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九.本当の理由

 結局その日の二人は言葉を交わすことなく、学校を終えることとなった。

 ――仕方が無い、古都里には明日謝っておこう。

 旧街道に差し掛かった僕は、とりあえず単語帳の残りをやっつけることに。最初の街灯で、彼女手製の単語帳を開く。


『ニヤニヤ死にな』


 もう、どんな語呂合わせが来ても驚かなくなった。

 というか、これは今日の学校での出来事に対する反撃なんだよと、丸っこい文字が僕に語りかけてくる。

 死ぬ時にニヤニヤできたら、それはきっと幸せな人生だったんだろう……と感慨に浸ったところで、はっと我に返る。

「いやいや、これはただの語呂合わせだから」

 早く解かないと、タイムリミットの街灯に着いちゃうじゃないか。

 僕は冷静になって、この語呂合わせに自分なりの解法ルールを適用する。

 それは、『まず数字に変換できなかったら、考えるのを諦める』という方針だった。これまでの経験上、数字にできない場合はネットで検索した方が手っ取り早い。

「さて、どんな数字になることやら……」

 僕の頭の中で、『ニヤニヤ死にな』がカチカチと数字に変化されていく。

「もしかしてこれは、か?」

 なんだ簡単じゃないか。

 答えはきっと、数字の二八二八四二七に違いない。

「でもこの数字、いったい何を示しているのだろう……?」

 年号ではないことは明らかだ。だって七ケタだし。

 何かの定数? どこかの都市の人口? それともネット動画の再生回数?

 数字は自体は分かった。でもそれが何を意味しているのが分からない。

「うわっ、すごくもやもやする!」

 結局僕は、次の街灯でスマホを取り出し『ニヤニヤ死にな』を検索することに。

「なんだよ、八の平方根かよ……」

 というか、そもそも八の平方根なんて語呂合わせで覚える必要があるのだろうか?

 だって、八の平方根って二の平方根の二倍だろ。『一夜一夜に人見頃』を二倍すればいいだけじゃないか。

 街灯間を歩きながらそんなことを考えているうちに、僕はあることに気付く。

「待てよ。試験中に八の平方根を計算している暇があるか?」

 きっとその間にも時間はどんどん過ぎていって、ライバルに差をつけられてしまうに違いない。

 もしかしてこの語呂合わせは、過酷な受験戦争が生んだ産物なのではないだろうか。そんな結論を導き出した時には、次の街灯に着いていた。

「次の語呂合わせは何だろう?」

 僕は単語帳をめくる。


『アフロ中井』


 ぷっ、なんだこれ?

 絶対これは数字じゃない。

 じゃあ、ネット検索だ。

 僕はその場でスマホを出して検索してみる。

「なんだよ、出てこないじゃんかよ……」

 アフロ中井で出てくるのは、アフロ中井さんやそれに関係するページばかりだった。

「チクショー、やられた。まさかここまで計算してるとは!?」

 学校で古都里にひどい事を言ってしまったことを、心の底から反省する。

 数字じゃない。ネットでも出てこない。解く手がかりが全く無いとは、なんて最強の語呂合わせなんだ。

 仕方が無いので、いつかのように僕は「アフロ中井、アフロ中井」と夜空を見上げながらつぶやいた。

 しかし、タイムリミットの四番目の街灯が見えてきても、何も思い浮かばない。

「あー、アフロ中井って何だよっ!」

 僕はアルさんに聞こえるように小さく叫んでみた。

 彼女だったら答えを知っているかもしれない。

「ふふふ、新治クン。アフロ中井は、『井』をカタカナにするとわかりやすいですよ~」

 温かな風とともに耳元で柔らかな声がした。


「えっ、アルさん『アフロ中井』って知ってるの?」

「もちろんよ。私だって昔は受験生だったんだから」

 江戸時代に受験があったかどうかわからないが、『アフロ中井』は誰もが通る道らしい。

 早速僕は、アフロ中井の『井』をカタカナに換えて、『アフロ中イ』を頭の中に浮かべてみる――が、さっぱりわからない。

「ねえ、アルさん、もったいぶらずに答えを教えて下さいよ」

 僕が懇願すると、アルさんはいつかのような悪戯っ娘の顔をする。

「じゃあ、私の質問に答えてくれたら教えてあ・げ・る」

 いやいや、そんな女子力全開で言われても……。

 たとえ質問に答えても、得られるのがアフロ中井の秘密というのがなんだか腑に落ちない。

「わかりました。アルさんの質問って何ですか?」

「えっとね、新治クンは頑張って勉強してるけど、合格したら遠くの大学に行っちゃうの?」

 アルさんに訊かれて、僕は学校での一件を思い出す。


『やっぱり新治は、卒業したらこの町を出て行くの?』


 二人の女性から同じような質問をされるなんて、今日はなんという日なんだろう。

 古都里には「この町が好きじゃない」と言って悲しませてしまった。だから今は、慎重に言葉を選びたい。

「はい、都心の大学を受けようと思っています」

 僕は単刀直入に答える。

 この気持ちには嘘はない。

「じゃあ、一年とちょっと経ったら、新治クンとは会えなくなるのね……」

 悲しげな表情を見せるアルさん。僕の心はぎゅっと締め付けられる。

「ごめんなさい、アルさん」

 思わず謝罪の言葉が漏れた。あの時、古都里にも素直になれたらと思う。

「新治クンが謝ることはないのよ。だって新治クンの人生なんだもん」

 自分の人生だから、ちゃんと向き合わなくちゃいけないことがあった。

 だから思い切って言葉にする。

「僕は、母さんのいないこの町から離れたいんです」

 誰にも話したことのない本当の理由。

 アルさんだから打ち明けたのか、古都里にちゃんと話してあげるための練習だったのか、それはわからない。

 言葉にすることで自分の気持ちを確かめたかった。

「お母さんって?」

「亡くなったんです。十年前に」

「……」

 アルさんは黙って僕の話に耳を傾ける。その優しさが嬉しかった。

「母さんが亡くなってから、僕と父さんはこの町に引っ越して来たんです」

 父さんと母さんは研究者で、同じ職場で働いていた。しかし実験中の不幸な事故で母さんは亡くなってしまった。祖父母を頼って、僕たちはこの町にやって来たのだ。

「父さんの車の助手席から見た、この町の夜の風景が忘れられなくて。町並みがあるのに活気がなくぼやっとした暗い風景が、なんだか自分の心と一緒だなあって」

 はっきりとした輪郭のない、ただ朽ちていくのを待っているような風景。僕の心も同化してしまいそうで恐かった。

「この風景を見ていると、今でも時折あの時の悲しみを思い出すことがあるんです。だからこの町を離れたいんです。この町自体が嫌いというわけではないんです」

 自分の心に言い聞かせるように。

 そしていつかちゃんと古都里に話して、分かってもらえるように。

 アルさんの顔を見ると、ふっと小さく息を吐いている。

「よかった。新治クンがこの町を嫌いじゃなくて」

 この場所を離れることができないアルさん。町に対する愛着は、古都里と同じくらい強いはずだ。

 アルさんが見せてくれた安堵の表情に、僕はなんだか救われたような気持ちに包まれた。

「でもアルさんは、この町を出て行こうとする男の人を好きになったんですよね?」

 僕は、古都里から聞いた山門にまつわる話を思い出す。

「えっ、誰がそんなこと言ったの?」

「違うんですか? ここで男の人をずっと待ってて、力尽きてしまった町娘だったんじゃないかと」

「あははは、違うわよ。私は宇宙人って言ってるでしょ?」

「でも、この場所から離れられない」

「そう、離れられないわ」

 それってどんな気持ちなんだろう。

「好きな人がこの町を出て行っても?」

 するとアルさんは少し考えた後、静かに言葉を紡ぐ。

「その時はね、泣いて、泣いて、泣き通すの。涙が出なくなった時はもう忘れてる。女ってそんなものよ」

 僕だったら、自分でなんとかしようとするのにな。

 それが男と女の違いなのかもしれない。

 僕は、ふと最初の質問を思い出す。

「ところで、アフロ中井って何ですか?」

 返ってきたのは、江戸時代の町娘には難しすぎる答えだった。

「国連常任理事国よ」

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