元さんまで殴るアクションをしなくてもよかったんじゃないか?」
「リアリティを大事にしなきゃと思ってね」
「え、それこそ、創作だろ? 皆元さんの」
「いやいや違うよ。ちゃんとその場を見ていた高橋康祐くんと宇山日真理ちゃんの詳言をもとに、忠実に再現したんだから。振り上げたのは右腕か左腕か、とか、その時の角度、とか、それぞれの立ち位置、とか、いちいち全部、質問して聞いて来たんだから!」
「面倒くさいな……。絶対にその高橋くんと宇山さん、うんざりしてると思うよ……」
「そんなことないよ。嬉々として教えてくれたよ」
「へー、まあ、そんなもんなのかな……? 眼前でそういうことがあったら」
「ええ。こだわってるよ。この戦闘は。男の子は好きでしょ? バトルモノ」
「え、うん。まあ、ね」
「うんうん。ならよし。こだわってよかったよ」
「でも最後の『正義は勝つ』のセリフとかは皆元さんが付け足したんだろ?」
「なにっ! なぜわかった、真斗くん!?」
「いや、そういうの皆元さん好きそうだから……」
「うん。ま、そだね。――で、感想は?」
「え、感想?」
「うん。感想。どう思った? ドキドキした?」
「ああ……えーっと、まあ、ドキドキはしたよ。皆元さんが倒された不良のマネをして、床を転がった時、スカートがめくれ上がって、コレ、ヤバいんじゃないか!? と焦ったけど、中に短パンを履いていたようで、安心したようながっかりしたような――――――、って、皆元さんっもう戦闘シーンは終わったよね?! 拳を振り上げる必要はないのではないでしょうか?」
「むーっ!」ハムスターが始まった。
そこで彼が救いを求めるように、少年に話題を振った。
「あ、ほら、エビヤくん! エビヤくんだって、そこは心配になっただろ?」
「え、あ、ごめん。ドリルに集中して見てなかったよ」
「裏切り者めがぁ!」
彼が恨みを込めて叫んだ。
閑話休題。
「で、それからどうしたの?」
「ん? それからどうした、とは、なに。真斗くん」
「いや、そのバトルの後、いったいどうなったのかと」
「ああ、そういうことね。ええっとねぇー。
倒れた不良高校生から女の子のジュースを回収して――
『ち、ちくしょう……』『お、おぼえてやがれ』
そんなことを吐き捨て、不良高校生たちは退散した。
『ほい。女の子よ。ジュースだ』
『あ、ありがとうごさいます。お兄さん』
『いいってことよ。はっはっは』
野宮裕介は、その場を後にした。
めでたしめでたし! ちゃんちゃん。」
彼女が語り終えた。
「雑っ! 最後、適当だろ!」
「いやあ、戦闘シーンを全力でやったから、力を使い果たしちゃったもんで……。でも、実際こんな感じだったらしいよ。ちゃんと女の子にジュースを返して、めでたしめでたし」
「なんか、野宮君のキャラも掴みきれてないしさ……。どんな人だったっけ、野宮君」
「だから、柔道部で、大柄で、……まあ、いい人だよ」
「皆元さんもそんなに知らないんじゃん!」
「そんなことないよ。少なくとも、真斗くんよりは知っていると思うよ」
「うーん。まあ、うん。そうかもしれないけれど……どうかな……?」
「でもでも、かっこいいよね。こんな風に助けられちゃったら、普通の女の子だったら惚れちゃうよね」
「……」彼はすこしだけ、本当に少しだけ不機嫌だった。
「ま、そういうわけです。そういうことで、野宮くんは腕をケガしていたの」
「……なるほど」
「この時期にケンカなんて、内申や受験に響くかもしれないからね。だから、階段で転んだということにしたんだって」
「……ふーん」
「恩着せがましく女の子に
『キミのせいでケガをしたから、治療費を出してくれないか?』
とか、言わないあたりが、かっこいいよね」
「それ言ったら、台無しだからね……」
「さてさて、うんうん。喋った喋った。語った語った語ったなぁ。山場の戦闘シーンは、とても盛り上がったし、まっ、いいでしょう。うんうん」彼女は満足げだった。
「ん?」疑問が浮かんだ。
「ん、って、どうした、真斗くんよ」
「どうしたって、事件だろ?」
「え、うん。事件だけど?」
彼は疑問を訊ねた。
最大の疑問を。
「謎は?」
これまで、なにか彼女に不明な点があって、彼が解決を手伝う。
いままで、なにか彼女に面倒事があって、彼が解決を手伝う。
そういう流れだったのだ。今までは。これまでは。いつも。
そんな彼女はあっけらかんと答えた。
「え? 謎? そんなものないよ?」
「ただの無駄な話しかよっ!!」
がっくりきた。
意味のない会話だった。
「いやいや、真斗くん。無駄なことなんてこの世には存在しないんだよ」
「うん。そういうの、いいから……。はあ」
彼、げんなり。
無駄な会話だった。
そのころ――ようやく。
「ふーっ。ドリル、終わった終わった」
「あ、お疲れさまエビヤくん」
「答え合わせは?」
「それも終わったよ。これなら、明日の追試は余裕だね」
「油断大敵だよ。家に帰っても復習してくれよ?」
「あっはっは。大丈夫大丈夫。この追試は、正志とのテニスの試合くらいの余裕だよ」
「(あ、これ、余裕ないな。大丈夫じゃないかもしれないな……。)」
「さてそれじゃ、ボクも会話に参加しようかな」
「いや、……もうその話は終わったから……」
「え? でもボク、その話で気になる点があるんだけど」
「なになにエビヤくん。私の話でなにか気になる点があったの?」
「まあ、もういいから帰ろう。冬になって寒いし、もう暗いし、テストって集中力が必要だし、早く休んで体力を温存した方が良いよ」
彼がそのまま押し切って、帰宅することになった。
少年2人が下校していた。 彼女とは自宅の方向が違う。
暗い道を歩く。
「ところで真斗くん。教えてくれない?」
「え、問題集でわからないところあったの? なら、その時に言ってくれればいいのに……」
「いや、そっちじゃないよ。ミナモトさんの話のほうだって」
「ん?」
「あの話、おかしいところがあったしさ」
「いやまあ、おかしなところばっかりだったと思うけれど……」
少年は疑問を訊ねる。
「まずさ、あのジュースだよ。おかしいよね?」
「ん。ああ、まあそうだね」彼はあまり乗り気でないようだ。
「女の子がジュースを奪われて、不良高校生のえらいヤツの方が、それを持っていたらしいけれど……」
「ああ、うん。そういう話だったね」
適当な相槌だった。
「一本背負いで投げられたら、ジュースもタダじゃ済まないだろ。紙パックなんだから」
「うん、そだね」
彼も、理解していたようだ。
「そんなアクションしたら、潰れちゃうだろ。紙パック。――めちゃくちゃになって、中身が吹きだしちゃうよ」
「……ああ、うん」
「背負い投げして、潰れた紙パックジュースを渡したのかな? それは、逆にかわいそうな気がするし、いや、その小学生女子にケンカ売ってる感じもするなあ……」
ポタポタと液体の滴る紙パックを手渡す男をイメージした。
「なんか怖いな。それは……さすがに渡さないと思うよ?」
「そうだよね。おかしいよね。ボクもそう思うんだ」
「でも、最後の方、皆元さん適当だったし、適当に言ってたのかもしれないよ?」
そう言って、彼はお茶を濁した。
またも少年が疑問点を上げる。
「それから、ノミヤくんって人の肉体、というか、身体? なかなかすごいよね?」
「……高校生を倒せるという柔道の腕前のこと?」
「いいや。違う。――腕前じゃなくて、『腕』のほうだよ」
「……あー」
「皆元さんの話しだと、不良高校生は二人とも右腕で攻撃してきた、って話だったよね。振りかぶって殴る。ラリアット。両方とも右腕って」
「…………ああ、うん」
面倒そうな相槌だった。
「じゃあ、なんでノミヤくんって人も、『右腕』をケガしてるんだろう?」
「…………」
「真斗くんとミナモトさん、最初に話していたよね。ノミヤくんは右腕に包帯を巻いていたって」
「……うん。そうだったね」
「相手から右腕で攻撃されたなら、ガードするのは左腕だろう? なんでわざわざ、遠いほうの腕を回してガードしているんだろう。てか、そんなこと、できるのかな?」
「……どうだろうね」
「テニスマンガを読んでツイストサーブを練習した時に、右手だと左曲がりなのか、あれ、どっちだったっけ、みたいになって覚えていたから、やっぱり格闘技でもそうだよね?」
「いや、まあ、それはあたりまえというか……。まあ、でもツイストサーブは誰でも練習してみるモンなんだね……」
「そうだね。誰でもやるよね。――まあ、それは置いておくとして、おかしいよね。ミナモトさん、アクションはこだわったって言っていたもんね。目撃者から、どっちの腕だったのかとか、ちゃんと聞いたって言っていたのに」
「…………」
彼がなにか、やりづらそうな顔をしていた。
その答えが、わかっていたからだ。
「で、真斗くん。これは、どういうことなんだろう?」
「別に、答える必要はないよね? 僕も知らないし」
「いや、そんなことはないと思うよ。なにか、おぼえがあるような顔をしている」
「…………い、いや、シラナイヨー」あからさまだった。
「それに、きみは答える必要はあるよ」
「え、なんで、どこに?」
「この疑問、ボク、かなり気になっているんだよ」
「だから?」
「――明日の追試に支障が出るかもしれない」
天然少年は、ガチだった。本気である。
「……」めんどうなことになった――彼はそんな顔だった。
「だから、答えを教えてくれよ。いま真斗くんが答えてくれれば、追試に落ちて再追試を受けて正志に怒られてしまうボクを救うことができるから!」
「はあああ」
彼が大きな溜息をついた。
彼は、やはりわかっていたからだ。
彼が諦めて、話した。
「……まず、結論から言うと、だね。――」
「うん」興味深く、少年は眼を輝かせて聞く。
「――あの話は、創作だろうね。自動販売機の事件の話。その全部」
彼がげんなりしながら、告げた。
「ああ、やっぱりかー」
少年は少し残念そうだった。
「うん」
「でも、ミナモトさん。どうして、そんな話を作ったんだろうね。――ヒマだったのかな?」
「いや、まあ、うーん。皆元さんがヒマなのは、そうだろうけれど。ヒマなんだろうけれど。……でも、あの話を作ったのは、皆元さんじゃない」
「え、そうなの? ミナモトさんが作ったんじゃないの?」
「ああ、だいぶアレンジしたみたいだけどね。たぶん」
「ん? じゃあ、あの話は――あ、そうか! ミナモトさんが聞いたって言う、あの二人だね」
「ああ、うん。――高橋くんと宇山さんが、作った話じゃないか、と僕も思う」
「ははーん。なるほどー。――ん? でも、それは、なんで?」
「…………これを言うのは、かなり気が進まないんだけど」
「気が進まないなら構わないよ? ボクが納得できるところだけ教えてくれれば」
「いや、これを伝えないと、伝わらないと思うんだよなぁ……。エビヤくん天然だし」
「はっはっは。よく言われるけど、実はそんに天然じゃあないよ?」
この笑っている天然少年は、本気である。マジで。
やはり言うしかないようだ。
「実は、――事件の話の中心人物の野宮裕介君なんだけど」
「うん。柔道少年の、ね」
「――皆元さんのこと、好きなんじゃないか、と、そう思うんだ」
「ん? んーっと? んっ?」
首を傾げる天然少年は、まだよくわかっていなかった。
「それで、高橋くんと宇山さんは、野宮君と仲が良い」
「ん? えーっと、あっ、ああ、なるほど。わかった」
「……うん。たぶんそういうこと」
「高橋くんと宇山さんは、友達の野宮くんを応援している。――それで皆元さんに、野宮くんの良い印象を与えるために、そういう話しを創作したんだね。もしくは、野宮くんの方から、そんな風に話してくれと言われたのかも。実際、野宮くんのケガが階段から落ちたのが原因だとしても、マイナスな印象をごまかせるし。――あ、だから、皆元さんに事件のことを詳しく話してくれたんだね。嬉々として教えてくれたと、ミナモトさん言っていたし」
「みなまで言うな」
彼が止めた。
少年は納得した。だが、別の疑問がわいた。
「あれ? そうなると、またおかしなことが出てくるんだけど……?」
「なんだよ、エビヤくん」
「いや、実は、なんというか、――ボク、皆元さんのことが好きな人物、1人しってるんだけどさ」
「……」
彼は、少年が名を伏せた人物に見当がついた。
というか、それは――
「たぶん同じ話を聞いただろうし、この真相、わかると思うんだ。――それなのに、なんで皆元さん本人に、そのことを言わなかったのかな?」
「……さあ、なんでだろうね?」
「まあ、答えてくれないなら。別に良いんだけどね。――さあ、明日の追試、がんばるぞー」
「……はあ」陰湿な脅迫に、彼が溜息をついた。「たぶん、その人物は、――」
「うん」
「――皆元さんの前では、悪口を言いたくなかったんじゃないかな?」
「ん。悪口? 誰の?」
「野宮君の、だよ。この件の真相は、野宮君の印象を悪くするものだろ? たとえこの話が、野宮君自身の発案であっても、友達の高橋くん宇山さんの発案であっても」
「あー、うん。まあそうだね」
「だから、皆元さんの前では話したくなかったんじゃないかな? ――悪口というのは、自分も他人も、どちらも落とす行為だからね」
「はあー。なるほど。――でも、これは悪口ではないんじゃないかな? これはテニスとかでいえば、ライバルの不正行為の摘発、みたいなもんじゃ…………あー、そういうと、なるほど。ちょっと気持ちがわかった」
たとえ不正をした相手ででも、正面から勝ちたい。
そういう気持ちを少年も理解できた。
「はいっ。もういいよね。話終了! ――そういうことだよ!」
「なるほどね。オーケー。わかった。――そういうことか」
そういうことで、納得した。
「Wデートしてみよーね。いつかカレシができたら」
そんなことを言われた事があった。
日真理ちゃんが高橋くんと付き合っているのは知っていた。2人が野宮くんと仲が良いことも知っていた。
――でも、その『答え』には至らなかった。
だから『事件』の話と聞いて食い付いた。いろいろ聞いた。訊ねた。
事件があれば、放課後に、自然に彼と会話ができるから。
彼は優しいから。困っている人を放っておけないから。
――もしも、彼の方に、用事があったとしても。
――実際に、困った人が、いなかったとしても。
――そこに、『謎』すらも、なかったとしても。
事件があれば、話ができる。
それだけで、嬉しくて、楽しかった。
「苗倉くん苗倉くん。事件だよ」
そんな風に、最近あまり話ができない中学3年受験生の彼に呼びかけた。
人目の多い、教室では。
話が終わって、下校となる。
彼女とは自宅の方向が違う。――それだけだ。
帰り際に話した『気になる点』。彼女にも気になったのだ。
だから――
「はあ、カッコつけちゃって……」
彼女が、尾行している彼の話を盗み聞いて、呟いた。
「もう、完全にコールドゲームなんだけどなぁ……」
その後。
少年は気がついた。
「げっ! アレは――」
「ん? どうしたの、エビヤくん。――あ。」
道のすこし前には、小柄な少女がいた。
少女側も、気がついたようだ。
「ん? ――げっ!」少年を見つけた反応。「て、あっ!」その後、横の彼を見た反応である。
トテトテと可愛らしく歩いて少女は、彼らと合流する。
「えっと、エビヤと――真斗ね。真斗の方ね」
「…………」少年はやりづらそうだ。眼を見ない。顔を合わせない。
「ああ、そうだけど。でもアスカさん。奇遇だね」
「ええ、そうね。あんたたち、こんなところでなにを――って、下校中なわけよね」
「ああ、アスカさんも今帰り?」
「ええ、まあ、そういうわけ」
「なるほど。って――んんっ?」
彼が気がついた。少女の手に持っているモノに。
「潰れた、紙パック?」
「ん。ええ、そうだけど。――あっ! ちょっと聞いてよ」
少女がグチるように言う。
小学生のように見える小柄な少女が。
「あたし、さっきこのジュース買ったわけなんだけど、なんかチンピラ高校生に因縁つけられて、ジュース寄こせとか言われたわけ。まあ無視してたんだけど、そこに通りかかった柔道少年がチンピラ高校生と絡んでそいつを投げ飛ばしたわけ。でも投げた相手が、あたしの紙パックを潰すし、投げた柔道少年本人は逃げるし。で、まったく! ムカつくわ」
ズッコケた。




