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第19話 無照盟

 日が傾くにつれ、下山する参拝客の数も次第に増えていった。

 それに伴い、山道の両脇に並んでいた屋台も、少しずつ静けさを取り戻していく。


 そんな中、山麓近くにある一つの露店だけは、相変わらず人だかりが絶えなかった。

 人混みの奥からは、ときおり小さな感嘆の声が漏れ聞こえてくる。


 人波を抜けて出てくる者たちは皆、両手で大事そうに楮紙を抱え、表情には隠しきれない喜びが浮かんでいた。


 見なくても分かる。

 先ほど噂になっていた、似顔絵描きの露店に違いない。


 玄心は少し意外に思った。

 確かに腕は悪くなかったが、ここまで人を集めるほどだろうか。


 もしかして、描き手の容姿が自分より相当いいのか。

 そんなことを考えながら、暖心の小さな手を引き、列の最後尾に並ぶ。


 ざっと数えて、前には十人ほど。

 今日はもう無理かもしれない、改めて出直すかと考え始めた矢先、驚くほどあっさり順番が回ってきた。


 早すぎないか、と首を傾げつつ露店の前に立った瞬間、玄心はその理由を悟った。


 小さな木机の上には、楮紙がきちんと積まれている。

 その横には木板が立てかけられ、そこに大きく文字が書かれていた。


「一枚五文」


 安い。

 いや、安いどころではない。


 この時代、紙は非常に高価だ。

 A4ほどの大きさの楮紙一枚だけでも、原価は十文前後になる。

 それに筆墨の費用と手間を考えれば、完全に赤字である。


 ほとんど無料同然で似顔絵を描いているようなものだ。


 この人、大丈夫なのか。

 そう思いながら顔を上げた玄心は、思わず目を見開いた。


 整った顔立ちの美少年が、そこにいた。


 素白の帯で腰を締め、肩には青い羽織。

 月のように澄んだ顔立ちに、遠山を思わせる眉。

 そよ風が吹き、こめかみに垂れた髪が揺れると、淡い桜の香りがふわりと漂ってきた。


 正直に言えば、自分より少しだけ整っている。


「こんにちは、お二人は……」


 穏やかな声で話しかけてきた少年の言葉を、暖心が遮った。


「この人はお兄ちゃんです。私は宗鏡暖心、九歳です。あと五年したら結婚できます」

「え?」


 玄心は目を見開き、信じられないものを見るように暖心を見た。


「暖心、何を言ってるんだ!」


 だが暖心は気にする様子もなく、少年を見上げて控えめに尋ねる。


「それで……未来のお嫁さんのお願いとして、少し安くしてもらえませんか?」

「……暖心、それはとても失礼だぞ」

「でも、お兄ちゃん……」


 潤んだ目で見つめられ、玄心は一瞬言葉に詰まるが、すぐに表情を引き締めた。


「店主さん、先ほどの無礼な発言についてお詫びします。子どもが調子に乗りまして、値引きを求めるなど言語道断です」


 そう言って、丁寧に頭を下げる。


「はは、大丈夫ですよ。私は――」

「それなら、いっそ一枚買ったら一枚おまけ、というのはどうですか?」

「え……え?」

「さすがに無理でしたか。それなら一枚三文では?」

「ちょっと待て! 三文だと?! 強盗か!」


 少年はもはや穏やかさを保てず、筆を放り出して玄心を指さし、声を荒げた。


 隣で見ていた暖心は、ぽかんと口を開ける。

 二人がにらみ合う姿は、まるで土俵に上がった力士同士のようだった。


 どう見ても、大人なのは自分のほうだと、彼女は思った。


 ……


 しばらくしてから、兄妹二人はそれぞれ楮紙を一枚ずつ大事そうに抱え、にやにやと笑いながら人混みを抜け出した。

 結局、支払ったのは十文だったが、あの物腰柔らかな少年は気前がよく、さらに小さな木札までおまけにつけてくれた。


 木札には浮き彫りで、玄心と暖心の姿が丁寧に彫られており、上部には赤い紐が通されている。

 その木札は今、暖心の首元に宝物のように掛けられていた。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん! 私、絵を習いたい! あの人のところに弟子入りしようよ!」


 帰り道、暖心は突然立ち止まり、玄心の袖を引っ張って引き返そうとする。


「字もまだちゃんと読めないのに、何が絵だ。それに、人の生業を簡単に教えるわけないだろ」


 玄心は呆れつつも、実のところ、もう一度あの少年に会ってみたい気持ちはあった。

 できることなら、きちんと知り合いになりたいとさえ思っていた。


 先ほど彼が気づいたことがある。

 似顔絵を頼みに来ていたのは、記念目的の参拝客だけではなかった。

 中には、深い憂いを浮かべた夫婦の姿もあったのだ。


 周囲の会話から察するに、彼らは最近、子どもを失った人々で、少年に特徴を伝え、捜索の手がかりとして似顔絵を描いてもらっていたらしい。

 しかも少年は、そうした依頼からは一文も受け取っていなかった。


 この心根を見れば、悪人とは到底思えない。


 そう考えながら、暖心を連れて数歩引き返した、そのときだった。

 先ほどの少年が、山道をこちらに向かって全力で駆けてくるのが見えた。

 しかもその後ろから、七、八人の番士が必死に追いかけている。


 玄心は思わず立ち止まる。

 どういう状況だ。

 まさか、あの少年が逃亡犯なのか。


 だが暖心は事情などお構いなしだった。

 憧れの相手が追われているのを見て、露骨に不満そうな顔をする。


 彼女は道の真ん中に立ち、駆けてくる少年に向かって大声を上げた。


「師匠! なんで追いかけられてるの!」


 玄心の顔が一気に引きつる。

 今すぐ抱き上げて逃げ出したい衝動に駆られたが、その前に少年が滑り込むようにして二人の前で止まった。


「はは、たぶん自分をちょっと格好悪く描かれたと思ったんじゃないかな」


 少年はそう言って口角を上げ、どこか余裕のある笑みを浮かべると、玄心を見た。


「それで? 何か用かな」

「いえ……まだ、お名前を伺っていなかったもので」


 玄心は暖心の口をそっと押さえつつ、先に答える。


「名前か……ちょっと待ってね」


 首をかしげて真剣に考え込む様子を見て、玄心は思わず額を弾きたくなった。

 言いたくないなら、そう言えばいいだろう。


「そうだ、思い出した。風見(かざみ)(てつ)だ。よろしくね」


(はいはい、信じるわけないだろ)


「この人、宗鏡玄心っていって、除妖回で働いてるの! すっごく強いんだよ!」


 暖心は玄心の手を振りほどき、誇らしげに言い切った。


(おいおい、俺の名前をそんな簡単に言うな……!)


「へえ、除妖回の方だったんだ」


 風見澈は少し驚いた様子で玄心を見たが、すぐに背後から迫る番頭たちに気づき、苦笑しながら二人に軽く会釈した。


「ごめん、どうやら今日はここまでみたいだ。また今度ね」


 そう言い残すと、返事を待たずに山道を駆け下り、あっという間に人混みに消えていった。


 ほどなくして、灰色の革鎧を身に着けた番頭たちが次々と通り過ぎていく。

 玄心は隊列の最後にいた一人を呼び止めた。


「少し聞いてもいいか。先ほどの少年を追っていた理由は?」

「何者だ! 公務の妨害は牢に入れるぞ!」


 番頭は怒鳴りかけたが、玄心が除妖回の番隊長の銘牌を示すと、すぐに態度を改めた。


「失礼しました。あの者は、浪人犯罪組織『無照盟(むしょうめい)』の一員です。通報があり、捕縛に向かっていました」

「無照盟……どんな罪を?」


 玄心は記憶を探ったが、その名を聞いたのは初めてだった。


「詳しくは我々も。ですが、無照盟は構成員が半国に及ぶとも言われ、剣の腕に長け、貴人を狙った強盗や殺害を繰り返している危険な集団だとか」

「心狠手辣、ね……」


 玄心は眉をひそめた。

 風見澈のあの穏やかな佇まいからは、とてもそんな残忍さは感じられなかった。


 番頭を下がらせると、玄心は何も言わず暖心の手を取り、山を下り始めた。


 帰り道、胸の奥に重たいものが沈んでいくのを感じる。


 妖魔が跋扈するこの世に、人の業まで重なれば、苦しむのはいつだって弱き民だ。


(だからこそ……もっと強くならなければ)


 守るべきものを守れる力を得るために。

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