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9  「可愛いね」

「私は昔、人を殺す仕事をしていました」

 その言葉は、上崎君にどのように響いたか分かりません。しかし、上崎君は自分の感情を表に出すようなことはしませんでした。黙って、イチサンの話を聞いています。


「人を殺すと、恨まれます。私を恨んでいる人が、この国には何人もいる。そういう人達を、私はこの世に生みだしてしまった。その人達を、楽にしてあげなければ、そう思うのです。私の正義の対象は、私を恨んでいる人を殺すこと、その人達に、そうすることで平安を与えることです」


 一気に言うと、イチサンは少しさみしそうに言いました。


「突然こんな話をしてしまい、申し訳ありません。きっと、嫌悪感を抱かれたかと思います」


 さあ、どういう返事をするか。私は興味深く、上崎君の返答を待ちました。上崎君は少しだけ間を置き、感情を込めずに言いました。


「たくさんの正義があります。たくさんの考えがあります。ひとつひとつに心を動かし、やきもきしていたようでは、ここでは生きていけないと考えています」


 上崎君の返事に、私は驚きました。なんと大人な、と思ったのです。イチサンに目をやると、彼もそう思ったのでしょう、私に向かって、首をかしげて笑いました。私も同じ動作をします。


「そうですか。二十番君、貴方の噂は聞いていましたが、ここまでしっかりしているとは、驚きです」


 上崎君は返事をしませんでしたが、イチサンは気にしていない様子でした。少しだけ身体の向きを変え、私も手を伸ばしてきました。私も手を差しだそうとしたそのとき、驚いたことに、イチサンの手が私の目の前を通りこし、頭の上まで行き……「わあっ」


 撫でられました。予想外もいいところです。

 私が後ろに飛びのくと、あはははは、とイチサンは楽しそうに笑いました。


「そんなに遅い反応じゃ、危ないですよ」

「や、やめてください! これから仕事なのに!」


 イチサンとの仕事となると、常に浮かれている私が言うセリフではありません。しかし、上崎君の手前、なんとかしっかりとした返事をしなければと思い、こんなことを言ってしまいました。可愛げがありません。しかし、イチサンにはそれが

「可愛いね」

 というふうに届いていたようで、もう、大パニックです。


「そ、そんなこ、な」

 恥ずかしすぎて、私は両手で顔を覆ってしまいました。そのとき、お邪魔してごめんと館長の声が聞こえました。


 仕事の時間です。私は心のスイッチをかちりと切りかえました。



 今日は、前回イチサンと行った仕事場よりも静かな場所に向かいました。車には、私とイチサンと上崎君の他に、六番の女性が同行していました。彼女は、この前の八十七番、八十八番さんのように、イチサンの正義の対象では無い人を代わりに引き受ける要員です。


 彼女はとても背が高く、腰までとどく長い黒髪が特徴的な方です。煙草をくわえたまま、車の中では終始うつむき、こくりこくりと舟を漕いでいました。なぜ煙草を落とさないのかが不思議でなりません。


 都心から少し外れたところに、その店はありました。「BAR」とだけ書いた看板が、ちかちかと瞬いています。地下に向かう階段があり、それをレトロなランプが照らしていました。


「いってら」

 車を出るとき、六番さんはそういって手をひらひらと振りました。銀色の爪先が、光に反射してきらきらと光ります。


「二十番君、辛くなったらいつでも戻っておいで。お姉さんが介抱してあげるから」


 ふふ、と赤いルージュが微笑みます。どうも、と返事をした上崎君は、なかなか肝が据わっていました。


 彼女は、顔の左下のみが隠れている仮面、つまりは私たちよりも大きな仮面をつけていました。仮面の装飾が多くなり、さらに大きさも変化することで、階級が見分けられる話を前にしたと思います。彼女の仮面は、この車の中でずばぬけて地位の高いことを象徴しているのです。


「可愛い子」

 透き通る声に、優しい微笑み。六番さんのその表情に少しの恐怖を覚えた私は、思わず静かに頭を下げました。いいのよと言いたげに、彼女はもう一度手を振り、車の扉を閉めました。


「変な姉さん」

 私が慌てて上崎君の口をふさぐ様子を見て、イチサンはくすくすと笑っていました。


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