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第23話 鼠妖、斬殺

「除妖会のクズども……! 俺の息子の命を返せぇッ!!」


 黄皮の鼠妖は牙を剥き、鋭利な爪を振りかざしながら、宗鏡玄心へ一直線に突進した。


 ズダンッ!!


 先ほどまで刻まれていた刀傷は、すでに跡形もない。

 肉が再生するのと同時に、猩紅の霧が再びその体から噴き出していた。


 その眼には確信があった。


 ――目の前の除妖会同心は、もう“死体”だ。


 問題は、どう殺すかだけ。


 爪で八つ裂きにするのは簡単だ。だがそれでは、一瞬で終わってしまう。

 苦痛を味わわせる間もなく死なせるなど、生ぬるい。


 ならば――紅霧。


 万物を腐蝕するこの紅霧こそ、最も残酷な死。


 百人を喰らった果てに目覚めた天賦の力。

 この力によって周辺の鼠妖を統べ、逆らう者はすべて紅霧で溶かしてきた。


 十数年の間に、この霧から生還した者はただ一人。


 一神武傑。


 そして目の前の玄心が、二人目。


 ――だが。


 それも、ここまでだ。


 玄心が刀を抜いた瞬間、鼠妖はすでに彼の境界を見抜いていた。

 多少の驚きはあった。だが所詮は重傷の同心。

 一神武傑ですらない男が、自分から逃れられるはずがない。


 迫り来る玄心を見ながら、鼠妖はすでに想像していた。


 やがて膝をつき、命乞いをする姿を。


 近い――


 さらに近い――


 その時だった。


 空中で跳躍したままの鼠妖の意識に、突如として理解不能の“悪寒”が走る。


 ドクンッ。


 見えない何かが、魂を殴りつけた。


 ――これ以上、進めば死ぬ。


 そんな声が、直接脳裏に叩きつけられる。


(死ぬ……? 俺が? あり得るかッ!!)


 絶対的優位に立つ自分が、敗北?


 そんなはずはない。


 そう思いながら顔を上げた瞬間――


 鼠妖の表情に、初めて迷いが走った。


 宗鏡玄心は、静かに立っていた。


 全身を包む猩紅の霧は、彼の体表にまとわりつく“極淡の白霧”に触れた瞬間、弾かれている。


 一切、侵食できない。


 そして。


 あれほどの重傷が――


 完全に、消えていた。


「な……お前……」


 淡青の光が、ヒュン、と閃く。


 遠く草叢に落ちていた打刀が、見えざる力に引かれるように宙を滑り、玄心の手へと収まった。


 彼は静かに刀を水平に構える。


 握りが、わずかに緩む。


 カラン――と落ちるはずの刀は、空中で静止した。


 次の瞬間。


 それは微光へと変わり、スゥ……と消滅した。


「――ッ!?」


 鼠妖は咄嗟に急停止する。


 ギギギギギッ!!


 両脚が地面を削り、土と石が四散する。

 硬い地面に二本の溝が刻まれた。


 脳内の警告は、もはや絶叫だった。


 逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ――!!


 だが。


 一歩を踏み出す前に。


 空間が、変わった。


 どこからともなく、無数の翠柳の葉が出現する。


 一枚、二枚――


 否。


 数千、数万。


 山道も、田野も、紅霧も、玄心も。


 夜空の三日月すらも。


 すべてが掻き消える。


 残ったのは、青灰色の冷光を放つ柳葉だけ。


 しかも増殖は止まらない。


 視界が埋まる。


 埋まる。


 埋まる。


 やがて世界は、柳葉のみとなった。


 ――そして。


 そよ風が吹く。


 サァァァァ……


 次の瞬間。


 無数の柳葉が、一斉に射出された。


 ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンッ――!!


 空気を裂く音が連なり、絶え間なく響く。


 柳葉が鼠妖の体を通過する。


 一枚。


 また一枚。


 通過するたびに、肉が削げ落ちる。


 血が、飛ぶ。


 肉片が、舞う。


 それでも止まらない。


 ヒュンッ――ヒュンッ――ヒュンッ――!!


 万の刃が、ただ一匹の妖を刻み続けた。


「お、お前……まさか“ 一神武傑 ”なのか!?」


 翠緑の空間の中で、黄皮の鼠妖が叫ぶ。


 だが次の瞬間、自らその可能性を否定した。


 違う。


 一神武傑は見たことがある。

 確かに“神技”は強大だ。だが――


 空間そのものを塗り替えるなど、聞いたこともない。

 これほどまでの圧倒的破壊力など、あり得ない。


「ふざけるなぁぁぁッ!!」


 鼠妖は絶叫し、再び紅霧を爆発的に放出する。


 ボワァァァッ!!


 腐蝕の霧が空間を侵食せんと広がる。


 だが――


 その瞬間。


 空間内に漂っていた無数の柳葉が、まるで号令を受けた兵のように一斉に動いた。


 ザザザザザザッ――!!


 空中へと集束し、渦を巻き、圧縮されていく。


 そして。


 最終的に形成されたのは――


 三階建ての楼閣にも匹敵する、蒼灰色の巨大な刃。


 それを見上げた瞬間。


 鼠妖は悟った。


 自分は――


 蟻だ。


 見えない何かに、完全に“固定”されている。


 呼吸が重い。


 肺が潰れる。


 四肢が、ガタガタと震え出す。


 それは理屈ではない。


 捕食者に睨まれた獣が理解する、原始の恐怖。


 死。


「ゆ、許せ……! 見逃せぇぇッ!!」


 覇者の威厳は消え失せ、ただの妖へと堕ちた。


 その時。


 緑の世界に、玄心の冷え切った声が響く。


「誰に聞いた。今日、俺がここへ来ると」


「し、知らん……! 顔を隠していた、見えなかった!」


 巨刃は、ゆっくりと振り下ろされ始める。


 それだけで、空間が軋む。


 ミシ……ミシ……


「待て! 言う! 全部言う!」


「除妖会の人間だ! 誰かまでは本当に分からん!」


「知らぬ相手を信じたのか?」


「そ、それは……! 数日に一度、人間を運んできたからだ……! 餌を……! だから信用しただけだ!」


 沈黙。


 刃は止まらない。


「それだけか?」


「ほ、本当だ! それだけだ!」


 一拍。


 そして。


「そうか。なら、死ね」


「き、貴様ぁぁぁ――!!」


 その瞬間。


 巨刃が、加速した。


 ドンッ――!!


 紅霧を一瞬で断ち裂き、蒼光をまとった刃が鼠妖へ落下する。


 斬。


 次の瞬間、妖の肉体は青光の中で分解され、

 骨も、血も、霧も――


 寸々に溶解していった。


 光の中で、存在が削り取られていく。


 断末魔すら、残らなかった。


【鼠妖(畏級)×1 討伐成功】


【妖魔寿命を145年抽出】


【現在使用可能な妖魔寿命:157年】


【返済必要妖魔寿命:50年】


【残り返済期限:21日】


 主を失った紅霧は、ゆっくりと空へ溶けていく。


 蒼光の中から、宗鏡玄心が歩み出た。


 乱れた髪の下、顔には隠しきれぬ疲労。


 だが。


 背筋は真っ直ぐに伸びている。


 五指が打刀を握る。


 周囲の青光が収束するのと同時に――


 ビキ……


 刃に無数の亀裂が走る。


 ビキビキビキッ――!!


 次の瞬間、刀身は粉々に砕け散った。


 残ったのは、柄だけ。


 その背後。


 巨体だった鼠妖は、すでに骨格だけになっている。


 風が吹く。


 サァ……


 骨が、崩れ落ちた。


 ガラァァン――!!


 完全なる終焉。


 ◆


 竹谷村から島源城へ続く山道。


 数騎の馬が疾走する。


 ドドドドドドッ――!!


 武部鉄心は手綱を強く握り締め、無言のまま前を睨んでいた。


 宗鏡玄心が単独で竹谷村へ向かったと聞いた時。


 嫌な予感がした。


 即座に本日当番の五番隊隊長と数名の同心を招集し、馬を走らせている。


「玄心に情報を流した武士は見つかったか!?」


 隣を走る霜月八千姫へ怒鳴る。


「まだです!」


 五番隊隊長・霜月八千姫は険しい表情で首を振る。


「……宗鏡君は、生きていると思いますか?」


 風に声がかき消されそうになる。


 武部鉄心は、目を伏せた。


「……難しいだろう」


 竹谷村には“畏級”がいる。


 自分が遭遇しても、選択肢は撤退のみ。


(また……失うのか)


 除妖会の剣の才。


 あの若者を。


 歯噛みしながら、馬腹を強く打つ。


 パァンッ!!


「急げ!!」


 やがて。


 竹谷村の輪郭が遠くに見え始めた、その時。


 風に乗って。


 濃厚な血の匂いが、鼻腔へと流れ込んできた。


 ――異様な、静寂。

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