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序幕

泰平の世が到来した。


都を有した大国は、長年の宿敵であった山国をついに滅亡させたが、半年も経たぬ内に、大国の主は家臣に背かれあっさり世を去った。

その後、運よく都より脱出した国主の長男により、背いた家臣は討たれるが、ふたりの重臣が独立する事となった。なんだかんだで、かつての大国は主家を宗主とした連合政権となり、どさくさで独立した西の大将と、北の大将が相討ちとなり、跡継ぎのいない西の大将の軍がさらに分裂したが、各個に懐柔撃破され、宗主国に吸収された。かつて、山の国を滅ぼした大国はこうして再構築をしたのである。

次に大国の属国である。属国の国主は、宗主国の謀反が起きた際に都に居たのだが、逃げる際に道を間違えて落武者狩りにやられてしまい、その領土は国主の息子らと重臣で分割統治されることとなる。

懸川城には武断派の長男が、宗主国の隣の岡崎城には外交の上手い三男が、中間の吉田には妾腹の次男が入り、引間は城には妾腹の次男の双子の弟が入り、久野には一番若い五男が入った。その分割統治のまま相対的な強国である宗主国の傘下となる事となる。

対して駿河は、生き残った山国の元重臣を中心に、本来属国に吸収されていた山国の旧家臣たちにより分割統治され、宗主国傘下となる。

そして宗主国は、各有力者の統治をする地を、唐の故事から藩と名付け、これにより近畿と東海の一帯は連合国家の体を要したのである。

対して、敵対していた関東勢力と山陽山陰勢力、ついでに北陸勢力も、跡継ぎ争いやら、当主の能力問題やらで弱体化していた。

そこに天候の良さからくる豊作が続き、戦をするより、手を組んで開発した方が実入りが良いと話がまとまる訳である。

御簾の奥に座した皇上の元、都を有する近畿東海の連合国に、関東、山陽山陰、北陸の大国が賛同し、さらには四国と九州の三強がそれに賛同し、宗主の本城のある国を取った近江幕府が誕生したわけである。


これにより、元号を慶長とし、幕府と藩からなる。すなわち幕藩体制の始まりである。

それは百年以上続いた、戦乱の世の終わり、天下泰平の世の中の始まりであった。


そんな中、遠淡海国引間藩。かつては北の山国と、この地を治めた国の激戦地となっていた、最前線である。そんな土地柄のせいか、各地から逃げてきた流民が多く流れてきていた。

そんな中にある男女がいた。名を乱三と奈緒と言う。

二人は山国の一部であった伊那藩と引間藩を結ぶ街道を下ってきた。街道の途中にある村で宿をこうた際に、同じ山の国の重臣の娘、万斛殿と出会う。

娘と言っても、すでに四十過ぎで子連れ。しかしながら、同じ国の出身ゆえに気に入られた。

折しも、付近で盗人をしていた流民を乱三が捕える。盗人は仁坊といい、命乞いをした。

万斛殿が住む地の庄屋は、乱三に褒美をやると言うと、万斛殿が鶴の一声を発した。

曰く、乱三と奈緒を村に住まわせ、警備をさせようとのこと。さらには流民の仁坊も罪を減じて、乱三の下男にしようと言い出したのだ。

村の警備は古来より非人がやるものであったが、有力者がお抱えの士分にやらせる例もある。万斛殿が自身の譜代を持たず、何かにつけ信頼出来る臣を欲しがっていたのは知っていたが、特に異論もなし、庄屋は郷の南端、すなわち万斛殿の住む屋敷より離れた管理しにくい地の、往還路沿いに番所を建て、乱三たちを住まわせることにした。幕府の法度では、砦や城は作る事は出来ぬが、番所であれば藩の許可があれば造れるので、万斛殿お抱えの足軽詰所として許可をもらい、南の上泉橋に番所を建てたのである。

これにより乱三は、金三枚一人扶持の須和の局の足軽として、上泉番所を預かる事となる。


この物語はそんな時代の、郷村を舞台にしたお伽噺である。

歴史が得意な方なら分かると思いますが、近江幕府の初代は織田信忠となります。

独立した西の大将は羽柴秀吉、北の大将は柴田勝家で、二人は共倒れでこの世界には存在せず、伊賀越えに失敗した家康は亡くなり、代わりに穴山梅雪が残り、駿河の藩主となりました。

三河と遠江は、岡崎に秀忠、吉田に秀康、浜松に貞愛、久野(袋井)に忠吉、掛川に信康がいて、る設定となりますね。

万斛殿のモデルは、阿茶の局となりますが、極めて分かりやすかったと思います。万斛殿は小牧長久手に相当する、長久手評議に大阪の時の立場となったために、出家せずに万斛にそのまま定住して、貞愛の保護下となる訳です。


つまり舞台となるのは、本来の歴史で言う浜松藩。忠吉でなく、貞愛を藩主としたのは、隠し子であった貞愛が藩主となり、家康の側室で最も信頼された阿茶の局が幽閉生活になると言う逆転対比となるんですが、そこまで描く描けるかは未定です。


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