13 死を意識せよ
私は何を叫んだのでしょう。何を言っていたのでしょう。
血だまりの中で、私の記憶は途切れ途切れになり、思考もばらばらになり、どうしていいのかも分からず、ただ言葉にならない言葉を発し、喚き、自分の心の中に広がるこの気持ちの名前をとうとう思いつかず、悲しいのか嬉しいのか楽しいのか、何もかも分からず、ただただ叫んでいたのです。
その後、社員の方と館長がどこからともなく現れたときも、イチサンと私がひきはがされたときも、小さな部屋に連れていかれるときも、私は喚いていました。
何日も、そうしていたように思います。しかし、実際には数時間の出来事だったと、後に館長に聞かされました。疲れ果て、電池が切れるように眠りに落ちた私は、目が覚めると平然と言ったそうです。
「館長に会わせてください。仕事の報告をします」
自分でも、自分が分からなくなることがあるように、自分でも自分が恐ろしくなると、後々思い出してはそう思います。私は、もうすっかりイチサンの死を受けとめていたのです。
館長室に戻ると、部屋はいつも通りになっていました。イチサンの血も綺麗に無くなり、椅子と階段がいつもの場所にあり、いつものように館長が私を待っていました。
「お仕事、お疲れさまでした」
女性の、透き通るような声でした。
「二十番は、どうなりましたか」
「治療室にいますよ。君がぼきぼきにしてしまいましたから」
ふふ、と館長は笑います。
「彼を救いましたね」
その言葉に、私は素直に頷くことができました。私は、上崎君を救いました。
館長が、うん、と言って仮面を上下に動かしました。
「よい正義です」
「ありがとうございます」
ふふ、と館長がもう一度笑うと、手をすっと横に出しました。部屋の奥から、いつもの女性が現れて、その手の上に黒い箱を置きました。
館長は、黙って黒い箱を静かに開けました。そこから取りだされたのは、血でまみれたイチサンの仮面でした。私の胃が、痛くなりました。
「つけますか」
館長が、仮面を私に差しだしました。そこで初めて、私は自分が仮面をつけていないことを意識しました。思わず頬を押さえましたが、彼の仮面をつけるわけにはいきません。私は首を横に振りました。
「いえ。それは、私のものではありません」
「自分が死んだら、弟子に渡してくれと、彼に言われたんですよ。それに、きっと君へのメッセージも」
館長は、乾いた血がこびりつく仮面をひっくりかえしました。そこには知らない言葉と13の数字が彫られていました。目を凝らしてみましたが、それは知らない言葉でした。館長が小さく仮面を上下に振ったので、私は黙ってイチサンの仮面を受けとりました。
「私も知りませんでした」
館長が言います。私は、館長に何と読むのかを訊きました。
「メメント・モリですよ。私の好きな邦訳は、死を意識せよ、ですね」
私は無言でその言葉を見つめました。Memento mori。
「これは、きっと彼の好きな言葉だったのだと思います。いつか、私に教えてくれると、約束していました」
素敵なレディになったら教えてくれると約束した、あの日のことを思いだしました。
「私の師匠は、死をいつも意識している人は異常だと言っていました。だから、私もおかしいのだと――」
それなのに、こんな言葉を遺すなんて。
気がつくと私は泣いていました。
「すみません」
涙を拭っても拭っても、その涙が止まる気配はしないのです。止めようと必死になっていたため、館長が静かに立ちあがり、私の方に歩いて来たことに気がつきませんでした。
ばさりと両腕を広げる音がして初めて、私は目の前に館長がいることに気がつき、はっと顔をあげました。
その瞬間、私は館長に抱きしめられました。私は息をのみました。
「十三番を、受け継ぎなさい。その数字は、雅あんず、あなたが受け継ぐべき数字です」
驚いたことに、その声は機械を介したものではなく、仮面の向こうから聞こえてきました。初めての肉声に、私は目を丸くしました。先ほどから聞いていた声と同じ、優しい女性の声でしたが、機械を介しているときよりもさらに暖かい声でした。
「正義は美しい。貴方達三人の姿を見て、私は確信しました。どんな形でもいい。正義は美しいと実感させてくれてありがとう。もしよければ、今後も私のもとで働き、貴方の正義を貫いてほしいのです」
手にしている仮面を握りしめながら、私は静かに頷きました。私が泣きおわるまで、館長は黙って、私を抱きしめ続けてくれました。




