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暁久と堀川の語らい すれ違いのはじまり

 一二三(ひふみ)はしばらく、堀川(ほりかわ)に抱きしめられながら泣いていた。

 ようやく、ようやく恨み言を吐き出すことができたのだ。

 次第に気が緩んでいく一二三は、そのまま意識を失うように眠りについてしまう。

 久しぶりに見た寝顔は年ごろよりもやや幼く、本来の気質よりも先生に見えた。

 堀川は目もとを拭ってやると、「よいしょ」と言って一二三を抱き上げて、客間に強いていた布団の上に寝かせる。

 このぶんなら、居間で多少の話声をさせても気づかず、朝まで起きないだろう。

 そう思いながらちゃぶ台の上にあるおでんが残る鍋を持ち、台所で温め直そうとしていると、静かに玄関の戸が開く音が聞こえて、誰かがこちらに向かって廊下を歩いてくる足音が聞こえた。

 ふり返ると、こちらも軍装姿。

 一二三の長兄で、堀川の親友でもある暁久(あきひさ)が立ってて、すまなそうな顔を向けている。


「このタイミングで家に上がってもよかったかな?」


 一二三が聯合艦隊司令部旗艦《長門(ながと)》を抜け出して、帝都にある堀川宅に押しかけてきたと連絡を受けたのは、ほんの数時間前。

 おでんを調達し、鍋焼きうどんの注文をしながら外に出かけたとき、堀川が確実に帝国海軍軍令部総長である暁久と連絡が取れる電話でこれを伝えて、「遅くに訪ねてもらいたい」とつけ加えていたのだ。

 堀川はうなずき、顎を使って一二三が寝ている客間を指し、


「……相当、腹の底から吐き捨てたからな。いまは疲れてよく寝ている」

「では、――私はよほど一二三に恨まれていたのだね」


 暁久は最初、一二三の寝顔だけでも見ようかと思ったが、閉じている襖に手を伸ばしたものの触れることはなかった。

 いつかはこのような日も来るだろうと予想していたが、実際、実の兄を頼らず、兄同然の堀川を泣き場所にされたのは少々辛い。


 ――しかも、自分が理由で一二三が泣いたのだ。


 これに勝る辛さなどない。

 暁久が小さな息を吐いて、ちゃぶ台のところに腰を下ろすと、おでんの鍋を温め直した堀川が箸と取り皿を用意して向かいに座る。


「思いのほか一二三が食べてな。お前の腹が膨れるほど残っていないが」

「――いや、いただこう。最近はこういったものを食べていなくてね」


 勿論、食事はとっている。

 だがそれのほとんどが料亭や座敷での膳か、軍令部で用意される相応の食事だ。

 口に運んでも聞こえる話すべてが米国との海戦状況や南方作戦の内容ばかり。

 正直、いつも食べた気がしない。

 そうぼやく暁久に、堀川は小さく笑う。

 そして……。


「一二三に恨まれていたのは俺もおなじだ。蔽九朗(へいくろう)も散々言われた。今上帝(きんじょうてい)にも相当不満を募らせていた」

「……そうか」

「一二三は当時の俺たちのことを無神経だと言った。――そうだったのかもしれない」


 堀川は夜食のようにおでんを食べる暁久に、これまでの経緯を話す。

 それはときおり暁久が動かしている箸を止めるに充分な内容で、そのたびに普段はのほほんとしている暁久の表情が陰っていく。

 とくに戦艦《大和》の存在が本格的始動をするころ、一二三は暁久とはどこか線を置くようになってきたし、聯合艦隊司令長官に就任してからは暁久とは公的な立場で意見が合わなくなり、距離そのものを置くようになってきた。

 その居づらさの意味がよくわかった。


「やはり、兄弟が同じ職場に立つのは望ましくないね。とくに異なる意見を持つようになると、公的なことだと割り切っても、私的な面でも影響が出てしまう」


 現在、第一航空艦隊が大東亜地域から大英帝国東洋艦隊を閉め出すため、シンガポールを遥かに越えたインド洋に向けて出撃している。

 軍令部としてはそのような遠征よりも、まずはフィリピン一帯を強固にし、豪国攻略作戦のひとつとしてフィジー諸島、サモア諸島を攻撃し、米国海軍大太洋艦隊の交通網を遮断することが優先だと主張したが、ここで一二三が率いる聯合艦隊司令部と意見が衝突。


 ――米国との戦争は、長期戦になったら勝ち目はない。


 これは聯合艦隊司令部も軍令部も意見は一致しているのだが、では、どのように終結の目途をつけるのかが一致しないため、第一航空艦隊のインド洋派遣も実際は相当に揉めた。


「一二三は言動こそ過激だが、それでも納得できる理を持っているからな」

「とはいえ……大太洋を気にしておきながら即時対応可能な第一航空艦隊をインド洋に向けたのは、私は評価できない。裁可こそしたけど、この時期に帝国から離すとは」

「まあ、インド洋作戦においては陸軍の北ビルマ攻略作戦が絡んでいるからな。インドネシアからの陸路より、インド洋から進軍したほうが動きとしても楽だ」


 実際、米英の協力体制を断ち切るのは、インド洋で行動を起こしたほうがいい。


「しかしながら、大陸ばかりに手を広げる陸軍のために、海軍の帝国海洋絶対防衛圏を無駄に広げるのはどうだろう?」


 どれだけ艦艇を揃えようと、資源と重油がなければ海軍は立ち行かない。


「――そうだね。まずは自身の備蓄に見合う範囲、供給に足る範囲を定めないと。南方作戦も第一段階の目途が立ってきた。フィリピンやボルネオ地域は多島群だから、大掛かりな艦隊では身動きも取れない。規模を縮小した艦隊に分けてはいるけど……」


 これらの話をして、ふと目が合い、堀川と暁久はどちらからともなく苦笑を漏らす。

 すでに堀川は予備役として引退しているが、こうやって暁久の話には難なくついていけるので、顔を合わせれば世間話よりも現場の話が話題となってしまう。


「たがいに悪い癖だね」

「そうだな」

「それで――」

「ん?」


 暁久は箸を置いて、湯呑を手にする。


「一二三は《大和(やまと)》を聯合艦隊司令部旗艦として受け入れてくれるだろうか?」


 どうしても一二三が頑なに拒むのであれば、この快進撃をつづける時期に望ましくはないが、聯合艦隊司令長官の任から外すことも視野に入れなければならない。

 ただ、できることならそれは避けたい。

 他に人材がいないわけではないが、一二三という聯合艦隊司令長官はいま、帝国海軍軍人の心の支えであり、誰よりも認められている存在なのだ。

 それを思って暁久が尋ねると、堀川もわずかに考え、


「しばらく拒絶してきたぶんきまりも悪いだろうが、柱島に戻るときには《大和》に足を向けるだろう。今日、ここに来たのも自分が抱える矛盾や呪縛にすこしでも踏ん切りをつけたそうだったし」

「……」

「暁久に本音をぶつけることができなかったのは、お前をこれ以上悩ませたくなかったからだろう。俺を頼りにした結果じゃない。私的な面でわだかまりを残せば、どうしたって公的な面に影響する。暁久もさっき言っただろう?」

「……そうだね」


 いま優先すべき立場を思えば、確かにそうかもしれない。

 だが……仲違いで拗れても、直截本音が聞けなかったのは長兄としては辛い。


「一二三のためなら兄の面目などいくらでも潰せるが、では、何をどれくらい潰せばあの子の心を救うことができるのか」

「暁久……」


 どれほど潰しても救えぬのだとしたら、兄としてこれほど辛いことはない。


「一二三もこのように思い、心に残る大和を護りつづけてきたのなら、一二三を救えるのは大和だけになるのだろうね」

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