バイト先へ向かう途中②
円山駅で降りてから、玲子を先導にしてバイト先に向かう。歩いて5分くらいは街中で平坦だったけれど、それからさらに歩くこと15分、すべて登り坂だった。ラクロス部で鍛えていたし、もう無理っというわけでわないけど、息は多少乱れる。吐く息がいつもより白い。足元も、固まった雪が氷になっていて歩きにくい。
玲子は、特にバテるという訳でもなく平然と歩いている。
「ねぇ玲子、まだ着かないの?」
どうして始めて通る道は長く感じてしまうのだろうか。
「もうすぐ着くわ。この道、キツイわよね」
「すっごくきつい。なんでこんな丘の上に住みたいなんて考えるのかな。すっごく不便じゃん」
「自動車があることがまず前提なのよ」
「こんなんだと、夜に突然、無性にプリンが食べたくなっても、コンビニに買いに行こうか迷うわね。歩いてすぐにコンビニがあれば、迷わず買いにいくけど。運転してまで買いに行のは迷うかね」
「有沙のそれ、わかるかな。夜中に無性に何かを食べたくなる気持ち。私は、アイスが食べたくなる。特に雪見大福。夜中にふと目覚めて、食べたいって強く思うの。外は寒いしって思って、また寝ようとするのだけれど、寝付けない。そして諦めて買いにいくの」
「意外だな。玲子でもあるんだね。お互い、夜食の食べ過ぎで肥らないようにしようよ」
大きな右カーブの道を抜けた。大きな白樺の木の向こうに煉瓦作りの建物が見えた。
「有沙、見えたわよ。あの建物」
遠くから見ても直ぐにわかる普通の家と形容し難いほど大きいということが。
「あれか。やっと着いたって感じ。すごい大きい家、やっぱりお金持ちなんだね。時給2500円も出すのって普通じゃないし。あと、玲子、聞いておきたいことがあるんだけど」
やはり、休みの件は聞いておかなければならないと思う。
「何?大きな屋敷を見て、怖気ついた?」
「それはないけど。緊張はしてきたけどね。聞きたいのは、バイトを休まなければならない時のこと。平日毎日出勤って言ってたじゃない。風邪とか、どうしても休まなければならない時はどうすばいいの?」
「それなら簡単。登美子さんに連絡をすればいいのよ。そしたら、登美子さんが代わりにやってくれの。私も、小説の取材で、旅行に行く時は、2週間くらいお休みをもらったりしているもの」
「それだけでいいの?」
「そうよ。少なくとも私の時はそうだったし。定休であれば、前期に、5限の授業を取っていた火曜日は全てお休みをもらっていたわ」
平日毎日出勤という条件はあってないようなものなのではないかと思う。
「そんなに緩いんだ。そもそも、その登紀子さんが毎日やれば、バイトを雇う必要ってないんじゃないの?」
「私も同じ疑問を持ったわ。だけど、文藝部の先輩の話だと、労働法の関係で登美子さんの休憩時間を設ける必要があるらしいの。ずっと1日中登美子さんに働いてもらうわけにはいかないらしいの」
「だったら、バイトを休むときも代理を立てなきゃならないんじゃないの?」
「そう思うのだけど、それは必要ないらしいわ」
らしいなんて、玲子にしては、歯切れが悪い。
「いい加減な法律だね」
「バイトが休む時は、別の時間に登美子さんが休憩を入れているとかなんじゃないかしら。そもそも、私は、このバイト、お金持ちの道楽と思っているしね」
「お金持ちの道楽ね。まぁ、卒業旅行に行けるだけのお金が貯まれば、私はいいんだけどね。お金持ちが貧しい学生のためにバイトを用意していてくれている。これは所得再分配ってやつだね」
「あら、所得再分配なんて、経済用語があなたの口から出てくるなんて。少し、感心してしまったわ。授業中は寝ているばっかりだと思っていたけれど。文武両道、学業もおろそかにしていなかったのね」
玲子が、目を丸くして私を見つめている。
「あたりまえじゃん。少しは見直した?」
「ええ、とても。すごいわ」
玲子にこんな褒められることは滅多にないし、純粋に嬉しい。
「まぁ、経済学部生として必須の知識ね。玲子も所得再分配って知っていたでしょ」
「ええ、知っているわ。高所得者層や大企業から、税金をたくさん徴収して、所得の低い層に社会保障として還元することね。ちなみ
にあなたの所得再分配の使い方は、はっきりと言って、誤用ね」
玲子の満面の笑み。この可愛い笑顔は、悪魔の笑顔だと再認識。すべては玲子の掌の上で遊ばれていたようだ。目を丸くして驚いたことも演技だったようだ。
「はいはい。背伸びをした私が悪かったです」
「そんなことはないわよ。有沙の口から経済学用語が出るだけで、口から心臓が飛び出そうなくらい驚いたのよ」
「どれだけ私のハードルは低いのよ!」
「いつも、私の高い高いハードルを飛び越えてしまう面白さよ。とりあえず、着いたわよ」
私たちは、鉄柵に囲まれた煉瓦作りの家と呼びには大きな建物の正門の前に到着した。正面からみたこの屋敷は、旧道庁と同じ大きさ、同じデザインだった。
「入るけど、心の準備はいい?」
玲子がそう聞いてきたので、私は、
「うん」とだけ答えた。さっきまで、玲子にからかわれていたこともすっかり吹き飛んでしまった。
玲子はインターホンを押して、自分の名前を名乗った。
しばらくして鉄格子の扉が開いた。
私たちは、大きな噴水の横を通り、屋敷の玄関前に立った。そして、玲子が呼び鈴を押した。




