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10 これが私の正義です。

 二日後は、月が無い静かな夜でした。十一時半きっかりに、私たちは館長室に呼ばれました。館長室の電気は明るく部屋を照らしており、隅々まで見ることができました。いつも館長が腰かけている椅子も、階段までも撤去されています。何もない空間の隅に、からかうように様々な武器が置かれていました。


 私は天井をぐるりと見ましたが、カメラは見当たりませんでした。しかし、見られていないというふうには感じられませんでした。どこかで、館長はこのようすを見ているはずです。


 イチサンは、いつものように静かに笑いながら、私の左側を歩いていました。上崎君は、対照的に歯を食いしばりながら、私の右側を歩いています。


 私たちは館長室の真ん中に来ると、静かに停止しました。私を挟んで、二人が同時に向きあいます。


「聞きたいことがあると、伺っています」

 イチサンが言いました。ああ、と答える上崎君の声は、枯れていました。


「お前が殺し屋だったということはすでに調べがついている。組織に雇われず、依頼があれば殺していたんだってな。しかも、罪のある奴らを専門とした殺し屋だった、とか」

「随分と前のことになりますね」

「俺の家族も、お前に殺された」

「証拠は喉元のバツ印ですね?」

 イチサンの発言に、上崎君は顔を歪めました。それでも、彼は会話をやめませんでした。


「……そうだ。過去の犯罪履歴を見ても、お前が見つからないときは焦ったよ。お前は犯罪を起こす側の人間から保護されるような人物だった。この会社がしているように、金と権力でお前の姿はうやむやにされていた。だからこの前、唯一の手掛かりをお前自身が見せてくれて、本当に助かったよ」


 そうですか、とイチサンは落ちついた声で言いました。


「貴方の両親を殺したことは間違いありません。館長にね、事前情報として教えていただきましたよ。しっかりと覚えていました、記憶力はいい方ですからね」


「なぜ、姉を殺したのかを訊きたい。どうして、罪の無い姉を」

 上崎君の語調が荒くなります。

「どうして、罪の無い姉を殺したんだ」


 悲鳴のような叫びでしたが、イチサンは驚きもせず、にこにこと笑いながら返答しました。


「死は安らぎだからです。あのまま生きていても、彼女は幸せにならないと、私が判断したためです」


 ぎり、と上崎君が歯を食いしばりました。

「てめえの物差しかよ、ふざけんな、クズが」


 ええ、とイチサンは頷くと、強い語調で言いました。

「承知しています。私は平均的な人間とは随分かけ離れた考えを持っていることも、それが世の中ではクズだと罵倒されるような考えであるということもです。

 しかし、私は彼女を幸せにした。今も、彼女のような、しかし私が生きながらえさせてしまったがために、恨みにおぼれるかわいそうな人々を、私は殺しているのです。私を恨んでいる人を、安らかな死へと導く。それが私の正義です」



 最後まで言い終わるか終わらないかのうちに、上崎君は、イチサンと上崎君の間に立っていた私を払いのけました。突然の行動に、私は両手で彼の攻撃をガードすることしかできませんでした。上崎君の咆哮を聞きながら、私は後ろによろめきました。


 上崎君の手には、ナイフが握られていました。今度は、この前のように弱々しく震えてはいませんでした。覚悟ができた切っ先は、迷いなくイチサンへと向かおうと振りあげられていました。


 イチサンは動きません。にこにこと、変わらぬ立ち姿で上崎君の行動を見ているだけです。


 動かなかったのは、私への信頼の証でしょう。

 その信頼に感激しながら、私は相変わらずガードの薄い上崎君の横腹に、思い切り蹴りを入れました。上崎君にとっては、予想外の攻撃だったのでしょう。ナイフを握る手が緩み、彼はよろよろと体制を崩しました。


「雅ぃ! てめえやっぱり、こいつの味方かよ!」


 上崎君が叫びます。違う、という私の声も、届かないようでした。髪を振り乱し、泣きながら彼は言います。


「邪魔するな、邪魔するなよ、邪魔するな! どけよ、こいつを殺さないと、こんなクズ野郎に、どうして俺の姉ちゃんは」


「どうして、私のお姉さんはこんなやつに殺されなきゃいけないんだろう」


 静かに言いましたが、この言葉は、彼に届いたようでした。イチサンを背に、私は続けます。


「痛いほど分かるよ。私も君と一緒だから、上崎君。殺されなくてもいい人を殺された。人を恨む気持ち、殺したいっていう気持ち、本当に分かるよ」


 彼のつけている仮面の下から、涙が流れ落ちました。

「じゃあ、殺させてくれよ。分かるんだろ」


「分かるよ。殺させてあげたいよ、本当はね。でも、君は殺した後の気持ちを知らないでしょ」

 上崎君が黙りました。私は淡々と続けます。


「殺した後の、喪失感とか、人殺しになったんだっていう罪の意識とか……信じられる? どんなやつでも、殺しちゃったって事実は一緒なんだ。

 私は人殺しになってしまったんだって、そう思ったとき、今まで真っ暗な世界にいたはずなのに、さらに暗い世界に着き落とされるんだよ。

 それなのに、私も死のうっていう考えにはならなかった。そんな勇気なかったんだよ。自分勝手さに気がついて、絶望するんだ。


 知らないでしょ、そりゃそうだよ。こっちに、来ない方がいい。絶対に、こんな思いしない方がいい。私は、上崎君にそういう場所に行ってほしくない」


「……でも、俺は」

「分かってる。それでも殺したい気持ちも、よく分かる。だから」


 私は背中に隠していたナイフを静かに抜き取ると、素早く上崎君に背を向けました。

 目の前には、イチサンが悠々と、笑いながらこちらを見つめていました。


「私が上崎君の代わりに、殺したくなるほど憎んでいるこいつを殺してあげる」


 これが私の正義です。


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