雪の日のヨハン・シュトラウス
ぱっと思いついたので書きました。
駄文ですが息抜き程度にご覧ください。
「ねえねえ由梨、来週の日曜遊びに行かない?」
そう言って私こと佐藤由梨に声をかけてきたのは、小学校以来の親友である山本里奈です。
小・中・そうして現在の高1と、ずっと同じクラスだったりします。
私と里奈は一緒に交響楽団に所属していて、現在はオフシーズンのため毎週日曜がお休みになります。
これが春先から夏に向けては毎日休みがないどころか朝練・昼練も加わるので遊びに行くのもままならないのです。
むしろだからこそ、オフシーズンには友達同士で思いっきり遊ぶことにしています。
そういうわけですから私の返事ももちろん「Yes」、というより里奈の方が彼氏さんとデートで忙しかったので、一緒に遊ぶのも一月ぶりです。
特に今週ではなく“来週”というのが、彼女の中で彼氏さんと親友と、どちらが優先なのかを如実に物語っています。
そのことを指摘すると
「ごめんごめん、だからその埋め合わせもかねて、ね」
「もう、仕方がないなあ」
別に私も気にしているわけではありません。
そう、毎日のように聞かされる惚気話にうんざりして、嫌味のひとつでも言ってやろうと思ったわけでは、決してありませんとも。
「悪かったってば、ゆり~」
「はいはいわかりました」
もうこの辺にしておきましょう。
「それで本題なんだけどさ」
私の態度が軟化したことを見計らうと、里奈はおもむろに鞄から二枚のチケットを取り出しました。
「じゃじゃーん、なんとか入手できたの」
「え、Mフィル!!」
里奈が取り出したのは、国内トップクラスの実力を誇るプロ楽団のコンサートチケットでした。それも一番いいS席が二枚。
「いや~、大変だったんだから。急に決まった地方公演だからこそ入手できたけど」
そう、普通Mフィルのコンサートチケットを手に入れるには半年前からの予約が必須。
それだって一番端のE席が取れれば御の字なのです。ちなみにコンサートの席はS・A・B……Eの順にランクがあります。
それが公演直前に手に入ったのは、急遽「全国巡回公演やります」と首席指揮者と楽団員が言い出したため、会場の方を何とかおさえた後に予約を開始したところ、応募が殺到したため行われた抽選に里奈が当たったからです。
私も応募しましたがあえなく落選しました。
「だって私、知り合い全員に応募してもらったもの」
なるほど、それなら自分だけしか応募していない私が落ちるのも当たり前ですね。
「というわけで、これで許してくれない?」
「うんうん、許す許す」
我ながら現金だなあ、と思わないでもありませんが、用意された対価はおつりが出るほど。
文句を言うわけにもいきません。
「それじゃあ決まりね」
そう言い終えた里奈とタイミングを合わせたかのように、始業のチャイムが鳴り響きました。
「佐藤さん、そこピッチ高めにして」
今は放課後のパート練習の時間。私はトランペットパートになります。
うちのパートは私と今指示を出している加藤祐一君の二人です。
当初は三年の先輩一人と二年の私たち二人だったのですが、先輩が抜けてからはこの二人だけになります。
一年生がいないのも他に同級生がいないのも、それもこれも部員不足が原因なのですが、今の私にとってはそれもあまり不幸じゃなかったり……。
「あれ、もうこんな時間か。あとはここの連符だけど、だいぶ僕らで合うようになってきたから明日も一緒にがんばろうか」
「うん、コツは『連符自体じゃなくてその後のAの頭を目指して』」
「そうそう、その通り」
そうして片づけを終えた私は、加藤君と別れて里奈と一緒に帰宅します。
「それで、進展はあったの?」
「うん、あとはDパートの連符が合うようになれば――」
「はあ~~」
里奈の質問に答えただけなのに、なぜか大きな大きなため息をつかれてしまいました。
なぜでしょうか。
「あんたねえ、そっちじゃないわよそっちじゃ」
「えっ?」
「ああうん、わかったわ。加藤君との進展は何もなかったってことがよおーーーくね」
「ちょっ、加藤君とはまだそんな中じゃ……」
「はいはい、そうでしょうともそうでしょうとも」
「もうどうしようもないわね」なんて里奈は言ってますけど、そんなこと言われてもどうもこうもないんです。
「だって、加藤君とは、その」
「『一緒にいられるだけで幸せ』でしょ。もう聞き飽きたわよ、あんたのそのセリフ」
「でも、その」
「はあ、あんたのその性格もわかってるけどさ。デモもストもないの。もし加藤君が他の女と歩いてたらどう思うの?」
「そんな、まさか」
里奈からそう言われた途端、背筋が凍るような気がしました。
吹き付ける風が冷たいのは、何も季節のせいだけではありません。
(加藤君が、他の女の子と一緒に……)
考えたくありませんが、もしそんなことになったら私、どうしましょう。
「はいはい、あくまでたとえ話だから。まっ、あんたのその真っ青な顔が全てを物語ってるわね」
「……うん」
加藤君に振り向いてほしいとか一緒にデートにいきたいとか、そんなものは高望みだと思っていました。
でもでもっ、加藤君が私以外の女の子と仲良くしているのなんて、想像しただけで耐えられそうにありません。
「ふええーーん、りな~~っ」
「よしよし、わかったわかった。安心しなさい、お姉さんが一肌脱いであげるから」
「えっと、その、里奈にそんな趣味があったなんて……」
「ち・が・う・わ・よ!! あんたに協力してあげるってこと。ふざけるのもいい加減にしなさいよね」
「なんだ、よかった」
「……あんたって子は」
里奈がこめかみを押さえながら呆れたように言いました。
「うう、ごめん」
「まあいいわ、少し時間をちょうだいね」
そんなやり取りをして一週間以上が経ちました。
その後も相変わらず私は加藤君との仲を部活仲間の友達から進展させることはできず、里奈の方もなにかやってくれているわけでもなさそうです。
今日は約束したコンサートの日ですが、コンサートのあとは里奈をひたすら愚痴に付きあわせてやろうと思います。
そう思って待ち合わせの会場前にたどり着いたのですが……。
「あ、佐藤さん」
「えっ、加藤君?」
なぜか里奈がいるはずの場所には、加藤君が立っていました。
「佐藤さん、今日はよろしくね」
「えっ、どういうこと?」
「あれれ、山本さんから聞いてないの?」
里奈の名前が出たということは、これを仕組んだのはあの子ということです。
しかし、どいうことなのでしょうか?
――プルルルルル、プルルルルル
「あれ、電話みたい。ちょっとごめんなさい」
電話をかけてきたのは、案の定これを仕組んだ里奈でした。
『由梨、今頃加藤君と合流したかな。いやー急に家族の用事が入ってねー。加藤君に代わり頼んだの言い忘れてたの』
なにが「言い忘れてたの」ですか。この白々しい棒読みっぷり。
明らかに仕組んでましたね、私にもわざと伝えなかった、と。
「里奈、覚えてなさいよね」
『いやーほんと、やむを得ない事情なのよー。ごめんねーって、あ、もう行かないと。それじゃあごゆっくり~~』
――ガシャッ、ツーツー
「り~~な~~っ」
「あ、もしかして山本さんからだった?」
電話が切れたのを見計らってか、加藤君が声をかけてくれました。
「そう、『言い忘れてたの、ごめん』ですって」
「あはは、それは災難だったね」
「はあ、しょうがない子だよ、ほんと」
呆れたように私は言いました。
加藤君も苦笑しています。
「それで、佐藤さんは僕とじゃ嫌かな?」
加藤君が、少し不安そうに訊ねてきます。
「ううん、大丈夫。むしろ今日はつきあってもらうことになってごめんね」
「いや、天下のMフィルが聴けるからね。佐藤さんが嫌でなければ僕としては大歓迎だよ」
よく考えれば、これは二人っきり。
加藤君と初めてので、で、デートということになります。
もっともそう思っているのは私だけですけど。
「シュトラウスの“こうもり”か。好きなんだよね、この曲」
「私もシュトラウスは好きかな、華やかで」
「今度は僕たちもやってみたいね」
加藤君、ほんとに音楽が好きみたい。目が子供のように輝いているもの。
それすら魅力的に見えるのは、惚れた弱みということかしら。
演奏会は18:00から20:00までの2時間ほど。
曲目は話題にのぼった“こうもり”をはじめプログラムの四曲とアンコールを合わせた五曲でした。
「いや、やっぱりホールの生音は違うね」
「うんうん、ベト七すごかったと思わない?」
「そうだね、さすがだと思ったよ」
演奏を聴き終えた私たちは、周りの人が抜けていく流れに合わせて歩きながら、今日の感想を話し合っていました。
外では雪がちらつき始めています。
「それを言うならアンコールのエルザもだけど」
「“エルザの大聖堂への行進”でしょ? Mフィルのはじめて聴いたけど、あんなに綺麗にはまるものなのね」
「そういえばCDでも見たことないような……」
元々同じ部活で趣味の音楽の話です。
話題はつきることはありません。
「でも僕としては今日一番よかったのは」
「“こうもり”でしょ」「“こうもり”だね」
二人の声がきれいに重なりました。
どうやら私も加藤君も、同じことを思っていたようです。
「あ、佐藤さんもそう思う?」
「うん、プログラムの最後だったけど、晴れやかでユーモラスで、まさしくヨハン・シュトラウスの“こうもり”って感じだったから」
とうとう人の流れもまばらになってきましたが、帰宅する方向は一緒らしく盛り上がるクラッシック談義を止めるような要件はありません。
(この流れなら、言えるかもしれない)
そう思って、先程からどうやって切り出そうかタイミングがつかめずにいます。
もしこれを言ってしまえば、これまでの関係はどちらにせよ終わってしまいます。
(もう少し、もう少しだけ)
そう思って、加藤君と話を続けています。
ですが、話題というのは無限にあるわけもなく、好きな作曲家や楽団、この間聞いた音楽や学校での話、さらには両親への愚痴まで二人とも話してしまうと、必然的に沈黙が訪れます。
(今言わないでいつ言うのよ、由梨)
心の中で、自分自身を奮い立たせます。
「あの――」
「話は変わるんだけどさ、佐藤さん」
切り出そうとした途端、加藤君が話し始めてしまいました。
(焦らない焦らない、この話が終わってから)
「えっと、どうしたの?」
「実は、どうやって話そうかずっと迷っていたことがあるんだ」
(え、ちょっとどういうこと)
思い浮かぶのは悪い予想ばかり。
加藤君の気に障るようなことをした覚えはありませんが、不安ばかりが募ります。
「………」
「………」
加藤君も話あぐねているようで、二人の周りを沈黙が覆います。
降りしきる雪は、先程よりも強くなっていて、私たちの間を横切るように落ちていきます。
「うん、なかなか言えなかったけど、はっきり言わせてもらうよ」
「う、うん」
いったい、何の話なのか、私も覚悟を決めて耳を傾けます。
「佐藤由梨さん」
「は、はいっ」
――好きです、付き合ってください――
「えっ」
一瞬私は加藤君に何を言われたのか理解できず、思考を停止してしまいました。
(好き? 誰を?)
(私を)
(誰が?)
(加藤君が)
(カトウクンハワタシノコトガスキ)
「だめ、かな? 佐藤さん」
不安そうに加藤君から訊かれたのをきっかけに、私の脳はフルスロットルで回転を始めました。
「だめじゃない、だめじゃないから」
「ほんとに?」
「ほんとほんと。むしろ私から告白しようかと思ってたの」
「そっか、よかった」
加藤君が安心したように言いました。
胸をなでおろす、という動作をこの目で見たのは初めてです。
「ただし、浮気は許さないから」
「大丈夫、もしまた惚れるとしても君だけだから」
「こうもり男爵みたいに?」
「そう、こうもり男爵みたいに」
そこまではっきり言われてしまえば、私もなにも言うことはできません。
もっとも、このまま言われっぱなしなのもなんなので、同じく”こうもり”にかけて宣言することにします。
「まあ、もし浮気しても、必ず追いかけていくから覚悟してね」
「ロザリンデみたいに?」
「そう、ロザリンデみたいに」
どうやら私たちは二人とも、似た者同士のようです。
「それじゃあ、これから夕食でもどうかな? 佐藤さん」
「……由梨」
「うん?」
「由梨って呼んで、祐一君。そうしてくれたら喜んでご一緒するから」
「それじゃあ行こうか、由梨さん」
「ええ」
こうして私は想い人と結ばれることが出来ました。
親友にはちゃーんと嵌めてくれた落とし前はつけてもらいましたよ、それはそれ、これはこれ、ということです。
そして、本当の意味で私とあの人を結んでくれたもの。
それは――雪の日のヨハン・シュトラウス。
この作品は実在する人物・団体とは一切関係ありません。
正直に言いますと、リアルでこんな恋愛をしている人がいたら天然記念物認定ですよね。
由梨も祐一も都合がいいというか、ちょろいというか……。
「こんな奴らいるわけねーだろ」そう思ったみなさん、私の仲間です。
タグにもありますが、作者には申し訳程度の音楽知識しかありません。
そのあたりは平にご容赦ください。
ではまたいつかお会いしましょう。