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私が悪役? なら全力で炎上を鎮火いたします  作者: 九葉(くずは)


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第2話 冷血公のブランディング改革、始めます

 北の風は、王都のそれとはまるで別の生き物だった。


 馬車の窓から入り込む冷気が頬を刺す。肌を撫でるのではなく、刺す。爪を立てるように、容赦なく。


 五日間の旅路だった。王都を出て、街道を北へ。景色が変わっていく。華やかな石造りの街並みが消え、なだらかな丘陵が続き、やがて針葉樹の森が両脇を覆い始めた。空の色が違う。抜けるような青ではなく、鉛を溶かしたような、低い灰色。


 ──ここが、わたくしの新しい居場所。


 その言葉が胸に落ちた瞬間、ずしりと重いものが来た。


 追放された。


 あの大広間で、嘘の証言で吊るし上げられて、社交界を追われて、婚約者を奪われて──こうして北の果てに流されている。それが現実だ。前世の記憶があろうと、広報のスキルがあろうと、この事実は変わらない。


 ……いや。


(感傷に浸るのは、缶コーヒー一本分まで。それが鶴見沙織のルールだったでしょ)


 背筋を伸ばす。


 馬車の窓から見える辺境伯領は、想像していたほど荒れてはいなかった。街道は整備されているし、すれ違う領民の表情も暗くない。畑は冬支度が済んでいて、石壁の家々からは煙突の煙が細く上がっている。


 堅実。


 ぱっと見の華やかさは皆無だけれど、きちんと回っている土地だ。


(……これは、思ったより面白いかもしれない)


 ◇


 辺境伯の館は、王都の貴族邸宅とは趣が違った。装飾は最小限。だが壁は厚く、窓は小さく、北の寒さと魔物の脅威に備えた造りになっている。実用の美、とでも言うべきか。


 馬車が止まった。


 扉が開く──使用人ではなく、一人の男が、外から直接扉を引いた。


「……降りろ」


 低い声。


 差し出された手は大きかった。剣だこがある、武人の手。


 その手の持ち主を見上げて──。


 なるほど、と思った。


 怖い顔だ。


 鋭い目つき。深く刻まれた眉間の皺。頬骨が高く、口元は引き結ばれていて、表情というものが一切ない。彫刻のようだが、温かみのある彫刻ではなく、どちらかというと教会の屋根にいる石像──魔除けのほう。


 ギルバート・ヴァイスフェルト。辺境伯。異名、冷血公。


 馬車の扉を自分で開けたことに、背後の使用人たちがざわついているのが聞こえた。普段はしないことらしい。


 だが、わたくしの意識はすでに別のところにあった。


(あー……これは確かに損してる)


 前世の広報部主任が、腕を組んで唸っている。


 この人、骨格は整っている。目つきが鋭いだけで、造作そのものは悪くない。肩幅は広いし、背も高い。声も、低いけれど聞き取りやすい。ただ──表情筋が絶望的に仕事をしていない。笑ったことがないのか、笑い方を忘れたのか。


 つまりこれは、商品価値は高いのにパッケージデザインで大損しているパターンだ。


 差し出された手を取って、馬車を降りた。


「ギルバート様。お初にお目にかかります。セシリア・エヴァンズでございます」


「……ああ」


 短い。とにかく短い。


 ギルバートの視線がわたくしの顔をちらりと見て、すぐに逸れた。……怯えたかどうか確認しているのだろうか。来る女来る女、全員この顔を見て逃げた、とでもいうような、諦めに近い空気がある。


 なので、単刀直入に言った。


「あの、一つよろしいでしょうか。ギルバート様のお顔の印象について──改善のご提案がございます」


 沈黙。


 使用人たちが息を呑む気配がした。


 ギルバートの鋭い目が、初めてまっすぐにわたくしを見た。


「……なんだと」


「お顔立ちの造形自体は端正でいらっしゃいます。問題は表情筋の運用と、眉間の力の入り方かと。意識的に眉の力を抜くだけでも、かなり印象が変わるはず──」


「…………」


 絶句している。


 完全に想定外の反応をされた、という顔だ。怯えられるか、泣かれるか、せいぜい愛想笑いで取り繕われるか──そのどれでもない言葉が飛んできて、処理が追いついていないらしい。


(あ、この人。怒ってるんじゃない。びっくりしてるだけだ)


 鋭い目の奥に浮かんでいるのは、怒りではなく困惑。それを表情に出す回路がないから、外から見ると威圧的に見えるだけ。


 ──間違いない。この人のイメージ問題は、根本から改善できる。


 ◇


 応接室に通された。


 暖炉の火が赤く揺れている。壁には地図と、剣が一振り。華美な調度品はひとつもない。


 向かい合って座ると、ギルバートが一枚の書類をテーブルに置いた。


「契約書だ。目を通してくれ」


 契約結婚の条件書。項目は簡潔だった。


 互いの私生活に干渉しないこと。形式上の夫婦として社交上の義務は最低限果たすこと。夫人としての生活費は辺境伯家が負担すること。いずれか一方が望めば、合意のうえで契約を解消できること。


 ──実に合理的で、余計な感情が一切入っていない。好感が持てた。


「結構でございます。一点だけ、追記をお願いしたく」


「……言え」


「わたくしは広報を──ああ、えっと、対外的な評判の管理を得意としております。ギルバート様のイメージアップは、わたくしの職業的使命としてやらせていただきたい。ですので、領地や旦那様の対外的な情報発信について、わたくしに裁量をいただけませんか」


 ギルバートの眉がわずかに動いた。


「……俺のイメージ、とは」


「率直に申し上げます。『冷血公』という異名は、実態と著しく乖離しています。これを放置するのは、領地経営においても大きな損失です」


 正直に言いすぎだろうか。でも、広報に曖昧さは禁物だ。


 ギルバートはしばらく黙っていた。暖炉の薪が爆ぜる音だけが響く。


「……好きにしろ」


 出た。さっきからこればっかりだ。


「では、もう一点。対外的に仲の良い夫婦に見えた方が、旦那様の評判にも良い影響がございます。ですので──お名前で呼ばせていただいてもよろしいでしょうか。ギルバート様、と」


「…………」


 また沈黙。


 ただ今度は、さっきまでとは少し質が違った。ギルバートの視線が一瞬泳いで──それから、そっぽを向いた。


「……好きにしろ」


 三回目。語彙がそれしかないのだろうか。


 ──あれ。


 暖炉の光のせいか、ギルバートの耳が赤い。この部屋、結構広いのに。暖炉からは離れた位置に座っているのに。


(……気のせいかしら。北方の人は血色がいいのかもしれない)


 深く考えず、契約書に署名した。


 ◇


 案内された部屋は、館の東翼にあった。


 質素だが清潔で、必要なものは一通り揃っている。寝台、書き物机、衣装箪笥、洗面台。窓からは北の針葉樹の森が見える。


 そして──机の上に、小さな花瓶が置かれていた。


 白と薄紫の野花。素朴だけれど、可愛らしい。


「あら」


 思わず手を伸ばす。冷たい花びらに指先が触れた。北方でも、こういう花が咲くのだ。


(使用人が気を利かせてくれたのかしら。……ありがたいな)


 少しだけ、胸の奥が温かくなった。


 ◇


 館の使用人控室。セシリアの部屋からは、廊下を二つ隔てた先。


「──ねえ、聞いた?」


 年嵩の侍女が、同僚に声をひそめた。


「あのお花。旦那様が自分で選ばれたのよ」


「嘘でしょう……」


「嘘じゃないわ。朝早くに庭に出て、ご自分で摘んでいらっしゃったの。どの花がいいか、庭師に聞いてまで。あの旦那様が」


「……あの旦那様が」


 二人は顔を見合わせた。


「奥方様は気づいてらっしゃるのかしら」


「さあ……。でも、旦那様のことだから、絶対に言わないでしょうね」


 ◇


 窓辺に立って、領地を見渡した。


 夕暮れの光が、針葉樹の森を橙色に染めている。遠くに領民の集落が見える。煙突の煙。放牧地。そのさらに向こうに、魔物の森の暗い稜線。


 堅実な領地だ。道路は整っている。建物の修繕も行き届いている。領民の生活水準は、見た限り周辺領地と比べても低くない。


 なのに──。


(この領地の認知度、ほぼゼロじゃないですか)


 前世の鶴見沙織が、がばりと起き上がった。


 広報が、ない。対外的な情報発信が、まったくない。魔物討伐の実績がどれほどあるのか、領民の暮らしがどれほど安定しているのか、特産品に何があるのか──王都の社交界には何ひとつ伝わっていない。


 ギルバート様が「冷血公」と呼ばれるのも、結局はそういうことだ。情報がないから、見た目の印象だけが一人歩きする。


 もったいない。


 これほど中身のある領地を、これほど中身のある人を、ただ「怖い顔」の一言で片づけさせていいわけがない。


(……やりがいのある案件ですね、これは)


 花瓶の白い花が、夕日を受けてほんのり橙色に光っている。


 わたくしは机に向かい、持参した紙とペンを取り出した。まだインクの乾かない契約書の横に、新しい紙を広げる。


 ページの一番上に、こう書いた。


 ──「ヴァイスフェルト辺境伯領 広報戦略(案)」


 ……さて。


 悪役令嬢の第二幕は、ここから始めましょう。

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