アレキサンダー•シスター
風の穴はどやったら開くのだろう?
いい加減な事だけして生きて行きたい。
寂しさに負け通す、そんな男でありたい。何もしない。したら寂しさに潰されるから。潰れてみればと人はいうだろう。ではあなたからどうぞと言って返す。どれだけ足掻いても抜けられない穴、それにはまってしまったのだ。助けて下さい。泣けば助けが来るのか?いや、来ない。ならばこの穴を埋めるために一人で砂でも吐くしかない。
俺は一人で刑事みたいなことをして生きている。刑事ではない。そう、探偵だ。しかも、全くの一人だ。一人で起きてコーヒーを淹れ、飲む。仕事をして飯を喰う。そういえば俺は人生の中で誰かと一緒だったことがあっただろうか?
浮気調査を請け負って今日でちょうど一週間。今夜はチャンスだ。盆前の金曜日。どんなカップルだって一発決めてやろうと張り切っているはずだ。ターゲットはとある商社の課長だ。六十を回った彼は、三十路の同じ課の女とできている。奥さんは旦那より二つ上。調査の結果を使い、離婚に持ち込みたいらしい。所謂、熟年離婚だ。赤の他人を離婚に追い込む。それが目下の俺様の仕事だ。
ターゲットの車は住宅街を素通りし、一段と静かな通りを行く。とあるホテルに左折で入る。俺は右手でハンドルを切り、左手でカメラのシャッターを押した。ホテルをバックミラーで捉える位置に駐車する。川沿い。これから最低でも三時間は動けない。近くにコンビニくらいはあるだろう。俺は車を置いて歩きはじめた。
その子に会ったのはそれから入ったコンビニでだった。簡単にザルそばとパンを選んだ俺の、前に並んだ女の子。
「だから、あんたの年齢、確認でけるものを・・・」
「だからコンビニにはそんなもの持ってこないよ」
不躾ながら、かごを覗くと缶ビールの六缶パックと赤いワイン。なるほどと思った俺は助け船をだす事にした。
「すいません。それ、俺が買います」
レジと女の子の間に割り込むと、俺は財布からカードを出した。店員は面食らっていたが、売れるならばなんでもいいと思ったのだろう。欲求不満な顔をして酒類をレジに通しはじめた。
「ありがとうございました」
女の子は俺に頭を下げ、レシートにある金額を現金で払うと、立ちつくした。お互いに立ち去れない空気が流れる。
「あの」
「あのさ」
同時に言ってしまう。が、俺は右手で彼女を制した。
「俺は今仕事があるから、これから行くけど・・・よかったら連絡先、教えてくれないかな、なんて」
へらへらと愛想笑を浮かべてみる。ベリーショートの天使。
「あ、あの。携帯はどこのですか?ー赤外線、使えますか?」
俺たちは連絡先を交換して別れた。
一睡もせず朝の六時を回った。ホテルが動いた。否。課長が動いた。俺は運転席から外に出て、前側のドアに隠れる様にしてカメラを構える。出てきた車にはしかし、男の姿しかなかった。
「女はどこだ?」
俺は焦った。これでは調査が終わらない。一晩の徹夜が無になってしまう。女はどこだ。
戸惑っている間にターゲットは完全に行ってしまった。どうする、俺。
一先ず事務所に帰って報告書を書こう。今日の調査は一先ずこれまでだ。女はまだ中にいるのだろうが、女一人追ってもどうしようもない。二人同時に証拠を撮らなくては意味がないのだ。と言う事で俺は静かに車をだした。
事務所。兼自宅。俺はさっさと報告書をあげて、コーヒーを飲んでいる。携帯を取り出すと、メール画面にする。
送信先はベリーショートの天使。彼女の名前はユメと言った。恐らく偽名だろう。だから俺は芥川と名乗っておいた。
件名:昨夜はどうも
本文:あれから仕事に戻りました。素敵な夜をありがとう。次は食事でもどうかな?都合がつけば、君の好みを教えてくれ。芥川。
送信。色良い返事が来る様に。
件名:ありがとうございました。
昨夜は死ぬ程嫌なことがあった後だったので助かりました。何だか気持ちがすっとした感じ。ありがとうございました。お食事、今夜はどうでしょうか?図々しいお願いでごめんなさい。でも、まだ今夜は一人でいたくないのです。でも、無理ならいいです。ごめんなさい。
ユメ
返信は割と早くきた。俺が送ってから五分位だ。これはユメも俺の事を快く思っているという事だろうか。それとも単に、若者らしくおじさんをからかっているのか?
どちらにしても俺は、ユメに七時に待ち合わせる旨を伝えるメールを送った。
それから数時間後、俺は駅前通りの時計台の下にいた。麻の開襟シャツにコットンパンツ。サンダル履きというラフな格好。携帯を手に、天使を待つている。昨夜、コンビニの蛍光灯の下に浮かんだベリーショートは小顔の化粧もしていなかった。スリムな身体でも走れば結構バネはありそうだった。今日もそんなイメージでやってくるのだろうか?
やってきた彼女はしかし、浮かない顔をしていた。どうしたのかと尋ねると、昨夜のいやな事を引きずっているだけだと答えた。
「嫌なことって、俺に聞かせてもいい事?」
思わず間の抜けた質問をしてしまう。昨日今日会ったのに何を立ち入った事を。下心が丸見えだ。
「とりあえず、どこか入りませんか?」
「そ、そうだね」
乗っけからカッコ悪いな俺は・・・。とりあえず知り合いの営む焼き鳥屋を提案すると彼女はその日はじめて笑顔をみせた。ただし、ほんの少しだけれど。
その刑事だと名乗るふたり連れが現れたのは八時を少し回った頃だった。我々はビールからそろそろ焼酎かワインかを飲みはじめた頃だった。
「任意です。会計を済ませて外に。恐れ入ります」
任意でも恐れ入った感じでもなく、俺たちは店の外に連れ出された。店の経営者が知り合いなので、怪訝な顔をされたが何とかごまかした。
「レイちゃんどうかした?サービスでも悪かった?」
知り合いは神経質なのか気を使う性格だ。だから二十席程の店内はいつも居心地がよく、こぎれいで、儲かっているようだった。
ちなみに俺の名前は礼司だ。
暗がりに一台のセダンが見えた。後部座席に乗り込むよう言われて従う。
「何か有ったんですか?」
わざとらしく明るい声をだしてみる。
「これから署への同行を願います。よろしいですか?」
質問と言うよりは段取りの確認という口ぶりで告げられる。警察と犯罪者は何をしても許されるのが日本なのだ。ユメが目を丸くしてこちらを見たり刑事を見たりしている。
「この娘さんは関係あるんですか?」
「それを署の方で聞くから」
ジーザス。
通されたのは会議室らしかつた。ユメは別の刑事と別の部屋に入って行った。彼女の心配をしていると、刑事が俺に椅子をすすめた。
「私はこの署の一課の課長をしている野上といいます」
刑事は俺の前にななめに向かい合うように座ってノートを広げた。
「名前と年齢を伺ってもよろしいですか」
多分本人確認だろう。俺は名前と年齢を答えた。
「早速ですが、昨夜の午後六時から九時ころは何をされてました?」
俺はあまりの展開に目を白黒させながら答えた。
「あの、俺は重要参考人ですか?」
「あぁ、はい」
「何があったんでしょうか?」
「できれば先に質問に・・・」
「あぁ、はい」
俺は正直に答えた。探偵をやっていて昨夜はその張り込みの仕事をしていたと。調査の内容をかいつまんで告げる。依頼案件は秘密にするべきだがこの際は仕方が無い。調査には影響はないと踏んだ。
刑事はその旨をノートに書き留めているらしかった。
「誰かそれを証明できる方は?」
いる訳がない。俺は一匹狼で仕事の時に限らずいつも一人だと答えた。
「ただ・・・」
「ただ?」
「昨夜は七時ころ立ち寄ったコンビニで、彼女に会いました」
「どういう間柄ですか?」
「今はまだ飲み友達です」
間抜けな程正直か、俺は。
「どの位前からのお付き合いなんですか」
「昨夜、知り合いました」
「・・・そうですか」
なんだ今の間は。刑事は謎の間を残した。
「実はですね」
椅子の背に寄りかかるようにして髪をかきむしりながら刑事は告げた。
「昨夜、あなたの張り込んでおられたラブホテルで、殺人事件が起きまして」
「・・・はい?」
「あなたの丸対の、女の方が殺されました」
丸対とは警察の用語で捜査の対象の事だ。
「それと俺との関係は?」
「それを調べてるんです。目撃情報がありましてね」
「でも・・・お、俺は殺人とは関係ありません」
俺は慌てて自分の保身を考えた。
事情聴取が終わったのは九時を大きく回っていた。俺が会議室から解放され、警察署の玄関に向かう途中、ユメが待合のソファに俯いて待っていた。ユメ、と声を掛けると、酔いなど全く冷めた青い顔で見上げて来た。
「大丈夫か」
「何とか」
短い会話を交わす。隣に腰掛けて肩を抱いてやる。
「遅いので送りましょう」
ユメの事情聴取をしていた刑事がやって来て、車のキーを示した。俺はとっさにユメと出会ったコンビニを指定した。恐らくはユメの自宅の近所だろうから。彼女は青い顔をしながらしかし、割合はっきりとありがとうございますと言った。
俺はその夜ユメの携帯にメールをした。
件名:大丈夫かな?
本文:あれからどうしたかと思っているよ。
大丈夫かな?
それから、昨日の君からのメールにあった「死ぬ程嫌なこと」って何かな?差し支えなければ教えて欲しい。君のことがもっと知りたいので・・・。できれば明日も会えないかな?よければ今夜と同じ場所に7時半。都合を聞かせてほしい。
返信はすぐにあった。昨日と同じで俺のメールから五分後位だった。
件名:びっくりしました(≧∇≦)
本文:警察に連行されるなんてびっくりしました。芥川さんは大丈夫ですか?私はあの後、足の震えが止まりませんでした。明日の予定、オッケーです。でも何を来て行こうかな?今から迷います。良い夢をあなたに。おやすみなさい。
次の日、遅めに目覚めた俺はテレビを付けて愕然とした。あの、俺の追っていた丸対の女の顔が、画面に写っている。亡くなったのだという。昨夜の警察署が目に浮かぶ。どうして?という問いが頭をよぎる。どうして彼女が・・・? 俺は思わず携帯を探した。
夫人が事務所に現れたのは、電話から半時たった頃だった。本人は急いで来たと言っているがその顔はバッチリメイクが施してあり、上からしたまでシャネルやディオールやのブランドで固めていた。
まさか夫を犯罪者に仕立て上げようと企んで居るのでは?と一瞬思ってしまう。それとも元々の性質がそういう、人を待たせない質なのか?
「という事で、調査の結果はこちらになります。こちらとしましてはこれで報告とさせていただきますが・・・。続行されますか?」
アイスコーヒーをだした後、調査の結果を報告した。夫人は大げさに頷くと、赤すぎる口紅を少しなめてから言った。
「続行できますでしょうか?ほら、あの人の愛人が一人だとは限らないでしょう?」
「分かりました。では今後の調査につきましては、素行調査ということで・・・」
俺はすかさず料金説明書を提示した。
「結構です。わりにあなたの所は良心的なのね」
助かるわ、と夫人はハンドバッグを開けて何やら茶封筒をだして来た。
「何ですか?」
「今日までの分と今後の活動費よ」
改めると、確かに通常の料金に色がついている。有難いが手際が良すぎないか?なにか釈然としないものを抱え、俺は取り敢えず戸惑った。しかし夫人の方は今日の用事は済んだとばかりにすっきりした顔で事務所を後にした。このもやもやの正体は一体なんなんだろう?冷めたコーヒーと茶封筒。俺はしばらく2つを見つめていた。
ユメは十分遅刻してきた。しかも少し赤い顔をしている。俺は職業がらこいいうことには敏感だ。多少飲んでいる。
「どうしたの?」
聞くと彼女は、何が?という顔をしてしばらく考えてから答えた。
「少し飲んだんです。わかりました?」
僕とあう前にどうして飲むの?
という質問が浮かんだが、It okay.俺が指図する事ではない。誰がいつ飲もうがそれは自由だ。
「行こうか」
「はい」
彼女は自然に俺の腕を掴んだ。
「ところで」
前菜のバーニャカウダが終わる頃、俺は話を振ることにした。
「何?」
彼女はテーブルナプキンで口元を拭って言った。だから一呼吸於く。
「死にたいほどの話って何かな」
「ああ。それか」
彼女はとても死にたい人間とは思えない、いたずらっ子の微笑みを返した。
「」