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恥ずかしい朝

 ――……。


 酷く疲弊しきった心のまま、ここ数日の疲労と重なって深い眠りについてしまったせいか。

 その夜見た夢は深く心に刻まれたように思えて、起きたときには忘れていた。

 一二三(ひふみ)はぼんやりと目を開ける――。


「……」


 ここはどこだろうと思える天井は、ごく一般的家屋の和室造りのものだった。

 普段寝起きしている、聯合艦隊司令部旗艦の戦艦《長門(ながと)》にある長官私室の天井とは明らかに異なった造りをしている。

 それくらいはわかる。

 まだ寒さが身に沁みる二月の部屋。

 自分の体温がこもる、温かな布団。

 いつどこで寝てしまったのかはわからないが、寝心地のいい部屋と布団だなと思える。ただ――ここがどこなのかはわからない。

 即座にすべてを思い出すことができず、一二三はしばらく枕に頭をつけたままぼんやりとしていた。


 ――ひょっとすると……。


 こうやってぼぅ……としていること自体が夢なのかもしれない。


 ――そうだ、()()()()()()……。


 ここを速く叩かなければ。

 そんなことを思いながら急速に意識を覚醒させていくと、この部屋に自分の寝息ではない寝息があることに気がついた。

 それはひとり……ふたり。

 ふたりいる――。

 刹那、一二三は朝から怪談的な恐怖を覚えて布団のなかで身震いしてしまったが、お化けだったら殴って、踏んで、張り倒せばいい。

 いま、この世でいちばん厄介なのは、ミッドウェー諸島における作戦展開の裁可を軍令部からもぎ取ること。


 ――それに比べれば、お化けぐらい胸倉掴んで……。


 よし、やるか。

 そう思って一二三が部屋のようすを伺うと、自分が寝ている傍の壁側に寄りかかりながら、ふたりの男が布団を掛け合って座りながら寝ているのが目についた。

 一二三は「は?」と思う。


「な……?」


 どうしてこの家の主である帝国海軍()中将の堀川(ほりかわ)が、壁に背をつけて掛け布団に身体を包んで寝ているのだろう?

 そこで、昨晩。長兄の親友で、自分たちにとっても兄同然の堀川の家を訪ねて、一夜の宿を借りたこと、その経緯を思い出す。

 なら、ここに堀川がいることはおかしいことではない。――だが。


「堀川サン……、何で自分の部屋で寝てないんだろう?」


 ここは彼の家なのだから、一二三が寝ている客間以外にも自分の部屋だってあるはずだ。なのに、なぜ?

 一二三はささやかな疑問を持ったが――問題はそこではなかった。

 いま、いちばんの問題は堀川ではなく、そのとなりで似たような体勢で寝ている男の存在だ。


「な……んで、暁久(あきひさ)兄さんがいるわけ?」


 一二三は堀川の肩を枕がわりにして寝ている長兄の暁久が目に入るなり、ぎょっとする。

 この光景は異様だ。異様すぎる。

 何度まばたきしても、こればかりは簡単に謎解きができない。


 ――昨日は……。


 堀川の家を訪ねたとき、この家主以外の存在はなかった。

 そもそも長兄と顔を合わせるのが何となく嫌で、それで堀川を訪ねたというのに……。

 もしかすると、自分が寝た後に何か事情があって堀川が長兄を呼んだのだろう。ここは簡単に推測がつく。

 だが、しかし!

 この家の客間はここにしかないが、一二三の布団だけで手狭になるほどでもなかった。

 すぐとなりに布団を敷いて、長兄がきちんと横になれるだけの場所はあるし、堀川に至っては自分の部屋で寝ればいいはず。

 なのに、どちらもそれを選ばず、壁に寄りかかって布団を掛けて寝ているとは……。


 ――さて、まずは何からどうしたらいいものか。


 そう思ったときだった。

 堀川に寄りかかりながら寝ている暁久の圧に耐えきれなくなったのか、堀川の身体が確実にかたむきはじめていた。

 そのすぐ傍には布団から出て、ふたりのようすを探ろうとした一二三の身体があって、――そのままかたむく堀川に押し潰されるように一二三は倒れこんでしまう!


「――!!!」


 頭は幸い敷いてあった布団の上に落ちたので、畳にぶつけることはなかった。

 だが、身体の上には怜悧な体格の堀川が覆いかぶさり、顔も一二三のすぐそばにある。

 奇妙な体勢で身体が重なった瞬間。

 一二三は昨夜の泣いて喚いたことを思い出して、堀川に抱きしめられながら慰めてもらったことを思い出して、どうしてだか気娘のような悲鳴を上げてしまった!


「きゃああああああッ!」



■ ■



「う、うう……」


 どうして朝から台所用品のひとつである「おたま」で頭を叩かれなければならないのだろう?

 一二三は堀川から借りた着物のまま、ちゃぶ台のある居間で正座を強いられ、それに素直に従っていた。


「何も、おたまで頭を叩かなくたっていいじゃない」


 恨みがましくつぶやき、頭をさすると、すぐそばの台所で規則正しいリズムを刻みながら朝の食事の支度をしている人影がわざと包丁の音を大きく「トン、トン、……ドンッ」と荒げてくるので、一二三は首をすくめるしかない。

 その姿に愛らしさを感じたのか。

 となりに座る長兄がくすくすと笑うが、その長兄も、ちゃぶ台を挟んだ向かいにむすっとした表情で座る堀川も、不思議なことに一二三同様正座をして身動きが取れない状態にある。

 ここは畳の上。

 座卓に向かい、座して食べる場所なので、正座だろうが胡坐だろうが好きな体勢を取ればいいのだが、一二三たち三人の正座は故意的で「反省」の意を強要させられている。朝から酷い仕打ちだ。

 でも、それが何だかおかしくて、くすぐったい。


「……ボクたち、身内だからべつにおかしくないけどさ。朝からちゃぶ台を囲みながら、帝国海軍軍令部総長に、聯合艦隊司令長官、帝国海軍にこの人ありと謳われた()中将が揃って反省中の意味で正座しているのって、何だか笑えるよね」


 くく、と笑いながら一二三が言うと、長兄――暁久もおなじことを思っていたのか、


「そうだね。これは他の人には見せられないものがあるね」


 と、いつものようすで返してくるが、


「何で俺まで……」


 この馬鹿兄弟とおなじあつかいを受けなければならないのか。

 それが不満と屈辱らしく、堀川だけがこの状況に眉間にしわを寄せている。

 暁久は、そんな親友を咎めるように、


「それは悌史(ていじ)が悪いのではないか。朝から一二三にあのような悲鳴を上げさせることをするから」


 と言うと、これには堀川なりの言い分があるようで、真っ向から反論。


「だから! 先ほどから言っているだろう。あれは事故だ、俺にそのような趣味はないし、状況から言ってお前が俺を押して、俺が倒れたところで一二三が下敷きになったんだ。一二三がそのように証言している!」


 堀川は身の潔白を伝えるが、こと、弟の一二三のことになると暁久は根に持ってしつこい。


「では、なぜ一二三があのような悲鳴を上げたのだ? 私は一二三のあんな悲鳴、聞いたことがない」

「それは俺もおなじだ。倒れただけで悲鳴を上げられるのは不愉快だ」


 などと相応の年ごろも立場も忘れて、少年時代のような次元の低い言い合いをし、暁久と堀川は判断を委ねようと同時に一二三に向き直る。


「まったく、紛らわし悲鳴を上げやがって」

「一二三、私はお前のためならいつだって親友の縁は切る。だから言いなさい。――悌史に何をされたのだ?」

「そ、それは……」


 ふたりから詰問をされたところで、一二三は返答に窮する。

 確かにあのとき……。

 倒れてきた堀川の下敷きになって、昨晩泣きじゃくった自分を思い出して、それで思わず悲鳴を上げてしまったが、事実はそれだけだ。

 誰が悪いと言われてしまえば、奇妙なところで過剰反応してしまった自分に責任がある。


「一二三、どうして赤くなるのだッ?」


 知らぬうちに頬が赤くなっていたらしい。

 暁久が年ごろの娘を持つ父のように焦って、ふたたび堀川に向かって尋問をはじめる。当然、言いがかりでしかない堀川もムキになって反論するので、事態収拾がつかない。

 こうなってしまうと一二三には止める手立てがなかった。


「ボクが言うのも何だけど……お願い、――もう忘れて……」


 そもそも三人揃っての正座は、一二三の発した悲鳴が原因だった。

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