「え、あの、君は……?」
目の前で起こった信じられない光景に、リョウはただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
巨大なトラが、一瞬で人間に変わったのだ。
まるでアニメのワンシーンか、はたまた大がかりなマジックショーか。
「え、人間に……?まさか、これもあのスキルの影響なのか?俺のスキルじゃない、あいつの……?」
頭にはトラの耳、お尻に尻尾が残っているものの、まるで人間と見紛うばかりの精悍な男性が、感極まった様子で焼きそばの皿を手にしている。
その手つきは、まるで宝物でも抱えているかのようだ。
( 本当に、一体何なんだ、この世界は……俺の常識、崩壊寸前なんですけど!? )
「え、あの、君は……?」
リョウが恐る恐る尋ねると、男性はハッとしたように顔を上げた。
「すまない、驚かせたな。俺はリオン。この辺りの森に住む、獣人だ」
リオンと名乗った男性は、人懐っこい笑顔を見せた。
その笑顔は、先ほどの巨大なトラの姿からは想像もつかないほど温和だった。
むしろ、大型犬みたいだ。
「獣人......?やっぱり、ここは俺のいた世界じゃないんだな……。マジかよ、異世界転移ってやつ!?」
その瞬間、リョウの頭の中に、今までどこか曖昧だった疑問が明確な形となって浮上した。
( ……あれ? 言葉、通じてる……? )
( これって、異世界転移の定番で、言葉が自動翻訳されてるってやつか? それとも、俺のスキル『屋台』に、そういう付随能力があるのか……? いや、どっちでもいいか!とにかく、言葉が通じてよかったぁ〜! )
安堵と、この世界に来たことへの不安を抱えながらも、リョウは目の前の男性、リオンに曖昧な笑顔を向けた。
リョウは、目の前の現実をようやく受け入れ始めた。
いや、受け入れるしかなかった。
リオンはそんなリョウの様子を見て、少し心配そうな表情を浮かべた。
「お前こそ、一体どうやってこんな場所に?見慣れない服を着ているし、こんな珍妙な……いや、素晴らしいものを売っている屋台も見たことがない」
リオンはちらりと焼きそばの屋台を見やり、そして熱い視線をリョウに向けた。
リョウの部屋着ジャージ姿は、この世界では相当珍しいらしい。
( 俺の服装、やっぱりおかしいよな……もしかして、珍獣扱いされてないか? )
「俺は田中良だ。リョウでいい。えっと、実は……部屋で寝ていたら、知らない間にここにいて。この屋台も、目が覚めたら急に使えるようになったんだ」
リョウは、金色の光のことや、思い描いていたら屋台が出てきたことなど、異世界転移の経緯を掻い摘んで話した。
リオンは真剣な表情で耳を傾け、時折大きく目を見開いたり、唸り声を上げたりした。
その反応は、まるで子供が初めて物語を聞くかのようだ。
「まさか、こんな話、信じてくれるのか?普通なら頭おかしいって思われるよな……」
「なるほど……。リョウが話したその金色の輝きと、そこから得たという『スキル』……。確証はないが、それはもしかしたら、伝承に語られる『スキルの種』というものかもしれんな」
リオンの話を聞いて、リョウは青ざめた。
スキルの種?なんか、とんでもないものを拾っちゃった気がする。
「スキルの種……?そんな大層なものなのか、あの光は……?」
「それに、こんな場所で、こんな美味そうな匂いをさせていたら危ない。魔物だって引き寄せられるだろうに、よく無事に一人でこんな場所に立っていたな。今のままでは危ないから俺の村に来ないか?人里離れてはいるが、安全だ。それに、お前が作る美味いものを食べる機会は、村の者たちもきっと喜ぶだろう」
リオンの言葉に、リョウは背筋が凍る思いだった。
「魔物……!やっぱりいるのか、そういうのが。この焼きそばの匂いが、そいつらを引き寄せちゃうってことか?俺、とんでもないもの(凶器?)を手に入れちゃったな……!」
焼きそばの匂いが魔物を引き寄せる、と聞いて、リョウは屋台のスキルが持つ影響の大きさを初めて実感した。
リオンは、焼きそばの皿を大切そうに抱えながら、真剣な眼差しでリョウを誘った。
その表情は、まるで「この美味いものを独り占めするなんて勿体ない!」と言っているかのようだ。
( 村……安全な場所か。このまま一人でいるよりは、はるかにマシだよな。寝床を提供してくれるだけでもありがたいし、俺の作った飯で喜んでくれるなら……。よし、行くしかない! )
途方に暮れていた状況で、安全な寝床の提供は、まさに渡りに船だった。
それに、人の良すぎるリョウは、リオンの純粋な好意を無下にはできなかった。
「……分かった。お世話になるよ、リオン。本当に助かる」
リョウが頷くと、リオンはにやりと口角を上げた。
その顔には、再びトラのような獰猛な、しかしどこか愉快そうな笑みが浮かんでいた。
「よし!それでは、村へ案内しよう。その屋台も、俺が運んでやる」
リオンはそう言うと、再び体が光に包まれ、巨大なトラの姿に戻った。
( またトラに……!本当に何でもありだな、この世界は……!変身する特撮ヒーローみたいだ! )
そして、その大きな口で、屋台の片隅を咥えようとした。
「あっ、ちょっと待って!屋台は……!」
リョウが慌てて声をかけると、屋台はまるで彼の意思を汲み取ったかのように、光の粒子となってフワリと宙に浮かび上がった。
そして、リョウの傍らで小さくまとまり、彼に「連れて行って」と促すように、リヤカーの屋台に変形し、車輪が現れた。
「うわ、すげぇ!屋台が変形した!?俺の意思で……ってことか?このスキル、本当に何なんだ……まるで意思があるみたいだ!」
「……なるほど、そういうことか」
リオンは感心したように唸ると、巨大な体を少しだけかがめ、リョウに視線を合わせた。
「さあ、リョウ。村へ行こう」
リオンは変形したリヤカーの柄を咥えると、リョウは冷たい草の感触に耐えかねていた裸足のまま、屋台の荷台部分によじ登り椅子の部分に座った。
「ああ、助かる……足が冷え切ってたんだ。この屋台、座り心地も意外と悪くないな。いい感じだ」
リヤカーとなった屋台は、リョウを乗せてもびくともしない。
リオンは広い草原を、慣れた足取りで進み始めた。
リオンが引く屋台の揺れは思いのほか少なく、乗り心地は悪くない。
しかし、リョウはまだ不安が拭えなかった。
( このまま、本当に安全な場所へ連れて行ってくれるのか?信用していいのか?でも、他に選択肢もないしな……腹も満たされたし、今は信じるしかない! )
「あの、リオン。村って、どれくらい遠いんだ?」
リョウが尋ねると、リオンは進みながら、低く響く声で答えた。
「そうだな……このペースで、日が昇り切るまでには着くだろう。遠くはない」
( 日が昇り切るまで……か。今が何時かもわかんねえし、どのくらい時間がかかるんだろ?日の出が何時かもわからんし、この世界の時間の流れってどうなってるんだ? )
日が昇り切るまで、と聞いても、今が一体何時なのかも分からないリョウには、それがどの程度の距離なのか全く想像がつかない。
「そうか……。あの、リオン。この世界って、どんな感じなんだ?獣人って、リオンみたいなのが他にもいるのか?」
リョウが質問を続けると、リオンは少しだけ顔を傾けた。
「ああ、もちろん。この世界には人族もいれば、俺たち獣人もいる。他にも様々な種族が暮らしているぞ。魔物もいるから、気をつけねばならない」
魔物、という言葉にリョウは改めて身が引き締まる思いだった。
( やっぱり魔物、いるんだよな……。気をつけないと、食われる……。せっかくチートスキルを手に入れたのに、食われたら意味ないぞ! )
やはり危険な世界なのだと再認識する。
「そうなんだ……。俺、何も知らなくて……本当に、どうしたらいいか……」
「心配するな、リョウ。俺がいる。それに、お前が作るその美味い飯があれば、村の者たちもすぐに受け入れてくれるはずだ」
リオンはそう言って、安心させるようにリョウの方へちらりと視線を送った。
「リオン……」
頼もしい言葉と、先ほどの立ち上る焼きそばの残り香が、リョウの心を少しだけ温めた。
( この屋台がある限りは、なんとかなる……のか?俺のスキル、本当にすごいな……。まずは生き延びるのが最優先だ! )
まずは彼らの目的地……リオンの引く屋台に乗ったリョウが、新たな世界の情報をリオンに聞きながら向かうのは、広大な草原のどこかにあるリオンが住む獣人の村だった。