二.語呂合わせ
「さて、今週は何だろう?」
旧街道に差し掛かると、最初の街灯の下で僕は単語帳を開く。
期待を込めて視線を落とした一枚目には、マジックの丸っこい文字でこう書かれていた。
『一夜一夜に人見頃』
どっかで聞いた事があるぞ……?
なんてボケてたら大学受験は受からない。
ていうかあいつ、僕のことバカにしてるだろ。これって中学校の数学じゃないか。
答えは、数字の一・四一四二一三五六。二の平方根を覚えるための語呂合わせだ。
「いやいや、もうちょっと受験に役立つ問題にしてくれよ……」
いきなりやることが無くなった僕は、宙を見上げながら次の街灯を目指して歩く。
目に入るのは、街道沿いの旧家の屋根瓦。その上に広がる高く澄んだ二月の夜空には、チラチラとおうし座のスバルが瞬いていた。
「寒っ!」
こんなにも夜空が澄んでいるのだから冷えるのは当たり前だ。僕は急いで次の街灯に向かい、白熱電灯の光の下で単語帳をめくる。
『イチゴパンツの大事件』
なんだ、こりゃ!?
これって受験に役立つことなのかよ?
僕は困惑した。だって書かれている言葉の意味が、ぱっと見た目に分からなかったから。
「待てよ。さっきよりも難しくなったのは明らかなんだから、ちょっと頑張ってみよう……」
僕は気を取り直し、イチゴパンツの意味を考えながら歩き出す。タイムリミットである次の街灯はまだ遠い。
「さっきは語呂合わせだったから、今回も語呂合わせじゃないのか?」
これまで渡された単語帳には、それぞれテーマが設定されていた。今回もテーマがあるとすると、最初の問題から判断して『語呂合わせ』の可能性が高い。
「イチゴパンツ。これが数字の語呂合わせだとすると……」
カチカチと僕の頭の中でイチゴパンツが数字に変換されていく。
「多分イチゴは、一、五だな。じゃあ、パンツは何だ?」
パンツ、パンツ、パンツ、パンツ……。
人に聞かれたらなんだかヤバそうだが、口の中でもごもごと『パンツ』を繰り返してみる。
「も、もしかして八、二!?」
おおっ、数字が出て来た!
ていうか、まさかの英語交じり?
でも、これで合ってるような気がする。
一と五、そして二と八。これを繋げると四つの数字になった。
「一五八二か。一五八二、一五八二……そうかっ!」
僕は閃いた。
一五八二は、年号を意味するのではないかと思い当たったからだ。
日本史で一六〇〇年は関ヶ原の合戦だから、一五八二年はその十八年前。その年に起きた大事件といえば、たぶんあれだろう。
「本能寺の変か……?」
というか、これって役に立つ語呂合わせなのか?
事件と搦めて覚えるには「イチゴパンツの信長公」とか、そんな風にしないといけないんじゃないかと不満を抱きながら、不謹慎にもハレンチな信長公の姿で頭の中を一杯にしてしまう。
そんなもやもやとした気持ちのまま、僕は次の街灯に辿り着いた。
「次は、まともな問題が出てきてくれよ……」
街灯に照らしながら単語帳をめくった僕は、そこに書かれている奇妙な言葉にあ然とする。
『変な姉ちゃん、ある暗がりでキスの練習』
あいつ、絶対ふざけてるだろ?
イチゴパンツといい、キスの練習といい、絶対遊んでるとしか思えない。明日学校で文句を言ってやる。
脳裏に浮かぶクラスメートのせせら笑いに悪態をつきながらも、僕は答えを考える。
しかし、これって語呂合わせなのか?
今までの語呂合わせは全部数字だったが、この文はどう考えても数字に変換できるとは思えない。『変な姉ちゃん』がどんな数字になるのか、宇宙人でも誰でもいいから分かるやつがいたら教えてくれよ!
「変な姉ちゃん、変な姉ちゃん……」
さっきの『パンツ』と同様に、上を向きながらつぶやいてみる。
やっぱり口に出してみないと答えは出て来そうにない。
幸い、旧街道に人なんてほとんど居なかった。
「パンツは閃いたけど、今回は全然わからないぞ……」
一向に答えが見つからないまま、タイムリミットの街灯が頭上に見えてくる。
「ある暗がりでキスの練習って、一体なんのことなんだよっ!?」
出題者への恨みを込めて僕が小さく叫んだその時――
「私のこと呼びましたか?」
突然耳元に掛けられたのは、女性の可愛らしい声だった。