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私が悪役? なら全力で炎上を鎮火いたします  作者: 九葉(くずは)


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第9話 断罪のプレスリリース

王都の空気は、三ヶ月前とは違う匂いがした。


秋の終わりに追い出された少女が、冬の終わりに戻ってきた。──ただし、もう少女ではない。


わたくしは馬車の窓越しに王城の尖塔を見上げ、ゆっくりと息を吐いた。


「セシリア様、領主会議の開廷は午後二刻です。お時間には十分余裕がございます」


ナタリアが隣で書類鞄を膝に抱え、静かに告げる。その指先は微かに震えていたが、声は凪いでいた。この三ヶ月、わたくし以上に走り回ってくれた人。


「ありがとう、ナタリア。……あなたがいなければ、今日この場にはいられなかった」


「勿体ないお言葉です。わたくしは、セシリア様が正しいと知っていただけですから」


短い沈黙。わたくしは鞄の中の書類の厚みを指先で確かめた。


リゼット・フォーリアの証言矛盾を示す学園の出欠記録。クラウス・レヴィントンの不正経理を裏付ける帳簿の写し。婚約契約書に記された鉱山利権条項の原本。ヴァイスフェルト辺境伯領の実績報告書。マルグリットが集めた社交界の証言録。ナタリアが署名を取った第三者の目撃証言。


──前世で何百回と繰り返した記者会見の鉄則。事実は、正しい順序で並べれば、それだけで刃になる。


馬車が王城正門に差し掛かると、衛兵が一瞬怪訝な顔をした。エヴァンズ伯爵家の紋章ではなく、ヴァイスフェルト辺境伯家の──銀狼に剣の紋章が入った馬車だったからだ。


(……あの人、契約解消の手続きはまだ終わっていないのかしら)


馬車の手配は出発前にヴィクトルが整えてくれていた。「手続き中のため、現時点では辺境伯家の所属です」と事務的に説明されたが──まあ、今はそれでいい。辺境伯家の名で入城したほうが、議場での発言権も強い。


「ヴァイスフェルト辺境伯夫人、セシリア・ヴァイスフェルトです。領主会議への出席届は提出済みです」


名乗るとき、声は震えなかった。


衛兵が名簿を確認し、一礼して門を開けた。


夫人、か。


契約上の名称に過ぎない。もうすぐ手続きが終われば使えなくなる名前。なのに口にした瞬間、胸の奥がほんの少しだけ──。


考えるのは後だ。今は、仕事をする。



領主会議の大広間は、わたくしの記憶よりも狭く感じた。


三ヶ月前はこの場所が世界の全てだった。壇上から名前を呼ばれ、数百の視線に射抜かれ、弁明の機会すら与えられなかった場所。


今、同じ広間に足を踏み入れて──狭い、と思った。


(落ち着きなさい、鶴見沙織。……いいえ、セシリア・ヴァイスフェルト。あなたは今日、両方の名前で戦う)


議場にはすでに主要な貴族が着席していた。中央に裁定官席。その左右に列席する領主たちの視線が、わたくしに集まる。


──囁きが、さざ波のように広がった。


「あれが……追放されたエヴァンズ伯爵令嬢?」


「今はヴァイスフェルト辺境伯夫人だろう」


「冷血公の妻が、何をしに来たのだ」


わたくしは顔色を変えず、出席者席に着いた。ナタリアが書類鞄を足元に置き、一歩下がって控える。


右手の上席に、クラウス・レヴィントン侯爵。三ヶ月前より痩せたように見える。だが、あの計算高い目は変わらない。わたくしと目が合った瞬間、薄く笑った。余裕のある笑み──のつもりだろうが、口元が微かに強張っている。


(あなたは怯えている。わたくしが何を持ってきたか、わからないから)


その隣に──リゼット・フォーリア。淡い桃色の髪を丁寧に巻き、控えめなドレスを纏い、伏し目がちに座っている。三ヶ月前と同じ被害者の完璧な造形。けれど今日、わたくしの目にはそれが衣装にしか見えなかった。


そして第二王子フィリップ殿下。やや離れた上座に、不快そうな無表情で着いている。この会議に呼ばれたこと自体を疎ましく思っている顔だった。


裁定官が開廷を宣言した。


「本日の議題は三件。第一に、ヴァイスフェルト辺境伯領の査定報告。第二に、エヴァンズ伯爵家とレヴィントン侯爵家の間に係る鉱山利権条項の精査。第三に──」


一拍。


「──フォーリア男爵令嬢リゼットの証言に関する異議申立て」


広間がざわめいた。リゼットの肩がぴくりと跳ねた。クラウスの目が一瞬だけ細くなった。


わたくしは静かに膝の上で指を組んだ。


第一議題は短く終わった。辺境伯領の査定報告──わたくしがこの三ヶ月で積み上げた実績の公式記録。


「辺境伯領の特産品輸出量、前年比で一四〇パーセント。近隣三領との通商協定締結。魔獣被害の鎮圧記録および領民からの陳情件数の減少……」


数字は嘘をつかない。前世でも、この世界でも。


列席する領主たちの視線が、わたくしを値踏みするものから、何かを見直すものへと変わっていく。


「……これが、三ヶ月の成果だと?」


誰かが呟いた。わたくしは答えなかった。数字が語ることに、注釈は要らない。



第二議題──鉱山利権条項の精査。


ここからが、本番だった。


「セシリア・ヴァイスフェルト辺境伯夫人。申立人として、陳述を許可します」


裁定官に促され、わたくしは立ち上がった。書類鞄から最初の資料を取り出す。


「裁定官殿、ならびに列席の諸卿。わたくしは本日、三点の事実を提示いたします」


声は落ち着いていた。前世で何度も立ったあの壇上を、体が覚えている。


「第一に、エヴァンズ伯爵家とヴァイスフェルト辺境伯家の婚約契約書に含まれる鉱山優先採掘権条項について。この条項には、婚約破棄がセシリア・エヴァンズの過失に起因する場合、利権がレヴィントン侯爵家に移転するという付帯事項がございます」


書記に契約書の原本の写しを渡す。議場の領主たちが身を乗り出した。


(あの日、お父様の書斎でこの条項を見つけた時。「使えますね」と呟いたのは──こうして、この場で提示するためだった)


「第二に、レヴィントン侯爵家の経理記録の中に、この鉱山利権の移転を前提とした取引計画が、婚約破棄の三ヶ月前──すなわち、わたくしへの断罪が行われるよりも前に記載されている事実がございます」


二枚目の資料。ヴィクトルが入手した帳簿の写し。


広間がざわめいた。


クラウスの顔から、余裕が消えた。


「……何を根拠に、我が家の帳簿を」


「レヴィントン侯爵。発言は裁定官の許可を得てからお願いいたします」


振り向きもせず、淡々と続けた。


「第三に──この利権移転の前提となる『セシリア・エヴァンズの過失』を証明する唯一の根拠は、フォーリア男爵令嬢リゼットの証言です。しかしながら」


三枚目の資料。マルグリットが調査し、ナタリアが裏を取り、わたくしが構成した──最後のリリース。


「リゼット嬢の証言に記された二つの日付──九月十四日と十月二日。この両日、セシリア・エヴァンズは学園に在籍しておりませんでした。九月十四日は父レオン・エヴァンズの体調不良による帰省。十月二日は領地視察のための公欠。いずれも学園の出欠記録に記載がございます」


静寂。


数百人の呼吸が一斉に止まったような静寂。


わたくしはゆっくりとリゼットの方を向いた。桃色の巻き髪の下で、血の気が引いた顔がこちらを見ていた。


「すなわち」


声を落とした。けれど広間の隅まで届くように。


「リゼット嬢が証言した『いじめ行為』は、セシリアがその場にいなかった日に起こったことになります。──物理的に、不可能です」


リゼットの唇が震えた。


「そ、それは……日付の記憶違いで……」


「発言の許可は出ておりません、フォーリア嬢」


裁定官の声が、冷たく落ちた。


わたくしは裁定官に向き直った。


「以上三点の事実から、わたくしは以下を申立てます。第一、セシリア・エヴァンズに対する断罪の根拠は虚偽の証言に基づくものであり、無効であること。第二、レヴィントン侯爵家による鉱山利権の移転請求は、虚偽を前提とした不正であり、却下されるべきこと。第三──」


一拍。


「──フォーリア男爵令嬢リゼット、およびレヴィントン侯爵クラウスに対する偽証と利権詐取の審理を、正式に開始していただくこと」


広間が爆発したようにざわめいた。



クラウスが立ち上がった。


「裁定官殿。帳簿の写しなどという出所不明の文書を証拠として認めるべきではない」


声は太く、堂々としていた。場慣れしている。侯爵家の当主として何度もこの場を切り抜けてきた男の声。


「出所について申し上げます」


わたくしは最後の一枚を取り出した。


「この帳簿の写しは、レヴィントン侯爵家の前経理担当官──現在はヴァイスフェルト辺境伯領に移住しております──が、正式な宣誓証言とともに提出したものです。書記官の署名入り認証文書を添付しております」


クラウスの目が──初めて、揺れた。


(あなたが切り捨てた人間が、どこへ行ったか。追わなかったのは失策でしたね、レヴィントン侯爵)


心の中でだけ、そう呟いた。


裁定官が反証の提出を求めた。そこへハウザー子爵が立ち上がった。以前会食をともにした、あの温厚な子爵。


「僭越ながら、辺境伯夫人の提出した査定報告の内容は、わたくしも領地にて確認しております。辺境伯領の実績は事実です。──この審理、先延ばしにする理由があるとは思えませんが」


もう一人、別の領主が頷いた。マルグリットが社交の場で地道に繋いできた人脈。一人、また一人と同意の声が上がった。


(これが、広報の力です)


三ヶ月。一つ一つ事実を積み上げ、一人一人に伝え、信頼を築いてきた。記者会見の場で味方になってくれるのは、いつだって事前に正確な情報を受け取った人たちだ。


クラウスが周囲を見回し、味方を探すような目をした。


──誰も目を合わせなかった。


リゼットが椅子から崩れ落ちるように膝をついた。


「わたくしは……わたくしは、言われた通りにしただけです……!」


泣き声が広間に響いた。三ヶ月前と同じ涙。けれど今、その涙に同情する視線はほとんどなかった。


「言われた通り、とは?」


裁定官が静かに問うた。


リゼットは震えながらクラウスの方を見た。その視線の意味を、広間の全員が理解した。


クラウスの唇が薄く開き、何かを言いかけて──閉じた。


終わりの始まりだった。



閉廷後、冬の終わりの陽光が廊下の窓から差し込んでいた。


足が、少しだけ震えていた。


(……終わった。正式な審理は七日後だけれど、実質的には──)


鶴見沙織として培った全ての経験と、セシリア・エヴァンズとして味わった全ての屈辱が、今日この場で一つになった。


感情は不思議なほど凪いでいた。爽快感でも復讐の達成感でもなく。


ただ──。


「……セシリア」


背後から、低い声。


振り向くと、廊下の柱の影にギルバート様が立っていた。黒い軍服。銀の髪。無表情の──いいえ、よく見れば微かに目元が緩んでいる。


「あなた、いらしていたのですか」


「議場の傍聴席にいた」


「……お聞きになっていたのですね」


「ああ」


(領地に関わる審理だから、当然か。辺境伯として──)


ギルバート様が一歩、近づいた。長い沈黙。


そして──不器用に、右手を差し出した。


「……よく、やった」


たった三文字。


前世を含めた全ての人生で、あらゆる賛辞を受けてきた。「素晴らしい」「完璧だ」「さすがだ」──そんな言葉を何百回も。


なのに。


この三文字が、どんな賛辞よりも深く響いた理由を──わたくしはまだ、名前をつけられずにいた。


差し出された手を取った。大きくて、硬くて、温かい手。


「……ギルバート様」


「……なんだ」


「七日後の審理まで、追加の書面を準備しなければなりません。お手伝いいただけますか」


「……それは命令か」


「お願い、です」


ギルバート様の目が一瞬だけ見開かれた。そしてすぐにいつもの無表情に戻って。


「……わかった」


手を──まだ、離さなかった。


ナタリアが廊下の角から顔を覗かせ、慌てて引っ込んだのが見えた。見なかったことにした。


七日後、全てが決まる。


けれど今はただ──この手の温度だけを、覚えていたかった。


冬の陽が長い廊下を照らし、二つの影を重ねるように伸ばしていた。

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― 新着の感想 ―
二人とも不器用すぎでしょうっ! 尊い以外の何者でもありませんが早く自分の気持ちに気づいてくれぇ!!! でもこの空気感ほんとに好きですっ
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