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『いつ』「いつ」パート【Kan】

 時は、釈迦が入滅してから千年の後。

 西暦ならば6世紀から7世紀のこと。

 それは、飛鳥時代のことであった。


 この頃、日本では、聖徳太子が摂政として推古天皇の政治を補佐していた。

 朝鮮では、百済が日本と深い親交を続けていて、中国では、大国、隋が強大な権力を誇っていた。

 このあたりのことは、結局、どうであったのか、よく分からないのだが、少なくとも当時の世界情勢はこのように中華文明を中心としたものだった。


 そんな中で、貧しくとも、日本、つまり大和は国のまほろばであり、うまし国であった。

 天香具山に登れば、どこまでも、青々とした野が広がっているところが見通せたものだった。


 当時の大和は、とても自然が多く、美しい国だったのだが、残念なことに後進国であった。

 そこで、先進的な政治と文化を取り入れ、成長を遂げるために、積極的に遣隋使を遣わしていた。

 その代表は小野妹子であった。

 妹子は、男である。


「行ってきます」


「必ず帰ってこいよ……」


 妹子は、後ろから投げかけられた言葉に、振り向くと、頬に皺を寄せて、


「ええ、必ずっ」


 と言った。


 聖徳太子は、その妹子の顔をじっと見つめていた……。


 飛鳥時代……。

 法隆寺が建立されたのもこの頃ならば、さまざまな大陸文化がこの大和の国に流入してきたのもこの頃である。

 しかし、この頃の日本の仏教と言えば、朝鮮仏教の影響の方が大きかった。

 仏像を見ると、そうした特徴が出ているようである。

 それでも、当時、もっとも力のあった仏師、止利仏師の鋳造する仏像は、中国の北魏王朝の様式であった。

 そう考えると、中国からの影響もかなり大きかったようである。


 当時の日本人は、隋に赴くにも困難を極めた。

 遣隋使は、必ずたどり着くと保障されたものでは、決してなかった。

 ましてや、天竺にたどり着くことなどは夢のまた夢。

 それができぬのは海と大地の広さのせいだった。

 おお、巨大なる海よ。

 大地よ。

 どうして君は、僕たちをそんなに苦しめるのか……という当時の大和人の叫びが聴こえてくるようではないか。


 この頃、仏教といえば、非常に風変わりな形で日本に伝えられていた。

 仏は、神の一種と捉えられた。

 天竺の仏教が、日本の神に影響されて変化したのである。

 というより、仏教は、中国に伝わった段階で既に、儒教と道教の影響を受けていた。

 日本に伝わると、また八百万の神の洗礼を受けることになったのである。

 変わり続けるのが仏教の特徴でもある。


 この頃、外国の神を祀るか否かで蘇我氏と物部氏が対立したと言うが、真実は定かでない。

 それは、単なる政治的な抗争だったのかもしれない。


 いずれにしても、当時の日本にはびこっていたアニミズム(霊魂崇拝)・ナチュリズム(自然崇拝)から導き出されるカミの観念と、仏教のホトケはまったく異なるものだった。

 それにも関わらず、それを同じものと捉える傾向が、彼らの意識の根底にあったとみて間違いない。

 それは、スパゲティやラーメンを蕎麦と捉えるごとく誤っている。

 あるいは、チョコレートを洋風餡子と呼ぶようなものである。

 ナポリタンスパゲティを箸ですすって、イタリアンを称するごとき、誤りである。

 しかし、カルフォルニア巻きをたとえ日本人が嫌がろうとも、実際食べると美味しいように、日本は仏教を神として受容したことも、長い目でみれば、仏教にとって良いことだった。


 この物語は、そんな大和人の純粋な信仰に、異形なる先進文化の流入したことによって、あらゆる価値観念がごちゃまぜになった時代の出来事。


 世界情勢を見れば、大和がまだ後進の中の後進であった頃の出来事。


 すべてがまだ出揃わぬ、ものの不安定な時代に生み出された物語である。


 時の摂政、聖徳太子は、日本を強大な大国に思わせるためなのか、それとも別の意図なのか、あまり判然としないところではあるが、大国、隋に対し、自らを「日の出る国の天子」と名乗る奉書を送った。

 その一方、隋については「日の没する国の天子」と表現した。

 これは狂気の沙汰である。


 おそらく、太子は、これを書くことを決めた時、周囲の人間に「落ち着いてください」と止められたことだろう。

 しかし、彼は断行した。

 それはまるで、怒れるロックバンドのアーティストのようだ。

 彼は、律令政治の立役者であると共に、仏教の聖人であり、そして、ロックの精神を持った人物だったのだ。

 仲間の意見を突っぱねて、このような大胆な真似をしでかしたのだろう。



 そんなある時のこと、天香具山の上にふたりの人影があった。


「太子……。そろそろ、和の精神で行きましょう……」


「なに、和の精神だと……」


 太子は、眉をひそめつつ、その男の顔をまじまじと見つめた。


 この男は、高句麗から渡来した僧侶だった。


「いまや、この国は混乱のただ中にあります。この混乱を治めるには、仏法の和の精神を使うより他に道はありません」


「和の精神。貴様……わたしにそのような平和主義なことができると本気で思うておるのか……。つい先日、物部守屋を討った時、わたしは四天王に勝利を祈願した。そして、争いの末、物部守屋は死んだ。わたしは、その時、仏こそはなにものにも勝る争いの神と知ったのだ。呪術と軍事力によって統治してこそ、国はまとまる。秦の始皇帝もそうだったではないか!」


「太子……。そなたは、おそるべき人……。しかし、それが仏法のすべてではありませぬ。どうか、私めの申します、和の精神というものをよくよくご理解いただきとうござりまする」


「ふん。小賢しいわ。貴様は今がどんな時か知っておるのか」


「どんな時と申しますと……」


「大和はまだまだ小国だ。隋とは比べものにならぬ弱小国。そんな大和が大国と肩を並べられるようになるには、強大な仏の呪術が必要だ。そして、軍事力。外国も侵略せねばならぬ。わたしには、やらねばならぬことは山ほどあるわい」


「いけません。その争いを治めるのも、和の精神であります。皆が、手と手を取り合って、心を通わせて生きてゆく。そのような世を目指さねばなりません。天竺のアショーカ王がそのような精神で国を治めたことを知っておりますか」


「知らぬわ。だいたい、血で血を洗う抗争の末に手に入れたのが、この蘇我氏の地位。馬子のやったことをよく考えるがいいわ。死んでいった物部守屋の顔を今も覚えておるこのわたしに、どうして、今さら和の精神など語られようぞ」


「一度、荒れたことがある人でないと、荒れるものの心は分かりません。争いの中で傷んだあなたの心が、誰かの心を癒すときが必ずくるでしょう。今、和の精神を説けるのはあなただけです。あなたは適任者なのです。それに太子、間もなく桜が咲きます。春になろうとしているのです。ほら、あそこに……」


 僧の見つめる先に、桜の花が咲いている。とても美しい。太子はしみじみとそれを眺めて……。


「桜が咲くこの季節に、和をもって尊しとでも言わせようというのか……このわたしに。悪くない考えだ。しかし、それが叶うだろうか。この混迷の時代に……」


「ええ。信じましょう。和による平和を」


 太子は、感極まって、その高句麗から渡来した僧を抱きしめた。かけがえのない友情が生まれたのだ。


 太子は、その後、さまざまな政治に取り組み、律令政治の基礎を築いた。


 そんな太子は、かねてより、蘇我馬子の法興寺に対抗して、私寺、法隆寺の建立をすすめていた。

 だが、太子はそのうちに病に倒れ、日に日に瘦せおとろえていった。

 太子は、法隆寺の伽藍が完成し、本尊の釈迦三尊が鋳造された頃には、自分はもうこの世にはいないだろうという予感がしていた。

 そして、それはまぎれもない事実になろうとしていた。


 ある年、太子は崩御した。

 遅れて、本尊の釈迦三尊が完成し、法隆寺が結願を迎えた。

 法隆寺の甍が、日の光に輝いている。

 この釈迦三尊は、威厳のある笑みをたたえ、太子の気持ちを後世に伝えようとしている。


 その時、美しき観音菩薩様が天を舞って、地上を眺めながら、楽しげに楽器を鳴らしていた。

 この混迷の時代にまた何か、新しい事件の予感がした。

 それを慰めるような不思議な音色なのだった。


「おや、時代が動いておりますね」


 と笑う声が聞こえた。

 その美しい声の持ち主は、文殊菩薩様だった。

 空を飛ぶ雲に乗って、これから起ころうとする時の流れを見つめていた。


「これは始まりに過ぎませんね。何かが起きようとしています、この世界のどこかで。これからどのようなことが起こるのか、慈しみの心で見守っていきましょう」


 地上を見れば、また、桜が咲いている。

 春なのだ。


 物語は、このような時代に始まる……。

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