一二三の闇 大和と《大和》2
「それと……。お父さんも座乗していた聯合艦隊司令部の旗艦が《長門》から《大和》に変わるんだ」
――大和……。
「ボクが最初に大和と名前を付けたのに、どうして戦艦にもおなじな目が付いちゃうんだろう? ――ボクがこの国古来からの呼び名があるとおなじように、長くあるよう願いを込めて大和につけてあげた名前なのに……」
どうして、あいつも《大和》なのだろう?
――戦艦《大和》。
あの、時代遅れの遺物。
日露戦役から帝国海軍が引きずっている大艦巨砲主義の、無用の長物。
「いまの時代はもう、空母や航空部隊が主流だっていうのに、どうして暁久兄さんは……軍令部総長はあんなものの建造を進めてきたんだろう?」
長兄の暁久――。
彼も時代を充分に理解していると思っていたのに。
確かに目に見えての船体の大きさや手法の威力や装備は凄いと思うが、機動性を考えると航空部隊の活躍のほうがはるかに実用的だ。
実際、空母を主体とする機動部隊がそれを証明している。
「でも、当時は当時。いまはいま。建造しはじめた以上、中止できない事情だってボクもわかっているから、存在は仕方がないと認めるよ。姉妹艦の《武蔵》だって、それがめいめいならかまわない」
だけど。
――《大和》……。
この名前だけはべつだ。
大和は、一二三にとってははじめての弟で、自分が父のかわりに命名を許されて授けた、末弟の大切な名前なのだ。
――なのに……ッ。
「どうして、おなじ《大和》なんだろう……ッ」
一二三はギリッと歯を食いしばる。
――大和。
三兄である十七郎とともに、あのおぞましき交通事故で他界してしまった、一二三にとっては何よりも大切な弟。
――享年、わずか二歳。
事故によってまだまだ小さく幼い左手からは指が二本欠損し、どんなに探しても見つからなかった。
なので、葬儀当日の火葬場で一二三は自らおなじ個所の指を二本切り落として、冥途の土産にそれを大和に持たせた。
そのまま、いまの一二三の左手には人差し指と中指がない。
普段は義指を嵌めて、手袋をしているのであまり人目にはつかないが、手袋を外して素肌の左手を見ると、あのときの悲しみや恨み、絶望がいまでも消えず……一二三を容易くどす黒い闇に引きずり込んでしまう。
「――ボク、嫌だよ。《大和》になんか乗りたくない」
大和は事故で死んでしまったのだ。
即死だった十七郎とは異なり、ひと晩散々痛い思いをして、苦しんで息絶えた。
「その《大和》を砲弾や魚雷がわんさかいる海戦になんか、連れて行きたくないッ」
――だって……ッ。
「そんなところに大和を連れて行ったら、また痛い目に遭うかもしれないじゃないか。――そんなの嫌だよ、させたくない!」
――だって、ボクは大和のお兄ちゃんだもの。
大切な弟を護り、愛するのが兄の役目なのだから。
弟を戦場に連れ出すなど、もっての外だ。
だから……。
数日後に控えた聯合艦隊司令部旗艦交代式には出たくもないし、はなから《大和》に座乗などしたくもない。
それを真剣に訴えているというのに……ッ。
周囲は誰ひとり、これを理解しようとしてくれない。
我儘を言うな、の一言で、一二三を叱る。
ならば《大和》を改名するか、《武蔵》の名前を《大和》にくれてやって、《武蔵》にはべつの命名を与えればいい。
そうしたら、あの巨艦を聯合艦隊司令部の旗艦として受け入れてやってもいい。
そう言っているのに、これは誰も聞き入れてもくれない。
一二三がこんなにも末弟の大和を溺愛しているのだ。
おなじように、一二三を溺愛している長兄の暁久ならこの気持ちをわかってくれると思ったのに、帝国海軍の艦艇すべては大日本帝国皇家筆頭・今上帝の御物。
艦の命名は今上帝が決定し、海軍はその艦を預かっているにすぎないと諭されるように言われてしまえば反論の余地はないし、
「だったら今上帝に――寛明クンに名前を変えてって訴状を出したんだけど……」
今上帝はかつて、「優弥」と名前を持って一二三の前に現れた、おない年の少年。
訳あって半年ほどともに暮らしたことのある親友で、そのときはじめて「優弥」くんが今東宮で、皇家だということを一二三は知った。
そのときの友情はいまもつづいている。
ゆえに今上帝も一二三が抱える事情は知っているのだから、戦艦に《大和》の名前を与えるなど撤回してくれてもいいというのに。一二三が望む返事はついぞ送られることはなかった。
今上帝はいま、帝国陸軍の傀儡――。
この大本営の飾り絵――。
もともと気弱だった少年が、何かを強く言えることはない。
「……嫌だよ」
末弟とおなじ名前を持つ戦艦などに座乗したくない。
「だいたい《長門》はまだ現役で使えるじゃないか」
聯合艦隊司令部は、戦艦《長門》を旗艦として大切にしてきたというのに。
誰もが思い入れのある旗艦を、どうして見た目だけの威信で乗り換えなければならないというのだ!
「戦争経験もない処女艦に、聯合艦隊司令部の旗艦など務まるものか……ッ」
そうと決め込んで、白い息を吐きながら呪わしく吐くころ。
周囲はすっかり夕刻の闇に飲み込まれていて、灯りがなければ足もとも定かではない夜の色が一帯を支配していた。
一二三は闇のなかで、もう一度墓石に刻まれている家族の名前を見やる。
見て、ゆっくりと家族が眠る墓石に頭を下げて、霊園を後にするのだった。




