鍋焼きうどんとおでん
――一二三を風呂に入れて、その間に何かをこしらえて……。
夜、突然現れた珍客に、堀川はちょっとした奮闘を余儀なくされた。
現在堀川は、独身。
父母も先の帝都大空襲の際に亡くしたので、自分の身の回りの世話はできるようになったし、そもそも帝国海軍の組織に携わっていればその一切合財も習得させられるため、日常の生活の動きに困ることはない。
だが……。
たったひと晩とはいえ、一二三の面倒は大変手間のかかる作業となる。
――いまも風呂に入れと言ったものの……。
一二三は自分で風呂を沸かしたことはない。
さすがに着替えの浴衣くらいは自分で着られるだろうし、客間にある布団も自分で敷けるだろうけど、一二三がひとりでできると言ったらそのていどでしかない。
簡単なものでいいから食べさせてと言われても、一二三は台所に立ったこともないので、残り物をうまくこしらえ直すことはできないし、そもそも独り暮らしの簡素な食事で日々を過ごす堀川の台所に、育ち盛りの少年の腹を満たせるほどの食材はない。
なので、まだ暖簾を下げていない近所の店に行って、何か温かなものを調達しなければ……と判断。
堀川は鍋を用意して、和服姿に外套を羽織る。
「いいか。お前は風呂に入ったら、とりあえず着替えて火鉢にあたっていろ。その間にこしらえものを用意するから、一切余計なことはせずに待機」
わかったな、と厳命すると、
「もう、ボク子どもじゃないんだから」
と、一二三が頬を膨らませる。
それがいちばん信用ならないのだが、とにかく一二三を風呂に入らせながら留守番させて、その間に懇意の店でおでんを持ち帰り用に用意してもらい、この近所で一二三が好きだと言っていたうどん屋に立ち寄って、鍋焼きうどんの出前を頼む。
よくできた兄と言うべきか、面倒見も手際がよすぎると言うべきか。
堀川もなんだかんだ言って、一二三には甘い。
堀川がおでんの入った鍋を手に自宅に戻ると、ちょうどうどん屋が出前を届けに来たところで、玄関先で風呂上がりの一二三と何か話しているところだった。
堀川の背丈では、小柄な一二三が浴衣を着るとぶかぶかの印象が否めない。
「――他ならぬ、堀川の若旦那からの出前だ。大きな海老を天ぷらにしたから、しっかりと食べて温まりな」
気前のいいことを言いながら、うどん屋の店主はすでに堀川が玄関に用意していた盆の上に熱々の湯気を浮かべる器を置く。
一二三がそれを運ぼうとしたが、こぼす危険性のほうが高かったので、堀川が仕方なく運ぶことになる。
その最中、うどん屋の店主が一二三にどこか見覚えがあるように首をかしげながら、
「それにしても、坊ちゃん。聯合艦隊司令長官の本山閣下によく似た顔をしているなぁ」
などと言って堀川の肝を冷やしてくるが、これには一二三のほうが慣れた口調で、
「イヤだなぁ。ボクはあんな潮風ばかりに吹かれている海の猛者なんかにすこしも似ていないよ。――ほら、お風呂上がりだから、ボクのほうがお肌もきれいだし、さっぱりしたから男前でしょ?」
などとぬけぬけと言い返して店主を笑わせるものだから、堀川はこれに呆れる。
鍋焼きうどんとおでんを居間にあるちゃぶ台に運ぶと、一二三が早速目をかがやかせながら箸を取る。
「さっきのおじさん、皆川屋さんだよね? ここのうどん、好きなんだよね」
「うどんにおでんなら腹持ちもいいだろう。戦艦暮らしなら、こういったものは出てこないだろうからな」
堀川も、元帝国海軍軍人。
聯合艦隊司令長官が座する旗艦《長門》の食事事情はよく知っている。
「あ、やっぱり太っといネギが入っている。これは堀川サンにあげるね」
「……お前はまだ、好き嫌いを直していないのか?」
「ネギは人間が食べるものじゃありませ~ん」
と言って、昔のように嫌いなものはすぐに器から出す一二三の癖も健在だった。
外では時折暁久と会って食事をする機会もあったが、堀川の普段はひとりで過ごすことのほうが多い。
いつまで経っても大人になる素振りもない一二三だが、こうして傍にいればにぎやかになるので、思いのほか悪くない時間だなと堀川は思う。
はふ、はふ、と言いながら熱い大根やたまご、はんぺんを頬張るようすも昔と何も変わらない。
うどんの汁をずずっと音を立てながら豪快にすする。
行儀がいいとは言えないが、一二三らしいと言えるものがあって、かえって落ち着く。
――このまま昔を思い出すように、それだけで済むのなら……。
あとはさっさと寝かせて、朝が来たと同時に家から追い出せばいいのだろうが、どうも簡単に済みそうもない。
この帝都には本来、一二三が帰ることができる自宅がある。
そこには実兄がふたりも暮らしている。
立ち寄ればきっと歓迎してくれるだろうに……。
その兄たちを頼らず、自分のところに来たということは、よほどのことがあってのことだろう。
いまは風呂上がりで血色もよさそうに見えるが、先ほど玄関でひさしぶりに会った姿は、顔色云々、存在そのものがどこか希薄で危うかった。どちらにせよ、最終的に無碍に追い払うつもりもなかった。
――何か話を聞いてほしいのなら、聞いてやるつもりだ。
一二三もそれが解決しないかぎり、朝が来てもこの家からは離れようとしないだろう。
堀川は慎重にその機会をうかがう。
一方で――。
小柄のわりには大食漢の一二三は、鍋焼きうどんは勿論、数人分を用意したおでんも大半を平らげてしまった。そして、きちんと手を合わせて、
「ごちそうさまでした」
と言うところまでは行儀もよかったのだが、
「やっぱり、食べた後はこれだよね!」
言って、その場で大の字になって寝転がるものだから、完全に躾をまちがえたとしか思えない。それは自分ではない。実兄の暁久の結果だろう。
堀川はお茶を飲もうとして、先にため息を漏らした。




