白紙のままの、第二段階作戦
昼食の出前の内容は、一二三の要望が採択された。
それが届くまで、一二三は軍令部内にある応接室で時間を潰すことになる。
暁久は出前が届く前に終わらせたい仕事があると言って、総長室に向かう。
一二三の傍らには事実上の見張り役として、第一部部長がげんなりと張りついていた。
――第一部、とは。
軍令部内に所属する部署で、こちらでは作戦計画や部隊、艦隊編制を担当。
演習計画にも大きく関わり、軍隊組織の上ではこの部署から帝国海軍すべてが動くことになっている。
一二三にとっては天敵だったが、それは彼らも一緒だった。
ハワイ作戦だけでも充分に悩ませたというのに、この期に及んでミッドウェーにまで初期構想を持ちかけてくるとは……。
第一部部長は一二三と目が合うたび、ひやりとして目を逸らす。
この子は昔から油断ができないのだ。
――帝国海軍。
それを聞くと誰もがすぐに聯合艦隊を想像するが、じつはそれらは大きく四つの部隊に分かれており、筆頭に来るのが聯合艦隊司令長官である一二三が統率する聯合艦隊なのだ。
別名、外海部隊とも称されるが、これは耳に馴染みが薄い。
それで言うと鎮守府もおなじで、こちらには内海部隊と称するものがある。
――横須賀、呉、佐世保、舞鶴。
そう呼ばれる重要港湾がこの四つで、このうち横須賀鎮守府の司令長官がポストとしては最も高い。
国内には他に警備府がいくつか配されているが、これは普段の海上警備がほとんどで戦時における戦闘能力は有していない。
最後は聯合艦隊に次ぐ大所帯の、志那方面艦隊だ。
第一から第三までの遣支艦隊と海南に警備府を持ち、大陸での行動がもっぱら。
司令長官は一二三の聯合艦隊司令長官と組織上は同列だが、実際は一二三のほうに軍配が上がる。
かつては一二三の才覚を誰もが喜び、その昇進の速さに手を叩いた。
だが……一二三の思考や行動力は、組織の枠内では抑えきれない。
下手をしなくても、すでに帝国海軍の指令系統、作戦系統を二分する危険を充分に孕んでいて、総長の暁久も内心では手を焼いている。
――護るべき境界線が正しいのか。
――知るべき現実が正しいのか。
答えはおなじなのに……。
■ ■
「出前、早く来ないかなぁ~」
大好物が食べられると思うと途端にお腹が空いてきて、一分一秒を待つのにも長く感じられてしまう。
ソファに座りながら暇そうにしていると、第一部部長が「こほん」と咳払いし、
「本山閣下に置かれましては、昼食後、速やかに柱島への帰路につくのでしょうか?」
このまま軍令部に居座って、総長にミッドウェー初期構想の許可を得るまでは庭で野宿してでも待つ、そんなことをされてはたまったものではない。
率直に「早く帰れ」と言われてしまい、一二三はけらけらと笑う。
「大丈夫だよ。今日はお昼を食べたらそのまま帰ります。ボクも命は惜しいからね。早く帰らないと、瀬戸内海往復引きずりまわしの刑に処されるから」
「せと……?」
「ふふ、陸勤めの人にはお勧めできない、独自の刑罰だよ」
などと言ってみせるが、帝国海軍にこんな刑罰は存在しない。
これは何かと問題を起こしている一二三専用の刑として、聯合艦隊司令部参謀長の宇和島が考案したものだ。
身体を縄で縛りつけられて、高速艇で引っぱられる……アレ。
「ただし――」
と言って、一二三は笑顔を浮かべながら悪魔のような眼光を放ち、
「今度来るときは、もっと計画性が具体的に見て取れる案を山のように積み上げるから。そのときは覚悟していてね。――前島クンを野放しに寄こすから」
「ひッ!」
と、怯える第一部部長に、にこり、と笑う。
どうも他人の嫌がる顔を見ると、俄然とやる気が満ち溢れてくる。
「部長だってそうでしょ? 南方作戦、国策遂行よりも、まずは先の帝都大空襲の二の舞を防ぐのが急務だって」
「それは……」
十年前のあの日――。
帝都出身だった彼も、あの煉獄で家族や身内、近所の馴染みの多くを失った。
極秘迎撃に失敗した当時の聯合艦隊を恨み、役にも立たなかった当時の各地航空部隊を呪い、それらを確実に動かすことのできる軍令部への勤務移動を強く望み、現在ここにいる。
「確かに、得るものを救い上げるときに背を打たれては困ります。ですが、大東亜地域や大太洋は、島国一国が防衛するにはあまりにも広域」
占領に成功する地域は確実に広がっていくが、保有する軍事力、保有資源はかぎりがある。
すでに多方面に分散している艦隊に、これまでと等しく用意するのは難しい。
ゆえに軍事計画はあるていどの地域集中性が必要となる。
「それは、あのとき生き残った家族や友人を完全に失う結果になったとしても?」
「そ、それは……」
「ボクだって、インドネシアやフィリピンも重要視している。あんなにも多くの島々に滑走路の前線基地を作られたら、ひとたまりもない」
だから、真正面から意見が分かれる暁久の言い分もよくわかる。
「でも、ボクたちは戦争をするために戦争をはじめたわけじゃない。護らなければならない人たちがいるから……戦争から遠ざけるためにボクは黒真珠湾を選んだ」
「閣下……」
「ボクたちは占領や強欲を目的とする陸軍とはちがうんだ」
あんな奴ら、大陸に置き去りにしてやればいいんだ。
そして、好きにやっていろ。
一二三は心底そう思ってしまう。
「――そう言えば、南方作戦のことだけど。あれは香港、シンガポール、ボルネオまで陥落させたんだから、これは第一段階成功って言ってもいいんだよね」
「ええ。正直、ここまで快進撃がつづくとは思っていませんでしたが」
「なら、さ」
――これを終了させた、その後。
「第二段階はどんな作戦で進めていくの?」
大規模な戦争をはじめるために主軸として定められた、「帝国国策遂行要領」。
ここでは資源地帯確保が第一優先で、米国との短期決戦は事実上困難なので、長期戦を視野に入れての大東亜占領作戦でもあった。
これを成功させるために……。
一二三はこの「南方作戦」を進めるにあたって横槍で突かれないよう、だから黒真珠湾を叩く必要性があると主張して、ハワイ作戦を持ち込んだ。
――結果は最後通告の遅れもあって、米国を憤怒させてしまったが……。
「このあとはどうするの? 軍令部はとにかく広域展開に向けて艦隊を小分けにしろって言うけどさ、艦船は都合よく割り振れない。南方作戦に必要な第二艦隊だって、簡単に遠方増援には割けないよ?」
「……え、ええ」
「だから、しばらく食つなぐための資源を確保したあと、どうするの?」
問うが、第一部部長は答えない。
というより……答えられない。
「ボクたち帝国海軍は、長く持たないよ? 最初の半年か一年くらいなら押し相撲で全力も出せるけど、米国相手じゃそもそも艦艇建造のスピードがちがうし、資源も割り当てられる兵員の数も桁違いにちがう」
有利だったはずの押し相撲も、目に見えて疲労がはじまり、踏ん張りも効かなくなる。
それでもあえて戦争を選んだのは、三国同盟と呼ばれる協定のなかで独国が破竹の勢いで欧州を制し、それに乗じて大日本帝国も大東亜地域を制すれば「どうにかなる」とずいぶんな目測を立てたからだ。
三国同盟締結は当時、帝国民と陸軍は喜んだが、
「ここは陸路ばかりの欧州じゃないよ? 海ばかりの大東亜地域だよ? ボクたちは重油がなければ敵を殴りに行くこともできない海軍なんだよ?」
「で、ですから、我々の戦争終結は同盟国の勝敗にかかっていて、独国が勝利すれば連合国も占領地域を見直すと」
「それ――本気で思っているの?」
訝しむように尋ねるが、第一部部長はそれ以上答えない。
目を泳がせながら、黙ってしまった。
本来なら一二三の質問には余すことなく答えなければならない第一部、その部長がこうなのだ。
第二段階は白紙のまま。
誰もが成り行きに任せ、どうにかなるだろうと楽観が浮き彫りになっている。
「総長が――兄さんが軍令部で奮闘してくれているのは、よくわかる。ボクだって従っている。でも、従うには不安材料が多すぎるんだ」
だから、一二三だけは用心に用心を重ねている。
その結果がハワイ作戦であり、これから具体的案を持ち込もうとするミッドウェー初期構想でもあった。
自分がそれをやかましく説くことで、ひょっとすると白紙に何か光明が差すかもしれない。
「ねぇ、部長。今年も桜はきっと奇麗に咲くだろうけど、来年の桜は咲くと思う?」
「?」
これから確実に丸一年戦争をする。――その翌年。
帝国民は桜を見ることができるのだろうか?
桜の木は変わらず帝国本土に根付いているだろうか?
一二三は含みで問うてみたが、第一部部長はこれにも答えることはなかった。




