招かざる珍客 一二三の土下座
話は一二三が旗艦《長門》を抜け出し、こっそり帝都にある霊園を訪ねた後につづく――。
■ ■
その日。
一二三がひと晩の宿に選んだのは、帝都にある自宅でもなければ、帝国海軍士官以上が使える官舎でもなければ、将校以上が使える旅館でもなかった。
まだ寒さが身に沁みる夜に一二三がひょいと顔を出したのは、一二三が帝国海軍の軍人として身を置くようになってから「どうも頭が上がらない三人」のひとりとされる、堀川、と言う青年の家だった。
一二三は何の前触れもなく玄関の戸をガラガラと開けて、
「――お邪魔します」
と、さも我が家同然のようすで足を上げるや否や、たまたま玄関の廊下にいた和服姿の堀川に表情ひとつ変えずに猫をつまむように首根っこを掴まれるや否や、問答無用で玄関の外に放り出されてしまった。
この間。
あまりの手際のよさに一二三は自分の身に何が起こったのか、よくわからなかった。
そうやってあっさり外に放り出されて、寒い夜の風に吹かれて。
一二三はようやく自分が受けた仕打ちを理解して、
「あッ、そういう態度はよくないと思うんですけど!」
と言って、固く閉められた玄関の戸をガンガンと叩く。
すると、硝子越しから鍵をかける音を立てながら、
「――十七歳にもなって、帰る家を間違えるやつがあるか」
そう冷ややかな声がかかるので、一二三はムッとしながらなお戸を叩き、
「いいじゃない、久しぶりに弟分が訪ねてきたんだから!」
「誰が弟分だ」
「そういう言い方はないでしょッ。いつもは口やかましく兄ぶって、平気でボクのことをポンポン叩いていたくせに!」
「コブの数だけ利口になったかと思えば、まったく足りないようだな」
「何言っているの、ボクはもともと利口だったじゃない!」
「利口なやつがこの時期、柱島を離れるとは到底思えないが」
「残念でした! 利口だから二、三日離れたって平気なんです!」
一二三は硝子戸越しで冷たい声を放つ堀川に吼えるが、どれだけ言おうと堀川が玄関の戸を開けてくれる気配がまったくない。
それどころか、今日はもう来客がないものときめて、玄関の明かりを消して、廊下の電気も消して暗くしてしまう。
しまいには堀川自身も部屋の奥に下がったような気配を見せたので、玄関先はまったくの暗闇となってしまった。
「あッ、堀川サンッ!」
これにはさすがの一二三もぎょっとして、すぐさま庭先に懸けこみ、どこか鍵のかかっていない窓や戸はないかと探し、掴んではガタガタと揺する。
「ねぇ、弟分が訪ねてきたのが気に食わないのなら、かつての可愛い部下が訪ねてきたでもいいからさ!」
どこか一か所ぐらい鍵のかかっていないところはないのか、と探しながら、
「ねぇ! 堀川元中将ッ!」
と叫ぶが、すでに返答もしてくれない。
ただ、居間と思われる場所では明かりがついているので、相手がこのまま無視を決めこんで一二三を追い出そうという作戦だなと察するなり、一二三も悪知恵を巡らせる。
長い付き合いがあるため、堀川の性分はもう充分骨身に滲みている。
ここで勝負に出ないと、今夜はほんとうに寒風の外でひと晩を過ごす羽目になりかねない。
「言っておくけど、この外套の下は軍装だからね! それで聯合艦隊司令長の本山一二三、ここにありって、ご近所に向けて叫ぶからね! そうしたら、どうなると思う?」
このご時世だ。
きっと近所中が一二三をひと目見に、何かしらにあやかりたいと思って拝みに来るだろう。ひょっとすると提灯を手に万歳三唱と騒ぐかもしれない。
「それが嫌ならここから硝子戸を割って入るけど、どっちがいい?」
どちらをとっても、帝国海軍聯合艦隊司令長官の任にあるとは思えない二択を迫る。
一二三は後者の硝子割りを選んで室内に侵入しようと思い、すでに足もとから適当な石を探して手にしている。
割った後は新聞紙か何かで押さえて、明日、硝子屋を手配して直せばいい。
「よし、そうしよう」
何がよしなのか。
そのときだった――。
庭に面していた廊下越しの茶の間に明かりがついて、家内の障子戸が開く。
そして、
「――聯合艦隊司令部に直電されたいか? それとも暁久をここに呼び出してほしいか?」
と、冷ややかで怜悧な容姿に似合う冷たい声が頭上から落ちてくる。
縁側に立つ堀川の態度は非好意的であったが、一二三はすかさずその場に土下座。
「お願いしますッ。あとでお説教でも何でも受けるから、今日はひと晩だけ泊めてください!」
額に地面の土をつける勢いで口頭すると、わずかに考え込むような沈黙が流れる。一二三はぎゅっと目を閉じる。
それから「はぁ」と仕方なさそうな堀川のため息が聞こえたので、一二三は内心でほっとした。だが――油断はできない。
機嫌を伺うように顔を上げると、まだ釈然としていないようすの堀川が眉間にしわを寄せてこちらを冷ややかに見下ろしていたが、
「――すでに予備役となった人間に、現役の聯合艦隊司令長官が庭先で額に土をつけながら土下座していたと知られたら、今野や郡司さんが乗り込んできて、かえって厄介なことになるからな」
一二三を追い払うことを断念したのか。
縁側の硝子戸をすこしだけ開けて、「今夜だけだぞ」と示し、一二三が入ることを許可してきた。
「ありがとう! 堀川サン!」
一二三はその仏心が冷めぬうちに、と立ち上がるや否や、大急ぎで靴を脱ぎ捨て、家屋に飛び込む。
入った途端、火鉢で温められていた室内に癒されたような気がして、これまで外にいたせいで自分の身体がずいぶんと冷え込んでいたことに気がついた。
気温差に負けて、大きなくしゃみをしてしまう。
「う~ん、戦艦では味わえない家の温もりがあるよね」
などと言いながら、居間にある火鉢めがけて駆け、早速冷えた手を擦りながら温める。
現在、家主が堀川しかいないこの家も、先の帝都大空襲で一二三の生家同様に一度焼失している。そのため、再建してまだ新しい。
そのせいか家財も持ち物も必要最低限しかなく、部屋は整然としているが、そこに居心地の悪さは感じられない。
「あと、堀川サン。おひつに残っている米粒でもいいから、もらえないかな? ボク、お昼から何も食べていなくて……」
「……」
新聞の写真では、確かにこれとおなじ姿の少年が聯合艦隊司令長官として掲載され、帝国民――とくに帝都民からはすでに軍神として崇められているというのに、本人はどうだろう?
実物は、新聞で褒めそやされる聯合艦隊司令長官だとはとても思えない。
いま、冷えた身体を必死になって温めている姿は、ただの年ごろの少年とおなじだった。
となりの座敷から洋服掛けを手にした堀川が、今度こそ観念したような深いため息をついて、手にしているものを一二三に渡してくる。
「――とりあえず着るものを貸してやるから、軍装を脱げ。そのままだとしわになるぞ」
「はぁい」
「それと……」
どうして招かざる客のために、わざわざ風呂を沸かさなければならないのだろう?
堀川は憂鬱になったが、ここで一二三に風邪をひかれて寝込まれても困る。
なので、着替える前に風呂に入れと言って、一二三につぎの行動を促す。
一二三も我が家にいるときとおなじ感覚で返事をするのだった。




