慣れてきた頃に・後
今日も当然山ほどの書類を突きつけられる。
胃も痛いし、頭も重いし最悪だ。ああ、早く帰りたい……数値を誤魔化してさっさと終わらせたい。こんなに辛いんだ。ちょっとくらいなら……いいよね。
と、溜息をついていると隣に誰かが座った。
「セレーナ先輩?」
「うん、今日はちょっとね」
「えっと……何かあったんですか?」
「うんにゃ、昨日の後始末してたんだよ〜。それに、第四班がメインなだけであって、他の班に入れてもらうこともあるんだよね」
「そうなんですか……」
「……………」
会話が思いつかない。続かない。
もう思考は書類を処理することしか考えられない。
「………ヴェラちゃん、仕事は楽しい?」
「はい、楽しいですよ」
ちゃんと声を出して答えたか分からなかった。
何と答えたかも考えもせずに形式的な回答だけを返した。仕事に自分の考えを全て否定されるなら捨ててしまった方が楽だ。
「よし、ヴェラちゃん、今日時間ある?」
「あ……っ、えっと。夜……なら」
自分の時間さえも奪われるのか、と卑屈になる私は元々暗い顔のまま、おっくうな声で答えた。
「今日上がったら、あそこの机に来てね!」
「え、はい……」
◇◆
仕事を終わらせて、指定された場所へと行った。
ふわっとした優しそうな美人、セレーナ先輩が座っている。冒険者たちで煩い場所とは場違いなほどに静かに佇んでいた。
「ややあ、待ったよ〜〜」
こっちに気づいたセレーナ先輩は手を振ってきた。
少し引け目になりながら対面に座る。
「あの……?」
「注文はしといたよ〜。あと飲み物は何がいい?」
「み……」
「ビールね!おっけー!」
聞いていない。嫌いではないからいいけれど。
先輩は注文し終えて、こっちに向かい合った。
「………」
「…………」
な、何を話したらいいのか分からない。
「ヴェラちゃん」
呼びかけに思わず、肩を震わせてしまう。
「仕事、楽しくないでしょ?」
「…………あ」
核心を突かれた。気づかれていたんだ。
ああ、また怒られるのか。
「思い詰めてるように見えたから、なんかあったのかな〜って思ったけど……何かあった?」
「えっと……」
一瞬躊躇したが、ここで変に隠すのも余計に怒らせるだけだろう。腹を決めて話そう。
「荷台のチェックを朝やろうと残してしまって……怒られたのです」
セレーナ先輩は、顎に指を添えて頭を傾げた。
「ん……チェック? どこの商会の?」
「えっと、ロベリア商会です」
「あぁ〜〜あそこの商会の査収の時間が早いんだ。ちょうど第二班の出社時間よりも少し前だね」
「え、そうだったんですか」
知らなかった。教えてくれればいいのに……
「第四班の子がね、商会と揉めていたんだ。それで余裕がなくて、怒った風に言っちゃったんだろうね」
……確かに言ってきた先輩の表情に余裕がなかった気がする。今思えば、受付嬢はみんな忙しい。仕事に追われていない人など一人もいない。
もしかしたら私はとんでもない逆恨みを……
「でもね」
そこで先輩の声色が低くなる。
優しい表情が消え、真剣な顔になった。
「一つの失敗で、全てが楽しくなくなることも確かにある。ただ、冒険者たちにとっては失敗ひとつで全てが終わることだってあるの。人生すべてが、ね」
身を以て知っているかのような威圧。
細めていた瞳が開き、鋭い瞳が私を射抜いていた。
「たった一日でB級からS級になった冒険者もいるけれど、私たちは違う。普通の冒険者たちはちょっとしたことで死ぬの。私たちのミスが冒険者たちを殺すことだってある」
私は肩をすぼめて、彼女の放つ威圧に目をそらす。
そこまで考えが至らなかった自分が恥ずかしい。
私は何も言えず、縮こまった。
「だから、一つの失敗で、他を怠っていい理由にはならない。どんな理由で仕事がつまらないと思っても冒険者たちは命がかかっているの。……見ていたよ、今度は気をつけなさい」
「……っ」
確かに冒険者たちは命懸け、私たちは命を賭けていない。自分はなんて、無責任な事を……
もはや言い逃れは出来ない。
「……よし、お説教はここまで。呑もう!」
「えっ?」
「今日は私が奢ったげるよ!」
机には酒に合うものばかりが並べられる。
先輩も先ほどの威圧感とは打って変わって、いつもの優しい顔に戻った。
「特にこの火鶏の心臓が美味しいんだよね」
「あっ、あの! それだけ……ですか?」
「足りなかった? もっと頼む?」
「い、いえ、十分です……そういう事ではなく……」
「……うんにゃ。ヴェラちゃん、その時以外はミスを一度もしてないでしょう? 遅れ気味だけど間に合っているしね。そこを見ないなんて先輩も先輩だよね」
知って……いたんだ。
遅れを取り戻さなければと頑張ってきた自分を。
「そうだ。これ、魔水薬ね。疲労回復に効くよ!」
「あ……ありがとうございます」
知らなかった。魔水薬にそんな効果があるとは。
きっと冒険者でなければ知らないことだ。
そこで、私は好奇の気持ちで口を開く。
「先輩って冒険……きゃあ!?」
「ああっ、私の肉が!」
と、いきなり青年の冒険者が吹き飛んできた。
先輩の前に並べられた料理が全て吹き飛んだ。
「B級冒険者はこの程度なのか?」
「……くっ」
青年の相手は一つ下のランク。強面のC+冒険者。
冒険者の等級は実力だけでは昇格はできない。人間離れした怪物や、信用とともに実力を堅実に積み重ねた者にしかと上のランクには登れない。
特に真ん中のC+より上の等級は、信用も大きく評価されるのだ。きっと、昇格できない冒険者が一つ上の冒険者を試してやろうと喧嘩を売ったのだろう。
「あっ……先輩」
それよりもセレーナ先輩だ。
「私のあげますから……」
「……いいの。ありがと」
顔に影に落しながら、ゆらりと立ち上がった。
「相手は冒険者です!やめてください、先輩!」
私の制止を聞かず、屈強な冒険者に躊躇なく。
ずかずかと前に立った。
「あ? なんだお前は?」
見下される先輩。
相手の男の目は暴力を辞さないと分かった途端、私は立ち上がったが、その前に動いた。
「女に用はねぇ、どけ!」
ひょい、と強面の冒険者の迫る手をかわす。
直後、風が切れる音が聞こえた。
「…………っ!」
「やんちゃなのはいいけど、そこまでにしなさい。暴れ足りないなら……かかって来な」
それはハイキックだった。
彼女の足が、巨漢の顔面の寸前に静止していた。
惚れ惚れするほど美しい蹴りだった。
「お前は……… チッ!覚えてろよ」
冒険者は顔を見るや、あっさりと引いていった。
セレーナ先輩も足を下げて戻ってきた。
「先輩……?」
「前にちょっとね。冒険者やってたことがあってね。その時の顔見知りかな」
小悪魔風に笑って椅子に座った。
お酒の入ったジョッキを、がぶっと一飲みして荒く机に置く。ふわっとした第一印象とは違う、冒険者らしい動作だった。
「……私もこの仕事に慣れてきた頃にね、色々と失敗しちゃってね。よく先輩に怒られたの。でも、私たちが失敗すると大きな損失を被ってしまう人もいるし、命にも関わることだってあるの。冒険者だった時には分からなかったけど……」
ふぅ、としみじみ感慨に耽る顔を浮かべた。
「だから、せめて出来る限り失敗しないようにしないといけない。怒られても情けなくても、人に頼ってもいいの。こうして呑みに付き合って、愚痴を聞いてあげることだってできるし」
新しく注文したククルカンのハツをひとつまみ。
先輩は優しい表情のまま続けた。
「ヴェラちゃんが頑張っている限り、少なくとも私は味方だよ。だから、一緒に頑張ろう」
「一緒に……」
「そ、一緒」
不思議とその言葉が沁みた。
自分の中に溜まっていた葛藤や怒りが消えていく。
こんな……ちょっとした一言で楽になれるとは思わなかった。
私を見てくれる人。頑張りを認めてくれる人。
苦楽を共感してくれる人。
……そう、分かってくれる人がいる。
それが、こんなに嬉しいものだったんだ。
「ささ、料理も暖かい内に……」
「セーレーナーーーー?」
「殺気っ!?」
セレーナ先輩の背後に禍々しいオーラを纏った魔王が腕を組んでいた。
「『殺気!?』じゃないわよ!よくも仕事を押し付けたわね。隠蔽魔術まで使って!」
「べ、ベランダ先輩……」
「大体なんなの、あのメモ書きは!」
「だって、ヴェラちゃんを助けたくて……」
「……はぁ、仕方ないわね。一応、カ・タ・チ・だ・けの報連相は出来ていたものね。でも、さすがに私の手一つでは足りないわ。運搬依頼書とか、依頼書整備……って耳をふさぐんじゃないわよ!こっちを見なさいよ!こっちを!命の掛かっていない面倒な仕事ばかり押し付けて!」
大噴火のベランダ先輩に引きずられていく。
「ああ〜〜! ちょっとしか呑んでないのに〜!」
「仕事を他人に押し付けといて、自分が楽しようなんて甘いのよ。人の世には責任ってものがある……聞きなさい!」
怒られながらも生き生きとしている。
冒険者として生きた先輩が、今の先輩を逞しくしているのかは分からないけれど。
「引っ張ることないじゃん!」
「こうでもしないと逃げるでしょ。あんたに逃げられると見つからないし、余計に手間になるのよ。これが一番楽だわ」
「えへへ〜」
「褒めてないわよ」
先輩は私を救ってくれた。
気持ちも晴れやかになった。
元気も、もらえた。
「……ふふっ」
明日も頑張ろう。