「着いたぞ、リョウ。あれが俺たちの村だ」
リオンが引く『屋台』に乗り、リョウは緩やかな揺れに身を任せていた。
空は徐々に明るさを増し、地平線から太陽が顔を覗かせ始めた。
朝露に濡れた草原がキラキラと輝き、遠くの森からは鳥たちのさえずりが聞こえる。
異世界に来て、ようやく少しずつ落ち着いて景色を眺める余裕が出てきたリョウは、まるで観光気分だ。
( なんだか、まるで絵本の世界みたいだな…… )
リョウは素朴な疑問を口にした。
「なあ、リオン。君はいつもトラの姿なのか?」
まさか、いつもあの巨大トラの姿で暮らしてるのか?
「普段は、こうしてトラの姿でいることが多いな。この姿の方が森を歩きやすいし、狩りにも適している。だが、村の中や、人族の町へ行く時は人の姿になる」
リオンは慣れたようにリヤカー屋台を引いたまま答えた。
その声は、やはりトラの姿になってもどこか人間らしい響きがある。
「へえ、使い分けてるのか……。どっちも便利そうだな。俺も二段階変形とかできたらなぁ」
「じゃあ、この姿と人間の姿と、どっちが楽とかあるのか?」
「うむ……どちらにも利点がある、としか言えんな。人の姿は、細かい作業をするのに向いているし、話しやすい。だが、この姿は、力も速さも段違いだ」
リオンは言葉を選びながら丁寧に説明してくれた。
リョウは、獣人という存在が彼らの世界でどういう位置づけなのか、少しずつ理解を深めていった。
まるで、異世界種族の生態を学ぶ授業を受けているかのようだ。
「なるほどな……この世界の住人にとっては、どっちの姿も日常なのか。面白いな」
どれくらいの時間が経っただろうか。
太陽が空高く昇り始めた頃、リオンがピタリと足を止めた。
「着いたぞ、リョウ。あれが俺たちの村だ」
リオンが示した先、鬱蒼とした森の切れ目から、こぢんまりとした集落が見えた。
木々を巧みに利用して建てられた、自然に溶け込むような住居がいくつも並んでいる。
村に近づいていくと、入り口には木の幹をそのまま利用したような門があり、その奥からは微かに生活音が聞こえてくる。
「おお……」
リョウは思わず声を漏らした。
「想像してたより、素朴でずっと温かい感じの村だな……よかった」
温かみのある、生活感に満ちた村の風景だった。
しかし、次の瞬間、リョウを乗せたリヤカー屋台を引く巨大なトラと、その荷台に乗る見慣れない服装の男の姿に、門の前にいた数人の村人がざわめき始めた。
「リオン兄さん!?その大きな荷車?と、その上に乗っているのは一体……」
若い獣人の男性が、困惑した表情で声を上げた。
彼はリオンと違い、犬のような耳と尻尾を持つ姿だった。
リオンはリヤカー屋台を引いたまま、門の前に立つ村人たちに声をかけた。
「皆、心配するな。この男はリョウだ。訳あって、しばらく村に滞在する」
リオンが説明すると、村人たちはさらに困惑した表情を見せた。
見知らぬ人族が、しかも見慣れない服装(ジャージ姿)で、奇妙な荷台に乗って現れたのだから無理もない。
警戒の視線がリョウに集まる。
「やっぱ警戒されるよな……いきなりこんな奴が来たら。どうしよう……あ、どもども」
しかし、リョウはそんな村人たちの視線に思わずペコペコと条件反射であちこちに「どーもどーも」と挨拶をする。
「あ、どうも、初めまして……って、言葉通じてるのかこれ?あ、大丈夫っぽい?」
彼の人の良すぎる性格が滲み出て、何となくやわらかい印象を与えている。
ここでは功を奏しているのかもしれない。
「さあ、入ろう。まずは俺の家だ。リョウ、裸足のままでは不便だし、お前は少し身なりを整える必要があるな」
リオンがそう言うと、村人たちは互いの顔を見合わせ、やがて渋々といった様子で道を開けた。
「助かる……足が限界だったんだよな。冷えてもう感覚ないんだ」
村の中に入ると、子供たちが物珍しそうにリョウとリヤカーを遠巻きに眺めていた。
( わ、子供たちだ……可愛いな。小さくてもケモ耳に尻尾だ )
大人たちは警戒心と好奇心が入り混じった目でリョウを見に来ている。
( なんか、動物園の珍しい動物になった気分だな……俺、パンダかなんかか? )
リオンはそのまま村の奥へとリヤカーを引いていき、比較的大きな木造の家屋の前で立ち止まった。
「ここが俺の家だ。さあ、降りてくれ」
リオンはトラから獣人の姿に戻り、リョウに降りるよう手を差し伸べた。
「ありがとう、リオン」
リョウは屋台から降りると、慣れない草の感触に足裏をくすぐられながらも、リオンの家へと案内された。
家の中はシンプルながらも清潔で、獣人の生活様式が垣間見えた。
暖炉のある、温かい雰囲気の部屋だ。
「へえ、暖炉か。山小屋みたいでいいな」
リオンはリョウを座らせると、暖炉に薪をくべ火をつける。
そして、簡素な衣服と革製のサンダルを持ってきた。
「少し大きいかもしれんがまずはこれを着て、足を休めるといい。この世界の服に慣れておくのも大事だ」
リョウは素直にそれを受け取った。
「ありがたい……この服じゃ、どう見ても不審者だよな」
スウェットジャージの部屋着姿では、確かに場違い感が半端ない。
慣れない感触の服に袖を通し、足元にはサンダルを履いて身なりを整えると、ようやく異世界に来たという実感が湧いてきた。
( おお、なんか冒険者っぽくなってきたぞ……! )
同時に、裸足でいたことで冷え切っていた足がじんわりと温まり、リョウはほっと息をついた。
「ありがとう、リオン。本当に助かるよ」
リョウが礼を言うと、リオンは満足そうに頷いた。
「落ち着いたところで、その『屋台』とやらを皆に見せてくれないか?村の者たちも、お前のことを訝しがっている。だが、お前が作るその『珍妙な飯』があれば、すぐに村の一員として受け入れてもらえるはずだ」
リオンは期待に満ちた目でリョウを見た。
その目は、早くも先ほどの [焼きそば] を欲しているようだ。
( もしかして、リオンもまた [焼きそば] が食べたいのかな?さては、それが狙いだな! )
そう、リオンもまた [焼きそば] が食べたいのだ。
リョウは頷くと、先ほどまでリヤカーのように変形していた屋台に意識を集中させる。
光の粒子となってフワリと宙に浮かび上がった屋台は、再び元の [焼きそば] 屋台の姿へと戻った。
提灯と暖簾が揺れる佇まいは、先ほどと何一つ変わらない。
「よし、完璧だ!」
「おお、これは……!」
リオンは目を輝かせ、まじまじと屋台を観察している。
さっきも見てるだろうに、まるで初めて見る宝物でも見つけたかのようだ。
リョウは深く息を吸い込んだ。
「よし、皆を驚かせてやるか!」
リョウは [焼きそば] 屋台を準備し始めた。
鉄板に火を入れ、引き出しから食材を取り出す。
ジュウ、という [焼きそば] の香ばしい匂いが辺りに漂い始めると、家の周囲で様子を伺っていた村人たちが、つられるように少しずつリオンの家に近づいてきた。