4 「静かになさい。静かになさらないと、殺しますよ」
仮面をつけたまま道に降りると、運悪く、店の外にいた男性が「わっ」と声をあげました。彼は私たちのことを知っているようです。
少し放っておけば、男性は叫び声をあげたかもしれません。しかし、イチサンの反応はとても素早いものでした。音も無く、最短距離でその男性に近づくと、彼の唇に長い人差し指を押しつけました。
「静かになさい。静かになさらないと、殺しますよ」
私は大股で歩きながら、イチサンのすぐ後ろにつきました。イチサンの殺す、は大概がはったりです。彼の正義は、誰もかれも殺すようなものではありません。
しかし、その脅しは、男性には効果抜群だったようです。男性は息を小刻みに吸いながら、こくこくと頷きました。
「店長に、黒路映画館が来たとお伝えなさい」
はひっ、と息が漏れるような返事をして、男性が階段を駆け上っていきました。イチサンは、黙って店に入ってしまいます。きらきらと光り輝く店に、私も足を踏みいれました。
壁に目をやると、いろいろな身体の箇所を強調する女性と、彼女たちの値段を示す数字がちらほらと目に入りました。
きっと、ここは中学生が入るような店ではありません。
店に入り、イチサンはその場にいた人全員に向かって、唇に人差し指を当ててみせました。店には、たくさんのソファと、そこに腰掛ける男女がいました。客であろう男性の多くはぽかんとしたままイチサンを見ていましたが、スタッフの何人かは、男女問わず顔色を変えました。
「静かに願います。私は話をしに来ただけです」
これも、もちろんはったりです。大嘘つきだ、と思いながら、私はイチサンを見あげました。私の視線に気がついたイチサンは、にこりと首をかしげました。
「こんな時間から、している店もあるのですね」
ね、と言われましても、反応に困ります。私が肩をすくめると、イチサンはふふ、と笑いました。店は、ちらほらと話す男性客の声が響くだけで、あとはしん、としています。
「営業妨害、すみません」
近くにいた従業員であろうスーツ姿の男性に、イチサンは言いました。彼は首を横に振り、そそくさと逃げていきました。イチサンはつまらなそうに、傍にあった椅子に腰かけます。私は彼の横に立ち、おとなしく待っていました。
数分後、店の奥から背の高いスーツ姿の男性が現れました。
「お待たせしました」
イチサンは無言で立ちあがりました。迎えに来てくれた男性は、こちらに、と言って歩きはじめました。他の従業員に比べて、随分肝が座った方だな、と思いました。
店の奥にある扉を抜け、エレベーターで最上階まで行きました。五階建てのビルでしたから、あっという間についてしまいます。チン、と間抜けなベルが鳴りました。
こちらに、としつこい言葉を男性は言い、ゆっくりと私たちを案内しました。イチサンの後ろを、私はついていきます。日本の古き良き女性のような位置取りです。
五階には、ドアがふたつしかありませんでした。その中の大きな扉の向こうにある部屋に通されました。そこは社長室だったのでしょう。白いソファが部屋の真ん中にでんと置いてあります。
そこに座っている男性に向かって、イチサンは言いました。
「初めまして、社長。黒路映画館より参りました、名はございません。ここに水野さん、柿谷さん、一之宮さんはいらっしゃいますね。その三人を呼んでいただきたいのです。お話がございます」
イチサンが用件のみを的確に伝えると、社長はふん、と口をへの字に曲げました。
「なぜだ」
「黒路映画館からの指示でございます」
イチサンの行動はいつも素早く、殺し以外は本当にシンプルです。彼はパーカーの右ポケットに手を突っ込み、そこから札束を三束取り出し(どうでもいいことかもしれませんが、もう少し丁寧にお金を扱うべきだとは思います)、社長に直接差しだしました。
「これは呼びだし料と口止め料でございます。これに加え、少し荒事になるかもしれませんが、その分の修理費も払いますし、事後処理も黒路映画館でさせていただきます」
社長はふむ、と頷き、その札束をしっかりと受けとりました。
「黒路映画館、噂には聞いていたが、実際に対面するのは初めてだ。君らは何をする人達なんだ。噂につきまとう君たちの事件は、慈善活動から大量殺人まで様々だが」
社長の質問に、ふ、とイチサンは微笑みました。
「それをお話するのなら、この会社の儲けを三年分、頂く必要がございます」
その返事が気にいったのか、はは、と大きな口を開けて社長は笑いました。大きな金歯が、奥にちらりと見えました。
「タカ、四階の会議室にご案内しろ。あぁ、その前に水野、柿谷、一之宮を呼べ」
タカ、と呼ばれた案内人の男性は、はっと言ってさがりました。
「素早い対応、感謝します」
イチサンが言うと、社長は苦笑しました。
「黒路には逆らうな、と巷で言われているのは知らんのか」
ふふ、とイチサンはお得意の謎めいた笑いを返しました。
「それは光栄なことです。そして懸命なことでもあります。もちろんのことですが、従業員の皆さまだけでなく、ここにいらっしゃるお客様にも、口止めを」
「ああ、もちろんだ」
「よろしくお願い致します」
仕事の早い案内人が、お待たせしました、と戻ってきました。不自然すぎる早さに、私は少しだけ警戒しました。その空気を感じ取ったのは、きっとイチサンだけだったと思います。
「ご案内感謝します」
後ろを向き、違和感のない動作で、イチサンは私の肩に触れました。
落ち着け、という彼の意思を、私はしっかりと汲みとることができました。




