慣れてきた頃に・前
「第ニ班、職務につけ!」
高々と響く教官ごとき班長の一喝で、横一列に並んだ社員たちは各自動き出す。裏方担当は山ほどに積み上がった書類の処理を開始。そして、四名は空いている受付デスクに着席する。早速とばかり冒険者がクエストを取ってくる。
「これを頼む」
「承知しました。ギルドカードを提示ください」
「はいはいっと」
「確かに受理いたしました。お気をつけてください」
ポンッと判を押す。彼女は先ほど出社したばかりの第二班の一人である。ギルドには四つのシフトがあり、それぞれ第一、二、三、四班と呼称している。
「朝から人が多いな〜」
「ヴェラ、思ってもそういうのは口に出さないの」
「えー、溜め込んでいたらとストレスになるじゃん」
「こらこら」
ヴェラと呼ばれる彼女は、ここ数ヶ月のうちにギルドの受付に入った一年社員である。
「どこかでずっこけても知らないわよ」
「大丈夫大丈夫、ちゃんと気はつけているよ!」
「本当かなぁ」
栄光を求めて王都シャーリアへと渡った冒険者がハーシムギルドに集う。故に全てのクエストがハーシムに斡旋され、受理から任務完了まで必要な手続き請け負っている。そして、ハーシムギルドにはS級を複数人を擁しているのもあり、憧れてやってきた冒険者も後が立たないのだ。
「忙しい」と零しても仕方ないだろう。
「ねぇ、あそこの受付の机とか向こうの地面も壊れているけど、何かあったの?」
「さあ? 大方冒険者が暴れたんじゃないの」
「ふーん……」
机が真っ二つに割れ、石の地面も砕かれている。今は業者が修理に取り掛かっているのだ。昨日まではなかったはず、とヴェラは唸る。
「おい、なにくっちゃべってんだ。早くしてくれよ」
「すみません。えーと、A級クエストですね。ギルドカードも確認できましたので受理いたします」
淡々と笑顔を絶やさずにクエストを捌いていき、日も少しずつ暮れていく。第二班は日出てから沈みかかるまでが労働時間(※約十時間)である。
◇◆
「う〜……あと少し……」
この日は珍しく残業していた。大手商業ギルドからの依頼で、冒険者から大量の運搬品を受け取り、ヴェラは物品が全て揃っているか厳重にチェックをしていた。ギルドへの信頼も損なわない為にもこうした細かいところでの確認も重視されるのだ。
「確か明日の昼までだし、今日はここまででいっか。これくらいなら一時間で終わるよね」
と、ヴェラは未チェック分の物品にメモを残して帰る準備を始める。夜道は危ない、と急いで着替える。
「あら、第二班の子ね?」
「ベランダさん、もう第四班の時間なんですね」
『第四班』。四つのシフトの中で最も過酷といわれ、夜になってから明けるまで、クエストを達成もしくは失敗した冒険者が帰ってくる時間帯を主担当する少数精鋭の班である。
彼女はその班長を務める大ベテランである。
「残業していたのね。夜も危ないし気をつけてね」
「…………」
「なに? 顔に何かついてる?」
「あっ、いえ、班長ってもっと、こう、近寄りがたい印象があったもので……」
「第二班の班長がエミリーだものね。ああ見えて優しいのよ。今度、話してみてはどう?」
「は、はいっ!」
第二班長は女性にしては体格が大きく、近寄り難い風格があったのは確かである。しかし、ヴェラが意外に思ったのは、ベランダの第一印象が関係していた。
目を引くような容姿ながら、いつでも睨みをきかせていそうな棘のある雰囲気だったが、いざ話してみると親近感を感じさせるような喋りで、ヴェラは驚きを隠せなかった。
「そろそろだと思うんだけど、まだかしらね」
「どうかしたんですか?」
「最後の班員がまだ来ていないのよ」
キッ、と見た目通りの鋭い雰囲気に変貌する。
鋭い眼光の矛先は一体誰なんだろう、とヴェラは胸の内に思った、その時。
「おっぱいクラッシュ〜」
「きゃあ!?」
何者かに背後から胸を揉みしだされ、ベランダは生娘のような悲鳴をあげた。
即座にベランダは拳骨で女性の頭をぶつけた。
「う〜痛いよぅ……」
「次、やったら殺すわよ?」
「はい」
そのうずまくる女性も整った容姿で、綺麗なブラウンベージュ系の髪だった。そして、ベランダとは正反対のふわっとした雰囲気だ。
「セレーナ、ギリギリだった申し開きは?」
「うんにゃ。メンテナンスに時間がかかっちゃって」
「はぁ…今回は間に合ったから見逃すけど、本当に遅刻したら許さないわよ」
彼女の場合、見た目と外見とは一致している。ヴェラはどことなく彼女に親近感を感じていた。
しかし、それは少し見当違いだった。
「ところでベランダ先輩、その子誰? 新入り?」
「第二班の子よ」
「あれ、第二班って……」
「えっと、残業していましてこれから帰るところだったのです。私は第二班のヴェラといいます」
「真面目な子もいるんだね! うちに欲しいなあ」
「あんたも少しは見習いなさいよ」
「むぅ、後輩の前でそういうの言わないでよー」
彼女たちのやり取りに、ヴェラは少しだけ羨ましく思った。実のところ、ヴェラは仕事場の関係は良好とはいえず、互いが互いに「あくまで他人の関係」を保っているが故に、どこかで遠慮してしまっていた。
「あっ、わたしはセレーナ。ベランダの奴隷だよ」
「えぇ!?」
「セレーナ? 何を言っているのかしら?」
「ごめんなさい」
今日の仕事だって、一人ではさばききれる量ではなく、数人が協力した方が効率的だった。しかし、彼女は「遠慮」してしまい、自分一人でやろうとしてしまったのだ。
「……仲が、いいんですね」
「そうねぇ。セレーナが入ってきてから随分経つわね。この仕事は私の方が長いけど、一つの年違いってのもあるかもしれないわね。でも、もう少し遠慮をして欲しいかな?」
「えー、溜め込んでいたらとストレスになるじゃん」
「そういうのは表では言っちゃダメよ」
「心得ておりませう」
「もう……」
この二人には「遠慮」という壁がなく、心の通じ合った親友を思わせるようなものだった。自分もああやって楽しく人とコミュニケーションとりながら仕事できていれば、と少しだけ羨望と憧れのまなざしで彼女たちを眺めた。
「ねぇ、ヴェラちゃん、もう暗いから泊まっていったらどうかな?」
「えっ、いいんですか?」
「うんにゃ、ベランダ先輩の部屋にどうぞ」
「いい度胸しているわね」
「だって、わたしのとこよりも綺麗ですよね」
「……はぁ、不本意だけど確かに夜は危ないものね。泊まっていく? 別に遠慮しなくてもいいわよ?」
「あっ、でも、家まで近いので大丈夫です!お気遣い、ありがとうございます!」
「そう、夜は本当に危ないから気をつけてね」
「はい! お疲れ様です!」
ヴェラは身支度を済ませて帰宅した。呑んで、ふざけている冒険者が徘徊し、危なかしさもあったが、特に何もなく、帰宅できた。
そして翌日、ヴェラの日常が変貌する。
◇◆
「───えっ?」
「えっ、じゃないよ。これはどういうことなのよ?」
出社して早々に、書類を突き出される。
それは昨日の未チェック分の指摘だ。
「今、商会は混乱状態にあるわ。これは貴女のミスですから自分で挽回するように」
「でも、これ……」
「それから他の仕事も怠らないようにね」
「……っ、はい…」
ペッと書類を放り出され、去っていく。
ろくに反論もできず黙り込んでしまった。
この失敗一つでは終わらなかった。
「ねぇ、この納品遅れてるけど!」
「す、すみません! すぐ対応します!」
「おい、今、金がねぇんだ。早く受理しろよ!」
「お待ちください」
一つの失敗に引っ張られ他の仕事が遅延する。
その度に先輩に叱られる。
「これ何よ? 4件の納品チェックが遅れてるじゃない。普通にやってればすぐに終わるのに一日遅れるってどういうことよ」
「………っ」
「あなた、本当にやる気あるの? 黙っていては分からないわよ」
「………すみません……」
「はぁ、今の若い子ときたら……」
と呆れ気味に去って行く。私は彼女を睨みつけて、密かに憎んだ。
───自分だって必死やっている。先輩よりも真面目にやっているつもりだ。いや、結局は「つもり」なのかもしれないが、自分はあんな風に呆れる暇もないほどに必死にやっている。
だというのに、私の必死を見ず、努力を見ず、結果のみで呆れる先輩に腹が立った。私は先輩の不協調性に恨まずにはいられなかった。
「あれ、今日も残業? それに最近上手くいってないって聞いてるけど大丈夫?」
「セレーナ先輩、大丈夫です。大丈夫ですから……」
「あ……」
───自分でやらねば認められない。
しかし、どれだけ必死になっても他の仕事の遅れが出て、取り戻して取り返して……いくら取り返そうとその都度に怒られ、頭を下げて続けた。
ついに、私は路頭で膝を抱えた。
「こんなに……頑張ってるのに……」
いくら泣こうと失敗は取り返せない。
一度失われた信頼は取り戻せない。
───仕事が、楽しくない。
「うっ……ううっ……」
小さな嗚咽は、夜風の音に消えていく。