太平洋戦争の快進撃
――正和十六年十二月八日。
ハワイ諸島はオアフ島にある米国海軍大太洋艦隊の基地がある黒真珠湾は、大日本帝国海軍聯合艦隊の機動部隊――第一航空艦隊による《黒真珠湾奇襲攻撃》作戦によって大損害を被り、これが事実上の米国との開戦の火ぶたを切るかたちとなって、両国は戦争へと突入した。
それから、わずか二日。
――正和十六年十二月十日。
今度は南方資源地域獲得のため、《南方作戦》として動いていた聯合艦隊の南方艦隊は一部に第十一航空艦隊飛行部隊を編制し、シンガポールに根拠地を持つ大英帝国登用艦隊の最新鋭の戦艦撃破を図り、マレー沖にて戦闘開始後、見事に成功。
これによって……。
大大洋戦争の出だしは、帝国海軍の華々しい勝利が引き金となって、皮肉にも護るべき大日本帝国に戦争熱という熱狂を植えつける結果となった。
――この調子で、米英仏蘭国をこの大東亜地域から撤退させよ!
――米国に凍結された資源のかわりに、この大東亜地域を資源の柱とせよ!
誰もがそうやって、叫ぶ。
すでに大陸で戦争を勃発させたものの、成果を出すどころか、収束の気配さえなく、泥沼化の状態を見せる帝国陸軍が国民にもたらしている閉塞感を思えば、帝国海軍の快進撃は目を見張る華々しさがあって、帝都では連日、弁論師たちが街頭に立って、これを讃える声を上げている。
「大日本帝国、万歳ッ!」
「大日本帝国海軍、万歳ッ!」
「聯合艦隊司令長官、本山一二三、万歳ッ!」
弁論師たちが喜々として叫べば、これに同調する帝都民たちもおなじように万歳を唱え、両腕を高々と上げていく。
あるいは、日の丸や旭日旗を手にして。
あるいは、戦勝を伝える新聞や号外を求めて、人々の手が生地に伸びていく。
さらには、
――正和十六年十二月二十五日。
帝国陸軍との共同作戦は、破竹の勢いで大英帝国の牙城であった香港を攻略。
――翌年の正和十七年一月二日。
つぎにはフィリピンの首都マニラを占拠。
同年二月八日にはシンガポールに上陸して大英帝国との激しい砲撃戦の末、十五日には大英帝国からの降伏軍使によって事実上の勝利をおさめ、シンガポールは「昭南島」と大日本帝国大本営政府連絡会議によって改名が決定。
何もかもが嘘のように進んで、この戦況に誰もが大歓喜した。
だが……。
――ああ……。
誰かは思う。
どうして、これらがおかしなことだと思う人間がいないのだろう?
――ああ……。
どうして戦禍から護るべき帝国民が、こんなにも戦果に浮かれて、つぎなる戦果を求めてしまうのだろう?
――ああ……。
この戦争はいったい、どこへ向かおうとしているのだろう?
■ ■
思えば、この数年。
着る服といえばもっぱら軍装ばかりだったので、お忍び……というわけではないが、それらしく人目につかぬよう出歩こうと思っても、いざとなると簡単な私服さえ見当たらない。
――十七歳の少年、本山一二三。
――あるいは、帝国海軍聯合艦隊司令長官・本山一二三。
その一二三は、海軍大将の階級を示す襟章をつけた軍装のまま腕を組み、
「う~ん、まいったなぁ」
などと言って、眉間にしわを寄せる。
以前は服装のことでは迷う必要もなかった。
着る服なんか軍装のままでいいや、とよくそのまま出歩いたものだが、何せ黒真珠湾攻撃以降、新聞で自分の顔がよく掲載されるようになったので、その写真とおなじ格好で人前を歩くことがこのごろ困難になってきたのだ。
下手にいつもの調子で軍装姿で歩くと、まるで極楽浄土の仏が歩いているような揶揄で、人々が一二三を褒めたたえようと集まってしまうので、――それが困る。
「はぁ……」
いったい、自分に手を合わせて拝んで、何を願うつもりだというのか?
「いまは冬だから、外套を羽織っちゃえばいいけど……」
あるいは、もっと大人の年齢であったら、背広か着物を着用すれば済むのだが、一二三はまだそこまでの年齢ではない。
学生であれば制服があるのだが、年ごろは学生であっても、あいにく一二三は学生でもない。
なので、結局のところ一二三には軍装しか持ち合わせがない。
「ボクって、結構物持ちがないんだなぁ」
一二三は自分に呆れて、ため息をつく。
だが、結局のところ軍装のままで歩いたほうがいざというときに融通も権限も利くので……という結論に至り、一二三はそのまま外套だけを素早く羽織る。
――さて、いちばんの問題は……。
「この鬼の住処の《長門》から、どうやってこっそり出るか……だよね」
帝国海軍聯合艦隊司令部の旗艦である戦艦《長門》は、いまも定めた泊地である瀬戸内海の柱島にある。
そこには周囲を固めるかたちで、一二三の直卒となる艦と、そこから事実上の枝分かれをして艦隊となった第一艦隊の艦艇があった。




