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一二三の闇 大和と《大和》1

挿絵(By みてみん)


「――正直なところ、この快進撃は予想もしていなかったよ」


 南方作戦に同意した以上、負け戦では困るが、シンガポール陥落がこんなにも早く済んでしまうとは思ってもみなかった。

 一二三(ひふみ)はまだ冬風が冷たい帝都の外れにある霊園を歩き、ひとりつぶやく。


「でも、大英帝国をこの大東亜(だいとうあ)地域から締め出すことには成功したし、米国の大太洋艦隊(だいたいようかんたい)もまだ帝国に近づけない状態になっているから、政府にはここらで何かしらの講和に持ち込んでもらいたいけど……」


 それができるように、一二三から米国海軍大太洋艦隊に殴りかかった喧嘩……大太洋戦争だけれど、ここから先は聯合艦隊司令長官と言えど、一軍人でしかない一二三にはどうすることもできない。

 極めて政府に近しい人物に、戦争終結の講和を図ってほしいと手紙は出したが、案の定棄却。


 ――この大日本帝国の強さを世界に知らしめたばかりだというのに!


 どうして早々、


 ――この戦果で得た権利や利益を手離すかたちで、和平交渉をしなければならないのだ!


 政府や大本営は、一二三のこの手紙を鼻で笑ったという。

 こうなることはわかっていたが、


「おじさんたちはすでに、戦争と富の区別がつかなくなっている」


 一二三が何のために黒真珠湾(くろしんじゅわん)に奇襲攻撃を仕掛けさせたのか。

 その意味さえ忘れて、馬鹿のひとつおぼえのように、進軍、進軍、進軍命令。

 いまはその期待に応えるよう、南方作戦が破竹の勢いで勝利を収めているが、果たしてそれがどこまで持つか。

 その本来の国策要綱を支えるために、聯合艦隊は第一航空艦隊を黒真珠湾に向けて出撃させて、米国海軍大太洋艦隊から横槍で突かれぬよう抑えることに成功したが……。

 一二三をはじめとする聯合艦隊司令部は、米国海軍大太洋艦隊の邪魔が入らぬ状況は、持って半年が限界だと読んでいる。

 個人がどんなに和平を望もうと、軍隊組織というのは平時における国防と、戦時における戦闘がすべてなので、「戦え!」と命令が下れば逆らうことができない。


「……でも、事はそううまくいかない」


 黒真珠湾攻撃の奇襲で叩き洩らした米国海軍大太洋艦隊が保有する、――空母。

 これは黒真珠湾には停泊しておらず、じつはミッドウェーとウェーク近海に姿があるという。

 これは聯合艦隊にとって、とんでもない現実だった。


 ――このふたつの諸島は……。


 この大日本帝国の大太洋側、帝国海洋絶対防衛圏のすぐそばにあるのだ!

 ここに黒真珠湾相当の基地があるわけではないが、いざとなれば全空母を出撃させるだけの燃料や補給庫は持ち合わせている。

 国策では資源が豊富な南方地域だけが重要視されているが、じつは遠く離れていると思いがちの大太洋側のほうが軍事的には遥かに物騒なのだ。

 政府はそれを忘れている。


 ――ボクが《黒真珠湾攻撃》奇襲作戦を成功させてしまったせいで……。


 やること成すことすべてが「勝利当たり前」という空気になっている。

 一二三はすでに、日露戦役で帝国を護りきった当時の聯合艦隊司令長官、南郷(なんごう)大将の再来とも祀り上げられている。

 一二三にはちがう意味で、すでに逃げ場というものが存在していなかった。

 その一二三が目指す墓石は、霊園の奥――。

 高級敷地と言って、一般人の区画と区別された場所にある。

 そこには古くからの名家や著名人たちの墓があり、幕府時代より武家の家系……帝国維新後は軍人の家系として名高かった一二三の生家――本山(もとやま)家の代々の墓もある。

 あたりはすでに、薄暗い。

 人気のない墓地ともあって鬱蒼としているが、一二三の会いたい人はここにしかいない。

 一二三は寒く薄暗い墓地のなかを歩き、「本山家代々の墓」と彫られた墓石の前で足を止め、ゆっくりと見やる。


 ――数年前までここは、祖父から上の先祖が眠る墓だったというのに……。


 たった十年近くで、ここには父と母、三番目の兄である十七郎(とおしちろう)と、一二三の弟――末弟の大和(やまと)が眠る墓となってしまった。


「十年でこんなにも……」


 この時間を長いというべきか、短いというべきか。

 一二三には兄が三人、弟がひとりの、自分を合わせて五人も兄弟がいた。

 とくに長兄は年齢が離れていて、次兄と三兄は双子。

 みんなで幸せに暮らしていれば、どれだけにぎやかな毎日を過ごしただろう?


 ――それをもっとも楽しみにしていただろう、父。


 彼は十年前の帝都大空襲がきっかけで、当時、帝国海軍聯合艦隊司令長官としての責務が果たせなかったことで帝国陸軍主体の軍法会議の末、見せしめの銃殺刑。

 そう。


 ――この帝国は一度、正和初期に国際非難の警告として帝都に大空襲を受けている。


 一二三の父はその情報を知り、極秘で聯合艦隊を出撃して迎撃しようとしたのだが間に合わず、帝都は煉獄を経験した。

 母はその心労で病み、ほどなく他界。

 残されたのは一二三たち五人兄弟だったが、それもいまは長兄と次兄、そして一二三だけになってしまった。

 しかも長兄は現在、帝国海軍軍令部総長という海軍のなかでもトップのひとりで、次兄もまた海軍省では大臣官房に就いている。

 数年前、長兄が当時の大空襲で焼けた帝都の家を再建し、残る兄弟で住もうと整えてくれたのだが、一二三たち兄弟は見事に帝国海軍の重責に就いていて、とくに一二三は聯合艦隊司令長官として柱島を泊地にしていて、もう帝都の家には長く足を向けていない。

 兄たちも忙しい身だ。

 きちんと家に帰って、生活できているのだろうか?


 ――本来なら……。


 その家に帰って、仏壇に向かってきちんと合掌するのが筋だろう。

 霊園に足を向けるときも、ほんとうなら仏花を添えるのが筋なのだが、あいにく用意が間に合わなかった。

 そのかわり、兄たちが墓前を訪ねるたびに飾っていると思われる花があって、一二三はそれを静かに見やる。

 酷く枯れているようには見えないので、兄のどちらかが数日前にここを訪ねていることが伺える。


「ごめんなさい、手ぶらで……」


 一二三は父と母に詫びるような声音で小さく漏らし、ポケットから取り出したハンカチで墓石を拭う。

 それから、なぜかポケットに入っていた飴玉をふたつ取り出して、


「はい、十七郎兄さんと大和にはこれ」


 そう言って、墓前に置く。

 置いて、自分がすでに他界した三兄よりも年上になっていたことに気がついて、複雑な気分になる。


「でも、どうせ飾る花を持ってきたところで、聞かせる話はおもしろくもないからね」


 と言って、小さく苦笑し、


「むしろ……酷い話でごめんなさい……」


 そう、一二三は心の底から詫びる。

 呼吸のたびに、声を発するたびに、一二三の口もとから白いものが漏れる。

 そのなかで一二三は表情を陰らせながら、


「自分からはじめた戦争なのに、ボクにはこれを回避させる術がないんだ。勿論、あきらめるつもりはないけど……」


 でも、後戻りできない何かが……何かが歪み、軋み、狂いはじめている。


「このことは作戦考案中に何度もお父さんには詫びたけど、それでもいまの状況では奇襲攻撃が最善だったんだ。大太洋艦隊だけは帝国に近づけるわけにはいかないからね」


 十年前。

 父が失敗に終わった海洋迎撃殲滅作戦の二の舞を踏むわけにはいかない。


「マレー沖海戦も国策である以上、南方作戦を支えるためには必要で……」


 これは帝国海軍の本来の軍事作戦としては立派な戦勝だった。

 とくに、黒真珠湾では停泊中の戦艦を航空部隊が撃破したが、マレー沖海戦では航行中の戦艦を航空部隊が撃破したのだ。

 これは類似しているようで、実績としては遥かな差がある。


「いまの帝国海軍の航空部隊はね、ここまで強くなったよ。いい仕事をしてくれる」


 創設時は初の航空部隊として不安しかなかった第一航空艦隊も、見事に機動部隊としての役目を果たして、いまではインド洋まで出撃に向かえるほど頼もしい存在になった。

 口では簡単に言えるが、そこは果てしなく遠い。


「――インド洋だよ? かつての欧州大戦のときに日英同盟で地中海まで艦隊を派遣した……ってことはあったけど、あのときとは時代も状況もちがうし、しかもいまは全戦負け知らずときているんだ」


 このままいけば、ひょっとすると世界最強の機動部隊として謳われるかもしれない。

 そこに天狗になることはないが、欧米の列強国の海軍と比べ、航空兵器と技術の導入にずいぶんと遅れを取った帝国海軍が実力でここまでの仕上がってくるとは!

 ここに至るまでの血反吐の努力、訓練は称賛に値する。


「だから、しばらくは心配しないでほしい。何があろうとボクたち帝国海軍が絶対にこの国を護ってみせるから」


 それに……。

 自分はまだ少年だけど、すでに階級は帝国海軍大将。

 聯合艦隊司令長官だ。


 ――いつまでも、聯合艦隊司令長官そのものに夢を見ていた子どもではない。


「お父さんには会いたいけど、心配になってあの世からひょこり顔を出されても困るし」


 一二三はどうにか表情を保ちながらいくつか話をつづけるが、――それも止まる。

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