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7 素敵なレディになったら、ですかね

 私が十二歳になったばかりのころ、ある日の仕事帰りのことでした。随分とご機嫌なイチサンは、私にこう言ったのです。


「私にはね、ヨーちゃん、とっても好きな言葉があるのです。いつか、君にも教えてあげる」

 イチサンのことを知れる、と思った私は、そのときとても嬉しくなりました。


「今じゃだめなんですか」

 興奮気味に訊くと、イチサンは首を横に振りました。


「だめです。どうしてか分かりますか?」

「私が、一人前じゃないから?」

 少し拗ねると、あははとイチサンは愉快そうに笑いました。


「ヨーちゃんは十分に一人前ですよ。自分の正義を果たして、新たな正義を見つけられたのですから。だめな理由は、単純に私もヨーちゃんも楽しくなるからですよ」

「楽しくなる?」

「いつか教えてあげます。こういう約束をすると、未来が輝くとは思いませんか?」

「未来……」


 死は安らぎ、といつも言っているイチサンにしては珍しい言葉だな、と思いました。死を望んでいる彼が、未来に希望を見出すなんて、少し矛盾めいているなとも思ったものです。そのことには触れず、私は

「でも、いつかって、いつですか」

 と訊きました。


「はっきりしないと、不安になります」

 私が急かすと、そうですねえとイチサンは首をかしげました。きっとそれはポーズで、答えは決まっていたと私は考えています。


「あなたが、素敵なレディになったら、ですかね」

「……レディ」


 私は想像しました。イチサンに、レディとしてエスコートされる日が来たら、それはどんなに幸せなことでしょう。


「今はまだ、ガールですからね」

 からかわれ、私は頬を膨らませました。

「さっさと年を取りますよ」

 待っています、とイチサンは言ってくれました。今でも、私はその約束を覚えています。イチサンも覚えていてくれて、私はとても幸せでした。これは、絶対に二十番には教えません。きっと誰にも教えません。


 私たちだけの、大切な秘密です。


「教えてもらえないことがあるのも分かった……いいよ、教えてもらえる範囲で、俺も四番から情報をもらいまくる」


 上崎君はそう言って、拳を握りました。


「その意気です。ヨーちゃんは、きっと分かりやすく教えてくれますよ。私が分かりやすく教えましたからね」

「イチサン、凄い自信!」


 言いながら、私は笑いました。二人も、楽しそうに声を上げて笑いました。




 私は今でも、夢に見るくらい、このひとときが忘れられません。


 永遠に、三人で雑談をした時間が続けばよかったのにと思います。大切な時間は、いつでも後になって気がつきます。当たり前です。私たちは、誰も、未来に起こることをしっかりと予想することなどできないのですから。




 その後、私たちは三人で雑談がてら、黒路映画館についてのあれこれを上崎君に話しました。六時間ほど話していたと思います。夕飯をイチサンにおごっていただき、夜九時、私たちは帰路に着きました。男子寮と女子寮は近くにあったため、月曜には待ちあわせをし、二人で登校しました。


「あんず、つきあいはじめたの?」

「今日二人で登校してたじゃん!」


 友人に言われ続け、私はへとへとになってしまいました。


 確かに、私の頭の中は今、上崎君のことでいっぱいでしたが、それはそういう意味ではありません。部下として、彼を立派な社員にすることへのプレッシャーで、私はすでにいっぱいいっぱいなのです。


「もうさ、つきあってることにする?」

 下校中(つまりは出社中)、珍しく疲れた様子の彼は、私に提案してきました。


「何それ、告白?」

 げっそりしたまま、私は返事をします。道を隔てた向こう側から、クラスメイトの男子たちがこちらを指差してヒュウヒュウと口笛を鳴らしました。


「あいつら、私が本気だしたらひとたまりもないんだけどな」

 私が睨むと、わっと男子の集団が騒ぎました。へらへらと笑っています。


「ああいうのは無視に限るよ。あと、告白じゃない、ごめん」

「おう」

「おうって、男らしいなあ」

「よく言われますぅ」


 私は走りはじめました。慌てて後をついてくる上崎君に向けて、男子の誰かが「尻に敷かれている」と笑っていて、少し私も笑ってしまいました。


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