4話「海野竜也と柘植一樹」
《登場人物》
海野竜也
柘植一樹
「一樹さぁ、相変わらず女いないの?」
海野竜也はジョッキを垂直に傾け、ビールの残りを飲み干すとそう言った。
「いないよ」
柘植一樹は皿に残った串の砂肝を頬張った。すでに表面は硬くなっていた。八月の熱帯夜。店内の冷房はガンガンに利いていた。
「もう夏も終わるぜ?一樹」
「そうは言ってもさ、女紹介してくれなかったのは海ちゃんだろ」
一樹は今年の四月に海野の住むアパートの2階に引っ越してきた。二十八で海野と同じ年だった。引越しの挨拶をされたわけではないが、お互い、出勤のためにアパートを 出て駅に向かう時間が重なる事もあり、会話をするようになっていた。倒産寸前の成人男性向けの出版会社に勤務する海野と、同じく潰れそうで労働時間の削減が顕著な工場 アルバイトの一樹は、お互いの仕事の愚痴と、不景気に対する憂鬱をきっかけに、月に何度か飲むようになっていた。
「どんな子タイプなの?ってこれ、前も聞いたっけ?」
海野は視点の定まらない様子で、一樹に訊いた。
「あんま、タイプとかないかな。っていうかさ、俺たいしてカッコよくもないし、相手に求めるだけダメかなってさ」
「そんなこというなよ、どうコレ?」
海野はスマホの画面を開いた。年のころ三十半ばの化粧は濃いが顔立ちの悪くない女が微笑んでいる。一樹は唾を飲み込んだ。
「誰それ?もしかして紹介してくれるのかい?」
冗談半分で言ったつもりだが、自分自身でも驚くほど真剣味を帯びた声だった。
「いや、これは違くてさ、あ、これかな?」
海野のスマホの画面を凝視する。スライドされた画像は、さきほどの女が裸で微笑むショットだった。「あ、いけね!これ違うわ」と言いつつ海野はスマホを引っ込めた。 一樹は心の中でため息をついた。海野はモテない自分をからかってるのだろう。そして女とのハメ撮りを自慢したいのだろう。もう余計な期待はしない、と店員を呼んでビー ルの追加を二つ頼んだ。
「お、気が利くねぇ、一樹。俺も頼もうかと思ってたのよ」
海野は相変わらずスマホを操作している。その表情はニヤついていた。きっと人には見せられないようなお宝画像を見て、思い出し笑いしてるのだ。苛立ちが募る。追加の ビールなど頼まなければ良かった。そう思った。すぐさまビール一杯をキャンセルして、五千円札をここに置いて、おいとましよう。決して怒りは顕にしない。同じアパート に住んでいるからだ。理由はどうしよう。腹が痛くなったとでも言おうか。
一樹がそう思いあぐねていると、海野がもう一度、スマホの画面を向けた。
「どうよ」
二十代半ばほどの巻き髪の女が微笑んでいる。行った事はないが、高級クラブのホステスのような出で立ちだ。決して完璧な美人ではないが、艶っぽい濡れた瞳をしていた 。
「どうよ、って。なに、これも海ちゃんが食った女か?女子大生?」
なかば呆れながら、こうなったらキャンセルしそびれたビールを飲みながらとことん自慢話につきあってやろうじゃないか、と思い始めた。
「女子大生じゃねーよ。一樹、女見る目が甘いよ。その女、三十代だぜ。しかも主婦。子供はいないみたいだけどさ」
「主婦?主婦とやっちゃったの?海ちゃん」
「いんや。やったどころか会ったことない。メールで話しただけ」
「メール?会ったことない?どういうことだい」
「前、話したの覚えてねーの?ダメだよ一樹。ダメだって」
海野は、わざとらしくため息をつくと、焼き鳥の皿に視線を落とした。串はぜんぶ食い尽くされていた。やがて、手持ちぶさたなのか、ジョッキに手を伸ばすが空だった事 に気づき、仕方なく一樹の方を見た。
「ってことは、あれか。まだ、やってねぇんか」
「はぁ?何をだい」
「サイトだよ。サイト。教えただろ。人妻が書き込むサイトがあるってさ」
一樹は、記憶の中に埋もれたどうしようもない情報を掘り起こした。あれは五月だったか。まだ知り合ったばかりの二人は飲みながら、下ネタを連発し風俗やAV嬢の話、果 てはどうやって出会いを探しているかについて話し合った。出会いがないという一樹に、ここで見つかる。すぐ登録しろ、と海野はURLを教えてきた。海野からの情報を真に受 けて登録したが、誰ともやりとりできず、すぐに退会したのを思い出した。
「そういうのってサクラとかネカマばっかりでしょ」
「いや、このサイトは有料じゃない。有料じゃないってことは優良さ。広告収入だけで成り立ってるって事。つまりサクラを雇う必要がなく、出会いもじゃんじゃんあるって こと」
「知らないよ、そんなのさ。だって誰からもメールこなかったよ」
「それは一樹がメールしないからだろ。まぁ、もういいけど登録する必要ないから」
「だからさ、登録なんかしないよ」
「うん。だから、登録しなくていいよ。俺が今、紹介するから。さっきの女」
「会ったことない女を俺に紹介するっていうの?」
「どうやらまだ、飲み込めてないようだな」
「何を?」
「俺はさ、この女と会ったことないわけ。会ったことないし、俺の写真も相手にまだ送ってないわけ。でも、やりとりはしてるってわけ」
「はぁ」
「携帯2台持ちって言ってあるからさ、俺のふりして明日から、この女とやりとりすればいいじゃん」
「俺が海ちゃんのふりすんの?」
「いや、俺は本名は名乗ってない。"シュウジ"って名乗ってる。ちなみに、シュウジって高校時代の親友の名前なんだけど。まぁ、いいや。んで、この女の名前は"ユカ"ね。なんか話聞いてるとさ、結婚して十年になる旦那に暴力をふるわれたり、どうやらワケありらしい。前はスーパーレジで、今はデリヘルで働いてる。年齢は、はっきりとは聞いてないけど、まぁ三十五、六じゃね?」
「はぁ。でもさ、俺、デリヘルの客になれないよ?金ねぇもん」
「アホか。この女は寂しいんだよ。癒してほしいんだよ。"シュウジ"に。客なんか店が勝手に取ってくるから、この女は客には困ってないよ」
「癒すって言ったてなぁ」
「メールの文体とかさ、絵文字は俺のマネして対応して。いいか、一樹?"シュウジ"って名乗るんだぜ?」
「うん、分かった」
「じゃあ、この女に"明日からもうひとつの携帯でメールするね"って言っておくからね。一樹~あとは宜しく」
「うん。ありがとう、海ちゃん。ところで海ちゃん、彼女はいるの?」
「それがさぁ、彼女って言うか、遊びの女がさ。ヤバイところの娘だったらしくてさ。近頃、変な奴らが俺の周りウロウロしてんだよね?」
「ええ!大丈夫なの?っていうか、俺らのアパートの周りとかもウロウロしてんの?」
「なんか昨日の夜とか、アパートの近くに不審なボックスカー停まってたなぁ。気づかなかった?東京湾に沈んでたらインタビュー答えてね~。」
「いやいや、冗談になってないよ。ってか俺のこと、巻き込まないでよ?海ちゃん」
「巻き込むも何も、この話聞いちゃったんだからさ。俺が消されたら、一樹が証言台に立ってよ」
「え、消されるとかマジやばいって!」
「俺はそう簡単に消されない平気!いつも慎重に行動してるし。ウデには自信あるんだ。空手2ヶ月通ってたからね~。っていうかまだ運命の相手にすら出会ってないのに、死ねないでしょ。人生一度きりだぜ?」
「うん、まぁそうだね。俺にとっての運命の人…どこかにいるのかなぁ」
「自分の運命を大きく変えるから、運命の人なんだぞ?あ、俺の運命の人候補…あっちから来るぞ」
海野はそう言うと、やって来たアルバイトの学生風の女性店員を指差した。さきほど頼んだ生ビールのジョッキがテーブルに置かれる。冷えすぎた店内で一樹は身震いをした。海野は愛想笑いを浮かべる。焼き鳥のタレで汚れた皿を下げながら女性店員はまんざらでもない笑顔で対応し、引き下がった。彼女の手には海野が渡したメモの切れ端が握られていた。当然、そこに書かれてるのは海野の連絡先だった。
「よし、じゃあこのビール飲み終わったら俺の部屋で飲みなおすか!最新作エロDVDの鑑賞会も兼ねて!」
「オッケー、海ちゃん!あのさ、今日は俺、女を紹介してもらったし、ここは俺が奢るよ!サンキュー、海ちゃん」
一樹はそう言うとジョッキを傾け、生ビールを喉に流し込んだ。さきほどのスマホの女の顔が脳裏に焼きついて離れなかった。
時間軸では一番最初。はじまり。
最後の会話が示唆するように、文字通り柘植は「運命の人」に出会い
第1章で「海野の最期」に巻き込まれることとなりました。




