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高級料亭にて 宇和島の危惧1

挿絵(By みてみん)


 蔽九朗(へいくろう)宇和島(うわじま)に案内されたのは、帝国海軍でも士官以上だけが利用できる帝都の老舗高級料亭だった。

 門をくぐり、暖簾をくぐると、すでに蔽九朗を連れて現れる段取りになっていたのか、女将が「座敷の用意はできている」と宇和島に小声で伝えてくる。

 蔽九朗はまだ若い年ごろだったが、実質、海軍省海軍大臣の高級秘書官でもある立場のため、格式こそ珍しくもなかったが、まだ足を運んだことのない料亭のひとつだったので、


「そこの松の間では、閣下が中将昇進のときに――ここでは一二三(ひふみ)のことを指す――、祝いの席を設けたのはいいけれど、閣下がうっかり水と酒をまちがって飲んでしまいましてね」


 とか、


「この上にある大広間は、紀元二千六百年の紀元節の祝賀で海軍特別観艦式を挙行したあと、いわゆる打ち上げで使ったのですが、あの馬鹿騒ぎはほんとう、酷いものでしたよ」


 とか。

 口では呆れるものの、存外まんざらでもなかったのか。

 苦笑まじりに宇和島が説明してくれるので、蔽九朗は自分の知らない一二三のことを不思議な気持ちで聞かされ、そして周囲を見やる。

 ただ……。

 まったくいい話は耳に届かなかったので、蔽九朗は兄として恥ずかしいような、情けないような。そんな気分にもなって、下がりはじめた顔を上に上げるのが少々辛かった。

 部屋に通されると、ここまで案内役として前を歩いていた女将が温かいお茶を用意してくれたので、蔽九朗はその湯飲みに触れて冷えた指先を温める。

 昼食にはもう遅いが、かといって夕食にはまだ早い時間でもあったので、用意された御膳は品数こそ控えていたが、器に盛りつけられている一品、一品は立派なものだった。

 上品な香りを感じながら、何気ない会話を繰り返し、蔽九朗と宇和島はしばらく料理を堪能していたが、


「――ここから先、少々立ち入ったことを口にするかもしれませんが、それはご容赦ください」


 互いに箸の動きが鈍くなったところで、宇和島がようやくのことで本題に入る。


「蔽九朗さんは、この二月で聯合艦隊司令部旗艦が戦艦《長門(ながと)》から《大和(やまと)》に変更されることはご存じでしょうか?」

「ええ」


 ――戦艦《大和》。


 これには国際的建艦競争と同時に、国際的軍縮条約が背後に絡み、生い立ちはかなり複雑めいていた。

 とくに建造の際は姉妹艦となる《武蔵(むさし)》も帝国海軍内でも極秘中の極秘で取り扱われ、携わった者すべてがわずかでも口外することがあれば自身と家族の身の安全は保障できないと、厳しい誓約書も書かされている。

 真の極秘建造。

 それだけに余すことなく注がれた最新技術、その巨体さ。

 だが、


 ――昨年の正和十五年八月八日。


 呉の工廠で進水式が行われたものの、それさえ周辺に厳重警戒を敷き、式典はあってないような質素だったと聞いている。

 このとき一二三はすでに聯合艦隊司令長官であったが、体調不良を理由に式典の途中で忽然と姿を消している。

 その極秘に飾られた《大和》もつい先ごろ引き渡しが可能になったと聞くが、これに期待する声は正直すくない。

 時代はすでに空母、航空部隊が海戦の主役だ。

 大艦巨砲主義はすでに過去の遺物と認識する者のほうが多い。


「じつは……本山閣下はこれを旗艦にすることを酷く嫌がっておりまして」

「一二三が?」


 重い口を開けて宇和島が、ええ、とうなずき、


「こちらとしても再三説得し、軍令部からの命令だと言っても聞く耳持たず」

「……」


 最初は長く聯合艦隊司令部旗艦を務めた《長門》に愛着があって、それで踏ん切りがつかないのだろうと思われていたが、どうも違う。


 ――名前が気に食わない。

 ――大和を戦場に連れて行くなど、そんなかわいそうなことはできない。

 ――どうして、大和ばかり痛い思いをしなくちゃならないのさ!


 などと意味不明なことばかりを言って、周囲を困らせる。

 これを抜きにしても、もともと一二三の前で「大和」という言葉は暗黙の禁忌になっている。

 耳に届けばかならず不機嫌になり、下手をすればかなり怒る。

 なので……。

 これまで粉骨砕身のつもりで物事に当たれという意味がこもる「大和魂を見せてみろ」などと引用する面も多々あったのに、一二三が昇進するにつれて「海軍魂」「海の男の意地」などと、表現そのものがじつは変わってきている。

 それほどまでに一二三は「大和」の名前に過剰反応をする。

 誰もが疑問めいているが、


 ――だからと言って、今回ばかりは度が過ぎる。


 これには冷静沈着で知られる先任参謀の前島(まえじま)もぷつりと切れて、一二三をそこらの柱に縛りつけて、その間に聯合艦隊司令長官付きの侍従長に一二三の荷物を整理させて、新旗艦である《大和》の長官私室に運ばせたほどだ。


「あのときはとんでもない口論がはじまって、前島も怒鳴るものですから、見ていて正直肝が冷えました」

「……そんなことがあったのですか?」

「幸い、ケガ人はおりませんでしたが」

「……」


 聞いて、蔽九朗は心底呆れたため息をつき、額をかるく押さえる。

 言われてみれば、一二三は《大和》建造よりその存在自体に否定的だった。

 かつて戦艦になる予定だった《赤城(あかぎ)》や《加賀(かが)》が軍縮条約に従い、急きょ空母に改装したように《大和》も空母に改装しろ!

 いっそのこと解体して、航空部隊の戦闘機として造り直せ!

 そんなことを平然と言って、周囲を散々困らせる。


「しまいには、どうしても旗艦を《大和》にするのなら、聯合艦隊司令長官を辞任してやると言い出して」

「……」


 本気かどうか定かではないが、辞表の練習だと言って筆を手にとる始末。

 聞いた蔽九朗は絶句した。

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