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高級料亭にて 宇和島の危惧2

「まったく、あの子は……ッ」


 どうしてそういうところで、訳のわからない我儘を言うのだろう?

 あとできつく叱らなければ、と蔽九朗(へいくろう)が怒りを胸に刻むが、宇和島(うわじま)はそれに率先して賛同しない。

 ただ、複雑めいた表情を浮かべて、


「私もね、イラっと来るものはあります。けれど……閣下がそのようにごねられる気持ちもわからなくはありません」

「?」

「閣下は処女艦を聯合艦隊司令部旗艦に据えるのを嫌がっているのではなく、時代に不似合いな戦艦に座乗することを嫌がっているのでもなく」


 そうですね、と宇和島はひと区切りを入れて、


「たぶん、お亡くなりになられた弟さんとおなじ名を持つ艦が気に食わなくて、どこかで弟さんと混沌として、それで乗りたくないと言っていると思うのです」

「ですが、大和(やまと)と《大和(やまと)》はまったくの……」

「ええ、()()です」


 と、宇和島はきっぱりというが、


「閣下にはそうと受け取れない部分もあるのでしょう。そのお気持ちだけは無碍にもできないので、私もそれとなく酌んでおります」

「……」


 ――大和。


 それは蔽九朗にとっても愛しい、末弟の名前。

 けれど、大和が生まれたときはすでに蔽九朗も特待帝国海軍軍人として家を離れていて、実際に対面し、遊んでやった思い出は片方の指の数にも満たない。

 それに対して一二三は、大和が生まれたときからずっと傍にいて、父から名付け親としての役目を賜り、「大和」と名付けて溺愛していた。


 ――その大和が、蔽九朗の双子の弟である十七郎(とおしちろう)とともに事故死したとき。


 まだ二歳の大和の小さな手には指が二本欠損していて、どこを探しても見つからなかった。

 かわいそうに……。

 出棺を前に誰もが嘆いていたところ、火葬場で一二三が「冥途の土産に」と言って躊躇うことなく自らの指を二本切り落とし、白布がかけられた小さな棺に指を置いて、それを血染めにした。

 だから、一二三が戦艦《大和》の建造に酷く反感を抱いていたのは知っている。

 蔽九朗でさえ、その名を聞いたときにはいささか抵抗があった。

 思わず、改名できないものかと帝国海軍軍令部総長である長兄の暁久(あきひさ)にそれとなく話を持ち出したこともあったが、これは大日本帝国の威信をかけた御名であるため、一個人の家庭の事情で改名することなど不可能。――当たり前を諭された。

 一二三だって、いつまでも当時の子どものままではない。

 どこかで納得できているはずだ。


 ――でも……。


 宇和島は一二三の心情を察してほしい、そこだけは叱ってくれるなと口添えするが、ここに蔽九朗は疑問を持つ。

 てっきり、我儘すぎて手に負えないので叱ってほしい、そう頼み込んできたようにも思われるのに、それをするなというのなら――なぜ宇和島は自分に会いに来たのだろうか。

 蔽九朗がその内心を探ろうとまっすぐ見やると、宇和島は部屋に飾られている著名となったこれまでの帝国海軍将校たちの書や額を見ながら、


「――私には、どうも危うい気がしてならないのです。閣下はいつも物事や状況を知ってあえて過激を口にしますが、今回ばかりは心の闇とでも言うのですかね……。それに憑かれた感情を爆発させる節が多くて、危うくてならないのですよ」

「……」

「閣下はすでに、あの戦艦と弟さんを同一視しています」


 それが意固地なのか。

 それとも、それほどまで絶望が大きかったのか。


「これに関しては、とにかく人の言うことを聞きません」

「……」

「ですが、自ら意識を切り離すことができなければ、今後の指揮に大きな影響を与えるのも間違いありません」

「……」

「勿論、そのこと以外であれば、閣下はいつもどおりです。現在展開されている作戦にも慎重な姿勢で、各方面艦隊や部隊に指示を出しております」

 そこでは相変わらず、これを機に帝国陸軍を抹殺して、さっさと戦争を終わらせようと軽口を叩いて周囲に頭痛を与えているが、このていどの軽口なら何の心配もない。

 これが堂々罷り通るのが、()()()()()という存在なのだから。


 ――だからこそ危うい、と宇和島は忠告してくる。


「いまは帝国海軍も戦勝つづきで損害も軽微。どの方面艦隊もいい仕事をしています」


 この調子では、留守番艦隊とすでに揶揄されている聯合艦隊と第一艦隊はしばらく柱島から出る幕なしと言われて、なお留守番艦隊として迫がつく。


「それで事が済むのなら、それでもかまいませんが」


 万が一、これらに柱島から出ざるを得ない事態が起こったとしたら?

 そのとき、聯合艦隊司令部旗艦である《大和》に座乗する一二三が《大和》に関してどのような判断をするのか。

 それが怖い、と宇和島は言う。


「そのとき、閣下は《大和》が傷ついては困るので、《大和》を柱島に残し、《長門》を旗艦に戻すか、《武蔵》を早々に聯合艦隊司令部旗艦にするよう用意しろと言う可能性があります。――そういう懸念が私にはあるのです」

「まさか……」

「万が一、そのような言動をするのなら、閣下は他の誰かに聯合艦隊司令長官の座を明け渡さなければならない事態に陥るでしょう」


 だが、他からそれを望む声が上がっても、軍令部総長がこの時期、他者をつぎの聯合艦隊司令長官を推薦することはないだろう。


「――いまの帝国海軍は、閣下が……あの子が聯合艦隊司令長官だからこそ成り立っているようなもの。他者では統率ではなく、海軍の存在そのものが混迷します」

「……」


 ――最初、一二三が聯合艦隊司令長官の座に就いたとき。


 宇和島はとんでもないことだと否定的だったが、一二三とともに過ごして、どうして破格の年若の少年が「日替わり昇進定食」などと揶揄されても周囲に認められ、出世のたびに誰もが自分のことのように喜ぶのか。

 いまとなってはわかるような気がする。

 だからこそ一二三の言動が狂ってくれば、今後の作戦や士気に多大な影響が出ると宇和島は推測している。

 これは聯合艦隊司令部参謀長として、絶対に避けなければならない事態だった。


「ですから、これは他人が諭して閣下をもとの少年に取り戻すことができるのか、それともお身内だからこそ心を癒し、真に正すことができるのか。正直、いまの私には判断がつきません」

「――それで、私に?」


 蔽九朗が小さく問うと、宇和島はほんとうに困惑した表情を浮かべる。


「ご家族の問題でしたら、長兄である総長を差し置いてあなたに相談するのは筋違いかもしれませんが、その……言わせてもらえば、総長に相談しても心情を察してほしいと言われるだけでしょうし……」

「そうですね」


 長兄の暁久は、年の離れた一二三を溺愛している。

 庇う想像はし易いし、それでは一向に前には進めない。


「ご家庭の事情に口を挟むような真似をして、申し訳ありません」


 そう宇和島が謝罪してくるので、蔽九朗もおなじように頭を下げた。


「いえ……。むしろ、家庭の事情と公を混沌させ、みなさんを困らせているのはこちらです。――一二三がほんとうにご迷惑ばかりかけて、申し訳ございません」

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