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私が悪役? なら全力で炎上を鎮火いたします  作者: 九葉(くずは)


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3/10

第3話 特産品プレスリリース、配信開始

 広報の基本は、まず「知ってもらう」こと。


 どれだけ良い商品があっても、知られなければ存在しないのと同じ。前世で何百回と繰り返したこの原則は、どうやら異世界でも変わらないらしい。


 辺境伯領に来て一週間。わたくしは領地を歩き回った。


 市場を覗き、工房を訪ね、牧場を見て、蜂蜜園に足を運んだ。冬支度の合間を縫って、領民たちにも話を聞いた。最初は「辺境伯のところに来た変わった奥方」と警戒されたけれど、特産品について熱心に質問するうちに、少しずつ口が滑らかになっていく。


 そして分かったことがある。


 この領地は、宝の山だ。


 北方蜂蜜。寒冷地でしか採れない薬草。それから、高品質の毛織物。どれも王都に持っていけば高値で取引できるポテンシャルがある。なのに、流通経路が未整備で、近隣の商会にすら存在を知られていない。


(……これを放置してたの? 嘘でしょう?)


 いや、放置していたのではない。ギルバート様は魔物討伐と領地の安全確保に全力を注いでいて、対外的な売り込みに割く余力がなかっただけだ。


 それならわたくしがやる。


 ◇


 提案書を仕上げたのは、領地到着から八日目の朝だった。


 ギルバート様の執務室に持ち込むと、彼は無言で書類を受け取った。


 正直に言えば、少し不安だった。領主と言っても武人だ。書類仕事より剣のほうが得意な方だと思っていた。形だけ目を通して「好きにしろ」で終わるかもしれない──と。


 ところが。


 ギルバート様は、提案書を一枚目から、一字一句読んでいた。


 ページを繰る指が止まる。眉間に皺が寄る──いつものことだが、今は怒りではなく集中の皺だ。一週間一緒に過ごして、その違いがわかるようになってきた。


「この蜂蜜の年間収量。出典は」


「蜂蜜園の園長に直接聞き取りいたしました。過去三年分の帳簿も確認済みです」


「……ふむ」


 また読み進める。次のページ。


「毛織物の品質等級。王都の市場基準と比較しているが、輸送時の品質劣化は計算に入っているか」


(……この人)


 驚いた。


 的確だ。広報の人間ではなく、経営者の目線で、実現可能性の穴を突いてくる。しかも質問が短い。無駄がない。聞くべきことだけを、最短の言葉で聞いてくる。


「輸送については、現状の馬車便で五日間の条件で試算しております。品質保持のための梱包方法も併せてご提案しています。次のページに」


 ギルバート様がページを繰った。わたくしも身を乗り出して、該当箇所を指さす。


 指先が触れた。


 わたくしの人差し指と、ギルバート様の親指。紙の上で、ほんの一瞬。


 ギルバート様の手が止まった。


 ──あ。


「すみません」


 反射的に手を引く。ギルバート様は何も言わなかった。視線を書類に戻し、そのまま数秒、同じ行を読んでいるように見えた。


(……ページが進んでいないけど、大丈夫かしら。文字が小さかったかな)


「問題ない」


 聞いてもいないのに、ギルバート様がそう言った。低い声が少しだけ硬い。


「この計画で進めろ。必要な予算は出す」


 堅実な人だ。


 派手な褒め言葉はない。でも、提案書を一字一句読んで、弱点を指摘し、その上で予算を出す。それは、前世の上司たちの誰よりも誠実な対応だった。


「ありがとうございます、ギルバート様」


 思わず笑顔になってしまった。


 ギルバート様が一瞬だけこちらを見て、すぐに書類に目を落とした。


 ◇


 PR文書を書き上げるのに、さらに二日かかった。


 前世でいうプレスリリース。ただし、この世界には印刷機はあっても報道機関はない。代わりに、商会への売り込み書と、近隣領地の有力者への紹介状を兼ねた形にした。


 北方蜂蜜については「寒冷地の花だけを蜜源とした、透明度の高い希少蜂蜜」と打ち出す。薬草については「王都の薬師が求める高地薬草を、安定供給できる唯一の産地」と位置づける。毛織物は「辺境の厳しい冬を耐える品質が、そのまま最高級の証」。


 嘘は書いていない。事実を、最も魅力的な角度から切り取っただけだ。


(……広報の腕は錆びてないわね)


 伝書鳥で、近隣三領地の商会と、王都の織物問屋に送付した。


 反応は、思ったより早かった。


 二日後には近隣の商会から問い合わせの手紙が届き始めた。「北方蜂蜜のサンプルを送ってほしい」「毛織物の品質を確認したい」。小さな反応だけれど、ゼロだった認知度がゼロでなくなった。最初の一歩としては十分だ。


 同じ日の午後、ナタリアからの手紙が伝書鳥で届いた。


 封を開く。ナタリアの几帳面な文字が並んでいる。


 ──王都の状況は、少し変わっていた。



 『セシリア様


 お変わりなくお過ごしでしょうか。

 王都の様子をご報告いたします。


 断罪の件、お指図通り証人の署名を確保いたしました。学園の教師お一人と、生徒お二人から文書をいただいております。保管は万全です。


 また、社交界について一つ。

 セシリア様がご不在になってから、エヴァンズ家の茶会やサロンの手配がうまく回っていないようです。旦那様(お父様)が苦心されていると側仕えの者から聞きました。どうやら、以前はセシリア様が裏方で取り仕切っていた部分が想像以上に大きかったようで……。


 それと、気になることが一つ。

 レヴィントン侯爵家が、エヴァンズ家の鉱山に関する取引条件の「見直し」を打診してきているようです。詳細はまだ分かりませんが、お父様は困惑されているご様子です。


 くれぐれもお体にお気をつけて。


                 ナタリア』



 手紙を読み終えて、わたくしの指先が止まった。


 鉱山の取引条件の見直し。


 ──やっぱり来た。


 あの婚約契約書の第七条。鉱山の優先取引権。婚約が「セシリア側の非により」破棄された場合、優先取引権はレヴィントン家に残る──クラウス様は、あの断罪劇で「わたくしの非による破棄」を成立させたつもりなのだ。


 だから断罪が必要だった。心変わりではなく、利権のために。


(……なるほどね、クラウス様。あなた、顔だけじゃなくて頭も良かったわけだ。腹が立つけど)


 ただ、想定内ではある。


 婚約契約書の原本はエヴァンズ家にある。正式な法的手続きはまだ済んでいない。つまり、まだ間に合う。


 すぐに伝書鳥用の紙を取り出し、父への手紙を書いた。



 『お父様


 鉱山に関するレヴィントン家からの打診には、応じないでください。

 「婚約破棄の正式手続きが完了するまで、いかなる条件変更にも応じられない」と回答してください。

 法的には、それで十分に時間を稼げます。

 婚約契約書の原本は、厳重に保管を。


 詳細は追って。


           セシリア』



 封をして、伝書鳥に託す。


 ……大丈夫。まだ、手の打ちようはある。


 窓の外を見た。北の空は今日も鉛色だ。でも、あの大広間に立っていた十日前よりも、視界はずっと広い。


 ◇


 その夜は、遅くまで資料を整理していた。


 商会からの返信への対応策。次に送るべきPR文書の構想。鉱山利権の問題を踏まえた長期的な戦略。やるべきことが山のようにあって、気づいたら暖炉の火が小さくなっていた。


 部屋が冷えてきた。指先が悴んで、ペンを持つ手が鈍い。


 ──こん、こん。


 控えめなノックの音がした。


「はい」


 返事をする前に、扉が静かに開いた。


 ギルバート様だった。


 こんな時間に何を──と思う間もなく、彼は無言で暖炉の前に歩み寄った。薪を二本、火にくべる。乾いた木が爆ぜて、炎が勢いを取り戻す。


 それから。


 振り返りもせず、椅子の背に何かをかけた。


 毛布だった。厚手の、上質な毛織物。──あ、これ、この領地の特産品だ。肌触りが全然違う。


「……ギルバート様?」


 声をかけた時には、もう扉が閉まっていた。


 足音が遠ざかる。


 ……何も、言わなかった。薪を足して、毛布を置いて、それだけ。「遅くまで大変だな」とも「体を冷やすな」とも言わない。ただ黙って、必要なものを置いていった。


(契約相手への最低限の配慮、かしら)


 毛布を肩にかけた。温かい。びっくりするほど温かい。


 前世では、深夜残業のとき、誰もオフィスの暖房を足してはくれなかった。缶コーヒーは自分で買いに行くもので、ブランケットは自分のロッカーから出すものだった。誰かが何も言わずに温めてくれるなんて──。


 ……いや、これは契約上の配慮だ。深読みしすぎ。


(仕事はできるのに、私生活はからっきしだったもんなぁ、鶴見沙織)


 ふ、と小さく笑って、ペンを取り直した。


 ◇


 翌朝、廊下でヴィクトル──辺境伯の副官に出くわした。


 三十歳前後の精悍な男性。元王都騎士団の情報将校だったと聞いている。切れ者らしい目元だが、物腰は穏やかだ。


「おはようございます、奥方様。昨晩は遅くまでお仕事を?」


「ええ、少し。商会への対応が立て込んでいて」


「……旦那様が、夜中に館の中を歩き回っておられましたよ」


 ん?


「歩き回って?」


「ええ。薪の在庫を確認して、毛布を探して。……以前は、あのようなことをされる方ではなかったのですが」


 ヴィクトルの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。


「旦那様は変わられました。奥方様がいらしてから」


「……そうでしょうか。契約相手への最低限の配慮だと思いますが」


「左様ですか」


 ヴィクトルは、それ以上何も言わなかった。ただ、その「左様ですか」の響きが、どこか含みのあるもので──。


(……なんだろう、あの言い方)


 まあ、いい。考えている暇はない。


 執務室に戻り、机に向かう。商会からの新しい手紙が二通届いていた。蜂蜜のサンプル依頼と、毛織物の見積もり依頼。いいペースだ。


 ……だが、のんびりしてはいられない。


 クラウス様の動きは、予想より早い。鉱山利権に手を伸ばすなら、次は正式な法的手続きを仕掛けてくるだろう。こちらも証拠を固めて、然るべき場で対抗しなければ。


 ナタリアの証言確保は済んでいる。婚約契約書の原本は父が保管している。あとは──ギルバート様の領地の実績を、もっと広く知らしめること。辺境伯の社会的評価が上がれば、それはそのまま、わたくしたちの交渉力になる。


 窓の外で、伝書鳥が一羽、北の空へ飛び立っていくのが見えた。


 PR文書の第二弾を書き始める。今度は、辺境伯の魔物討伐について。


(予想より早い。──対策を、前倒しにしましょう)


 ペン先がインクを吸い上げる音だけが、静かな執務室に響いていた。

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